畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

葉を食べる虫たち。

2010-10-11 18:32:25 | 農作業
10月11日(月)   いちじ 

雨の二日間は、畑に出なかった。朝から、秋の日差しに誘われて、出かける。久しぶりの感じだ。畑の畝の、不織布は、べったりと土にくっつき、また、薄らと、土だのっかっていたり、雨の強さと、多雨を物語っていた。
ゴボウを掘る。最初に蒔いたダイコン、不織布の盛り上がりが、かなりになってきた。そろそろ、間引いてやらなければならない時期になってきた。不織布をまくり上げてみる。育っているものは、葉の丈が、20㎝を超えているほどだ。間引きの適期だ。と云うか、間引き菜として食べるのに、最適期だ。今晩、食べるようにと、少しだけ間引く。
葉っぱを食べる虫たち。たいした連中だ。太陽熱処理をしたし、播種と同時に不織布も掛けた。しかし、しっかりと、ダイコンの葉に付いて、食べ荒している。ダイコンサルハムシ、ヨトウムシ。サルハムシは、ダイコンが発芽して以来、不織布の上を、何匹もで歩き回っていた。どうして、ダイコンの葉に行けないのだろうと、思っているかはわからないが、「無駄な努力を、バカ者め」と眺めていたのだが。連中、不織布の上から、葉をなめ回し、小さな穴をあけて、進入しているに違いない。葉を食べないまでも、不織布の上で、交尾をしている奴らもいる。生き、卵をうみ、生命をつないでいこうとする本能、その凄さには、ただただ驚くばかり。
救いは、不織布のおかげで、虫の密度は少なく、その間に、ある程度は生育した。だから、これからの被害は、致命的にはならないだろう。
今度の出荷には、間引き菜として、箱詰めする予定。その時には、べたがけは撤去することになる。虫の密度は、一時的に多くなる。被害も受けるが、これからは寒くなってゆく。虫たちの活動が、鈍くなってくれることを願うだけだ。

午後は、納屋作りに着手。畑も、一段落とはいかないが、ある程度のめどが立ったから。
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偲ぶ会

2010-10-10 16:53:18 | 食、農への思い
10月10日  のち 

豪雨だった。朝には、時間20㎜を超える雨が二時間も続いた。昼過ぎには、小雨から、霧雨状に変わるが、降り続いた雨は、総雨量で150㎜ほどになる。カラカラ天気と、豪雨と、緩やかな、日本的天気は、遠ざかって行くようだ。
午後、雨上がりころに、母を退院させてくる。再び、日常に戻るが、どちらが楽だろう。

昨日、偲ぶ会。
もう10年になる。私たちが、移住し、農業を始めるきっかけになった、仲間の一人、「仁」さんがなくなったのは、2000年の10月だった。そして、昨日10月9日は、東京で、10年の大きな集まりがあった。土曜日は、我々は、外せない出荷の日。
連れ合いにとっては、同じ職場の、「職員反戦」の仲間として、60年代末からの付き合い。私は、「全共闘」の学生としてだが、同じ空間で、かかわり合っていた。
その後、私たちは結婚して、一人娘も生まれたが、それぞれに、あるいはともに、社会的な運動には係わっていた。自然の問題、農業の問題もそんな中にあり、私たちの生き方も、いろいろと話し合った。
そして、70年代後半、「仁」さん夫妻をはじめ、仲間の数家族と共同で、里山の森林を購入。プレハブ小屋を立て、年に何回も通い、ほんのささやかな自然の中での生活を体験してきた。味噌作り、餅搗き、シイタケ栽培、炭焼など、里山の、自然をごく一部だが取り入れる、疑似生活を、楽しんだ。その場は、我が家から、10分ほど歩く所の、原点だ。
5~6年続いた疑似生活。私たちは、都会の生活の方を切り捨てることに決めた。そして、1983年に、移住した。
「仁」さんを始め、仲間に支えられ、私たちは、少しづつ、農業での生活を作ってきた。ようやく、私たちの生活も、安定してきたころ、「仁」さんに癌が発見された。手術をし、その療養のためにもと、「仁」さん夫妻は、原点であった場所に、家を新築した。2000年夏、その別荘で、少しはゆっくり過ごせたのだろうか。そして、秋だった。(その年、8月には、私の学生時代からの親友が、夏山で、滑落。告別式では、別れの言葉も出せないほどに、大泣きして、送ったばかりだった。)
そして、翌、5月には、隣町に移住していて、私たちと、ミカン山を一緒にやっていた、Mさんを、癌で送った。
Mさんの夫、友人。ともに、「仁」さんともかかわりがあった。そんな地元の友人たちとの、偲ぶ会だった。

