畑のつぶやき

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食、農への思い

偲ぶ会

2010-10-10 16:53:18 | 食、農への思い
10月10日  のち 

豪雨だった。朝には、時間20㎜を超える雨が二時間も続いた。昼過ぎには、小雨から、霧雨状に変わるが、降り続いた雨は、総雨量で150㎜ほどになる。カラカラ天気と、豪雨と、緩やかな、日本的天気は、遠ざかって行くようだ。
午後、雨上がりころに、母を退院させてくる。再び、日常に戻るが、どちらが楽だろう。

昨日、偲ぶ会。
もう10年になる。私たちが、移住し、農業を始めるきっかけになった、仲間の一人、「仁」さんがなくなったのは、2000年の10月だった。そして、昨日10月9日は、東京で、10年の大きな集まりがあった。土曜日は、我々は、外せない出荷の日。
連れ合いにとっては、同じ職場の、「職員反戦」の仲間として、60年代末からの付き合い。私は、「全共闘」の学生としてだが、同じ空間で、かかわり合っていた。
その後、私たちは結婚して、一人娘も生まれたが、それぞれに、あるいはともに、社会的な運動には係わっていた。自然の問題、農業の問題もそんな中にあり、私たちの生き方も、いろいろと話し合った。
そして、70年代後半、「仁」さん夫妻をはじめ、仲間の数家族と共同で、里山の森林を購入。プレハブ小屋を立て、年に何回も通い、ほんのささやかな自然の中での生活を体験してきた。味噌作り、餅搗き、シイタケ栽培、炭焼など、里山の、自然をごく一部だが取り入れる、疑似生活を、楽しんだ。その場は、我が家から、10分ほど歩く所の、原点だ。
5~6年続いた疑似生活。私たちは、都会の生活の方を切り捨てることに決めた。そして、1983年に、移住した。
「仁」さんを始め、仲間に支えられ、私たちは、少しづつ、農業での生活を作ってきた。ようやく、私たちの生活も、安定してきたころ、「仁」さんに癌が発見された。手術をし、その療養のためにもと、「仁」さん夫妻は、原点であった場所に、家を新築した。2000年夏、その別荘で、少しはゆっくり過ごせたのだろうか。そして、秋だった。(その年、8月には、私の学生時代からの親友が、夏山で、滑落。告別式では、別れの言葉も出せないほどに、大泣きして、送ったばかりだった。)
そして、翌、5月には、隣町に移住していて、私たちと、ミカン山を一緒にやっていた、Mさんを、癌で送った。
Mさんの夫、友人。ともに、「仁」さんともかかわりがあった。そんな地元の友人たちとの、偲ぶ会だった。

すでに彼岸は過ぎて、今や花も終わってしまったが。

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