旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

『神学大全』

2006年12月16日 11時22分40秒 | Weblog
積み上げられた本の中で、なぜか、世界の名著「トーマス・アキィナス」が目に留まった。確か、2年ほど前の年末に買ったものだ。早速、索引に目を通してみる。第12問 「神はいかなる方法でわれわれによって知られるか」、このあたりが面白そうだと思いながらページをめくってみる。

第12問の解説によると、ここまでの探求が「はじめから、絶えず啓示の光に導かれてはいるが、しかし探求領域としては、いわゆる自然理性のもとに知られうるかぎりにおける神の知であった。」のであるが、この第12問によって、「われわれの認識能力についての反省がなされるためには、神の知性ではなく、まさにわれわれ人間の知性についての考察が先立ち、前提されなければならない。」とトーマス・アキィナス自身が、自らの認識能力を反省する。やはり、重要な設問なのだ。

続いて第13問では、「神はいかなる仕方でわれわれによって名づけられるか」が問われる。「われわれのものを名づける仕方は、ものを認識する仕方に対応し依拠するという観点から、二つの問いは関連、接続している。」という。 第74問以下の人間論ともども、興味をそそられる。

それにしてもトーマス・アキィナスってほんと、人相が悪い。この点は笑える。思索型の人間って一般に人相が悪い。カントにヘーゲルが典型だ。