すでに彼岸は過ぎて、今や花も終わってしまったが。

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コオロギ

2010-10-09 17:47:33 | 食、農への思い
10月9日(土) 

しとしと雨は、朝、早くから降り始める。
畑作業ができそうもないので、出荷を手伝う。たまたま、休みの人も多く、野菜も少ない端境期。午前中には、箱詰めも終わる。雨も、午後には強まり、傘をさして移動するにも、袖口や、ズボンも少し濡れるほどに、降ってくる。
夏の間、太陽熱処理をしておいたハウス。定植した、キュウリ、インゲンは、虫の害も少なく、きれいに、元気に育っている。しかし、種まきをした、チョウホウナ、カブ、ホウレンソウ。発芽をして、双葉を出すまでは良かったが、以後、毎日、少しづつ少なくなっている。最初のうちは、いっせいに発芽したわけでもないので、発芽がそろわないな、ぐらいに思っていた。が、どうもおかしいと、膝をつき、地面に顔を付けるようにして(老眼の域に達したので)、よく見てみる。双葉を切り取られた直後の、小さな茎が、かすかに、命水を絞り出すように直立しているのが、目に入る。これから本葉を出し、生育しようと云う前途を無残に断たれた姿。もう再生することはない。
コオロギだ。バッタや、ツユムシの類もいるだろう。この連中は、ハウス内はもちろん、ハウスの周りの草むらに、当たり前にいる連中だ。青虫や夜盗虫などのように、野菜の害虫とは断定できない連中だ。しかし、いわゆる草も含め、生きた植物がない状態のときに、発芽したばかりの、小さな植物の命の狩人にはなれる連中だ。だから、ハウス内では、播種する野菜を育てるときは、おおいな被害をもたらす、そんな害虫になる。
「虫聞き」とは、昔の貴族たちの、優雅な遊びだったそうだ。そして、今も、秋の虫たちのきれいな音色は、多くの人たちを楽しますだろうし、虫たちの音色は、自然の豊かさの、バロメーターでもあるだろう。松虫の(チンチロリン)、轡虫の(ガチャガチャ)、鈴虫の(リーンリーン)、馬追の(スイ―ッチョン)、そして、(コロコロ)は蟋蟀=こおろぎだ。
立場によって、場合によって、こうした虫たちも、害虫になることもある。
ある意味、農業とは、いやな職業でもある。

これから、何人か集まり、しのぶ会だ。
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秋日和

2010-10-08 18:38:52 | 農作業
10月8日(金)  ときどき 

「秋、真っ盛り」がぴったりのような一日だった。
北東の風が、やや強いが、寒くは感じない。力仕事をすると、うっすらと、汗が出るかでないか。普通に動き回る分には、とても気持ち良い気温だ。陽射しは、強くもなく、弱くもなく。空は真っ青に晴れ渡り、白い雲が、いくつか浮かび、東から、西へと、ゆっくりと流れて行く。
そんな一日を、畑の片づけで過ごす。マルチの撤去、片づけ。真夏の水掛けの、動噴のホースもそのままになっている。後回しになっていた、後始末。いやな作業も、気持ちの良い秋日和が、いくらかでも、和ませてくれる。腰の痛さも、それほど感じずに済んでいるかも。



