旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

たまこ

2006年12月21日 01時45分03秒 | Weblog
女友達と焼肉を食べてから、いつものように腹ごなしに古本屋に入った。講談社らしくない「人間の知的財産」シリーズが目に留まったので眺めていた。すると女友達がニヤニヤしながら「たまこ」かあ、と吐息とも独り言ともつかない言葉ををもらした。

「なに、たまこ?」と視線を追ってゆくと、なんとそこには買おうと思っている「朱子」があった。そうだよなあ、朱の左に王か玉を置けば、珠子だよなあと思いつつ、「この『たまこ』とハイデッガーください。」とおちゃらけてみた。

店主は、口をゆがめてニヤリと笑う。「たまこですか?」「そう、このひと、朱子のことを『たまこ』と読むんですよ。」と答える。女友達には、自分に興味のないことに関しては、この程度の教養しかないことを自慢したがる癖がある。

いづれにしても、以前から陽明学について一通りの知識を得ておきたかった。知的財産シリーズは解説が中心だから、しめしめ原著に当たらずに楽して陽明学が理解できるぞとほくそえんだ瞬間、いやな予感がした。

店を出てから、「おい、陽明学は王陽明じゃないのか?」と、どこかから声が聞こえてきたような気がした。れれ、おれが買ったのは、たまこ=朱子じゃないか?オー・マイ・ガッド!後の祭りである。

コンプライアンス

2006年12月21日 00時07分52秒 | Weblog
確かに、『金儲け』と倫理との間には、一見、相関関係がないようだ。しかし、ビジネスの世界では、昨今コンプライアンスの重要性が説かれている。

「金儲け」が本質的にダーティーなものであると捉える国民性があって、ビジネスというものは、法令や社内規定のグレーゾーンを拡大解釈して、お客さんの人の良さにつけこんで成り立つものだという固有の商売性悪論(?)に対して、

ビジネスの側が、法令は遵守しているのだから何が悪いのだ、とコンプライアンスを盾に開き直る風潮があるのは滑稽だ。

『安田講堂 1968~1969』

2006年12月21日 00時05分55秒 | Weblog




一昨日に買った「安田講堂 1968~1969」を読み終えた。

68年の2月、三里塚闘争の支援に加わった学生たちを殴り続ける機動隊を止めに入った反対同盟委員長戸村一作氏が、ヘルメットをはずさせられたうえで頭を警防で乱打されて重傷を負った。この事件以降、青年たちは闘争にある種の決意を持って出るようになった。

元々は理事長の不正を正そうとしたことに端を発した日大闘争や、数年間に渡って無給に近い奉公を強いられる研修医の待遇を改善しようとした東大医学部闘争は、日本社会に深く根ざした封建的桎梏に対する闘いでもあった。ところが、この社会的な問題であるはずの闘争を不発に終わらせたのは、おとなたちの無関心にあったと著者は判断する。

安田講堂の攻防戦では、格闘のプロである完全武装の機動隊員たちが、疲労困憊した学生を追い詰め、襲いかかり、治安という名の暴行を加える。民主的な公開討論を求めた学生に対して、大学は機動隊の導入という暴力で応じたのだ。日大闘争の場合、機動隊に加えて右翼・体育会系学生までが旧体制さながらの理事長の大学統治に組した。

当時の加藤学長代行の目も眩むような閨閥に言及した後、著者である島泰三は、「日本が平等社会だと思うのは、庶民の現状認識の甘さを示している。」と喝破する。統治する側とされる側との間には、身分的な裏づけがあるとでも言いたそうであるが、蛇足とみるべきか、真実なのか、わたしには判断がつかない。

当時、暴力学生と呼ばれた青年たちの主張に対して、おとなたちがもっと理解を示していたならば、旧態然とした大学という名の高等教育機関のあり方、また、医療制度のあり方は大きく変貌を遂げていたであろと著者は断定する。

当時は、全共闘闘争の意味合いすら理解できなかったわたしであった。この著作を読み終えた今、遅まきながらこの意見に同意できる。マスコミをはじめとした傍観者たちの責任は重いと言わざるを得ない。「怖い本」であった。



昨日は、講談社の人類の知的遺産「ハイデッガー」「朱子」を買った。あいも変わらず教養の涵養に勉めている。何をかしこぶっているんだろという気がしないでもない。にもかかわらず好奇心が赴くまま、なお哲学・思想関係書を買い漁っている。