我が家の畑は、秋空の下、不織布のべたがけで、真っ白な畝が並んでいる。



不織布に守られて、ダイコンや、菜花も、少しづつ育っている。



今日は、「寒露」 朝夕はやや寒気を感じ始め、秋も深まりつつあるころだ。
そして、七十二候は、
鴻雁来(こうがんきたる)  ガンが北地より飛来する頃
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秋の空

2010-10-07 18:41:44 | 農作業
10月7日(木)   いちじ 

朝の天気予報。午後、傘マークが付いている。半島の南海上に雨雲が発生している。この雨雲が、北上し、弱い雨を降らす予報だ。半島の南部だけをかすめる、部分的な雨で、他の地区は、殆ど晴れ。そして、遠雷。海の方から、雷の音が、絶え間なく聞こえる。
予定していた作業を、終わらせてしまいたいので、8時前に畑に向かう。畝を立てて、マルチを張る。雨に降られると、土が機械に付くし、濡れた土は、うまく畝になってくれない。午前中に、やってしまわなければ。
風も強くて、粉状の鶏ふんは飛びやすいので、腰をかがめ、地面に近づけて、振り撒く。それでも、時折の強い風は、畝の外へと、散らしてくれる。注意しながらの腰の痛くなる作業。それでも、昼までに、予定を終わらす。
午後も、予報ほど悪くはなりそうもない天気。曇りで、雨がぱらつくかもしれない程度だ。
菜っ葉類の播種をやってしまう。雨量に換算出来ないほどの小雨が落ちることもあるが、それを避けながら、シーダーテープの種を蒔き、不織布をべた掛けする。
畝立マルチ機を、次の畑に移動。
秋の空に、惑わされながらも、予定通りの作業をやれた。
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段取り

2010-10-06 18:48:47 | 農作業
10月6日(水)   ときどき 

一日、畑仕事。
秀畑のロータリー耕。
花畑。畝立、マルチ張りの準備。
マルチを張る畝の中だけの施肥にするため、石灰以外の肥料は、畝立時に施肥することになる。だから、ちょこまかとした作業の組み立てになる。今日は、作業機の、畝立成型機を、予定の畝幅と高さにセットする。ボルトを緩めて、広げたり、縮めたり、結構手間を食う。だから、極力、同じ大きさの畝をまとめて作るようにして、機械のセットの時間を省くよう、段取りを考えなくてはならない。
今度の畝は、レタス、キャベツ、ブロッコリー、ハクサイなどなので、殆ど、同じで済む。
マルチフィルムや、鶏ふんなどの肥料の準備をすると、もう4時近くなる。
秋の陽はつるべ落とし、と云うが、5時を過ぎると、暗くなるのが、早くなった。実際の作業は明日にまわし、段取りだけ終わらせ、明日は、すぐに掛れるようにしておく。
病院にも回らなくてはならないので、早めに引き上げる。
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日記

2010-10-05 19:18:17 | 農作業
10月5日(火)  ときどき 

畑仕事。
ロータリー耕をしておいた所も、5日もすると、草が発芽する。適度に雨が降るから、発芽も早い。びっしりと小さな芽が出ている。だから、再度耕さないと、草の生育の方が、勝ってしまう。管理機で、耕してから、菜花の播種。不織布のべた掛け。
我が家の畑は、不織布で覆われた、真っ白の畝が何本も並んでいる。この辺の畑では、見られない光景だ。
午後は、トラクターで、再耕起。とにかく、播種したり、マルチを張り終えたりするまでは、耕起を繰り返し、草を抑えることが、畑作業の第一歩だ。
明日の出荷のため、ゴボウを少し掘る。昨年に比べ、短いものが多い。水不足のせいだろう。
夕方は、母の入院先へ。洗濯ものを取りに行く。たまたま、主治医に会う。「偽痛風」だそうだ。水を抜いて洗浄することで、痛みは取れるとのこと。母も痛みは訴えなくなっている。2週間ほどの入院で済みそうだ。
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秋雷

2010-10-04 17:51:27 | 暮らし
10月4日(月)  のち 

雨の朝。時折、強く降り、雷も鳴る。名残の、最後の雷になるのか?。昼の天気予報も、夕方6時ころまでは、雷を伴う雨で、強まるころもあるという。雨雲の予報も、次から次へと、切れ間なく流れてくる。
しかし、のんびり昼休みをしていると、急に明るくなり、太陽の光が射してくる。空を仰ぐと、今までの黒い雨雲はどこに行ったのか、青空に太陽だ。テレビの天気予報の雨雲は、ときどき、途切れながらも、流れ込んでくる。寒冷前線の通過時は天候の急変はよくあること。雷も遠く聞こえている。ハウスは、天井を開けざるを得ない。閉め切っていては、熱でやられてしまう。万一、大雨になったら吹き込むけれど、しょうがない。一番困る天候だ。
結局、午後からは、一、二度、まっ黒な雲に覆われたが、降ることはなかった。雷も、少しづつ小さな音に遠ざかり、去って行ってしまった。

朝一番は、私自身の診察。定期健診の、経過診察。
その後は、母の、特別養護ホームへの、入所申し込みの書類作りと、申し込みに出かける。
ショートステイを月に20日位取り入れれば、なんとかなるかと、思っていたが、今回の様に、動けなくなったら、たちどころに、どうにもならなくなる。認知症がなければ、話してわかるので、物理的な介護だけで済む。しかし、認知症は、自己認識が、出来ないから、自己正当化して、云う事を聞かず、介護拒否をするから、手に負えなくなる。
定員100名位の所に、入所待ちは、200名ほどとか。母の老化の進行と、入所者の回転と、どうなるのだろう。
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日記

2010-10-03 17:17:29 | 暮らし
10月3日(日)  いちじ 

気温は高い。午前中は、中山間地の共同作業で、秋の草刈。一日作業の予定だが、私は、午前中だけで、解放してもらう。午後は、我が家の檀家の寺の施食会。法会の後の、精進落としで、一杯飲んで、気持ちよく、今、帰ってきた所。
七十二候。
水始涸(みずはじめてかる) 天地の水気が涸れ始めるころ
実感として、よくわからないが、このころより、秋のすがすがしい気候になるということだろうか。
で、連れ合いに、病院に行ってもらったが、母曰く
「皆さん元気ですか」
「家には、Hしかいないでしょうが」
「ああ、そうですか」
だったそうだ。
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おむつ

2010-10-02 19:23:40 | 介護日記
10月2日(土)  ときどき 

連れ合いは琴の演奏会で、早朝より上京。
出荷の日なので、めったにやらない、一人での出荷作業。昨日から、準備をしていたので、早めに終わらせて、畑に行こうと思っていたが、そうはうまくいかない。すべて、終わったのは、3時を回っていた。
これから畑仕事でもないし、少々疲れ気味だったので、畑の様子を見に行くだけにする。カブ、チョウホウナなど、二度目のダイコン等、芽が出始めていた。うまく育って、と畑を後にして、病院へ。
入院して、一泊。母の様子を見がてら、洗濯ものを取りに行く。5時半を回ったころ。満足そうに、夕食中。洗濯もの入れ。案の定、パジャマと防水シートが入っている。看護師さんに様子を尋ねる。
「紙おむつをすることを、御本人が嫌がるので、リハビリパンツで、休まれたのですが、夜は、量も多い様で」
やはりそうか。
「そんなプライドだけは高くて、お世話を掛けます」
「大事なことですから、自分でやろうということは」
でも、洗濯ものが増えるのは、こちらはたまらない。
「紙おむつがだめなら、夜用の容量の多いリハビリパンツを持ってきます」
そんなやりとりで、再度、家に帰り、リハビリパンツを、届けてくる。
御本人は、どこ吹く風。
「みんな、元気ですか?」
「どうも、ありがとうございます」
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