畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

そら豆

2008-05-20 19:41:40 | 農作業
5月20日  のち 

強い風の音で目覚める。まだ四時だ。雨もかなり降っているようだ。起きる気にはならない。昨日掛けたトンネルは大丈夫だろうか、ひょろりと伸びた苗は風で吹き飛ばされたりしていないだろうか、などと心配しつつも、まどろんでいる。
雨は思ったより早く小降りになる。風は相変わらず強いが、田、畑回りに出かける。トンネルが一部吹き飛ばされたが、最小限の被害で済んだ。手直しして、土を載せ押さえて来る。野菜の苗には被害はない。雨を受け、逆に生き生きしていた。
雨量もそれほどではなかったようで、田んぼも水が溢れるようなところはなかった。一安心して帰る。
昼前には雨は止む。午後はそら豆の収穫。風が強いので、雨露は飛ばされ、収穫作業も濡れないで済む。風がなければ、そら豆の葉に付く、雨露で、合羽を着なければならないところ、こればかりは、強風にお礼を言いたい。
二人で、100kg位収穫する。今がピーク。五月一杯で終わりそうだ。
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梅林

2008-05-19 19:17:46 | 農作業
5月19日  ときどき  夕方 

台風が近づいている。強風で植えたばかりの苗が被害を受けなければ良いが。夕方、四時過ぎ、急に強い雨が降ってくる。台風の前兆のような、突然の雨。一時間もしないで、曇り空に変わる。
一日畑の草刈。畑の一角に、梅林がある。といっても、梅の木が5~6本あるだけだが。梅の実がある程度付いているので、草を刈っておく。枝の下の草刈は身体をかがめなくてはならず、少々腰に来る。六月に入ると、収穫。梅干に加工する。
我が家の梅干、昔ながらの漬け方で、結構喜ばれているから、欠かせない農産加工品のひとつだ。連れ合いの担当だが、こうした、昔から伝わる農家の自給的農産加工が、だんだん少なくなっている。梅干を漬ける家も少なくなり、梅を分けてもらう事もよくある。良いことなのか?。
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ズッキーニ

2008-05-18 21:00:02 | 我が家の畑
5月18日 

一日畑仕事。ズッキーニを定植する。その後、定植したズッキーニとカボチャに、防虫ネットを掛ける。瓜類にも害虫がいる。ウリハ虫だ。苗や若い株が食害を受けると、生育が止まってしまい、ひどいときは株がなくなってしまう。定植してしばらくは、ネットを張り防ぐ。同時に防風の効果もあるから、一面防虫ネットのトンネル掛けにする。株が一定育つと、それほどの害は受けないから、撤去する。そうしないと、逆に受粉しないから(雄花と雌花があり、蜂などの虫で受粉する)、花が盛りになる前にとってやる。
ズッキーニ、西洋のカボチャで、熟さない若い実を食べる。今は、一般的に流通されるようになり、人気の野菜のひとつになった。しかし、一昔前までは、何だろう、キュウリ?といわれるような野菜だった。
十数年前、初めて作ったときは、収穫時期もよく分からず、大きくしすぎ、水っぽいカボチャの印象で、作るのをやめたくらいだ。その後、レストランに野菜を納めるようになり、再び栽培を始めた。7~8年前位から、一般の家庭でも少しずつ食べられるようになったようだ。
イタリアンが流行し、一躍人気者になったような野菜。
野菜も変遷する、見本のようなものと思う。

定植したカボチャ


ズッキーニ


防虫トンネル

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出荷

2008-05-17 20:19:48 | 農作業
5月17日 

そら豆の収穫が始まった。一週間前の初取りの時は、まだ少し早いようだったが、もうピークを迎えようとしている。我が家は水曜、土曜の週二回が出荷日。そら豆は、収穫期が短い。適期を迎えると、次々と頭を下げる。(そら豆は文字どうり、空に向かうように実を付ける。実が膨らむと、その重さゆえか? 下を向いてくる) 短期間に収穫しないと、硬くなり適期が過ぎてしまう。
だから、そら豆は、注文出荷と自然食品店にも出荷している。そら豆は、木も大きく茂るし、倒れやすく、収穫に時間がかかる。前日の夕方にも収穫しておく。朝から整理して、不良品や小さいものは撥ね、量って、新聞紙にくるむ。注文出荷はそのまま箱詰め。自然食品店行きは、少量ずつポリ袋に入れるから時間がかかる。一日作業場で、秤とにらめっこ。二人で一日、出荷作業で終わってしまう。
ハッチクも今が旬。朝はハッチクの林にハッチク筍を掘りに行ってくる。
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田植休

2008-05-16 21:00:20 | 食、農への思い
5月16日  ときどき 

午前中は、畔の草刈。午後はカボチャの定植。何やかやと非日常や天候のせいで、植え遅れ。蔓が伸び始めているので、一つ一つ外して植えるので、手間取る。連れ合いも、今日から夏野菜の定植。ナス、ピーマンを植えに行く。

上京を決めた私が、家を後にしたのは、確か7月半ば位だったと思う。伯父、伯母が何人も、東京近郊に住んでいたから、上京はめずらしくはなかった。しかし今度は、親戚に泊まるのではなく、初めての一人暮らしへの出発でもあった。いささか緊張感を持った上京だった。とりあえず、市川の伯母の家に、荷を降ろす。一、二泊して、約束の日に早稲田に向かう。
初めての場所だったので、地図を頼りに、日経の配達店に到着。店主夫婦と、初めての面談。いろいろと話を聞き、自分の希望なども話す。とりあえず、明日の朝から、何日かは、配達する家や道を覚えるため、先輩といっしょに回ることになると説明を受ける。そして、いよいよこれから暮す部屋に案内される。
部屋の扉を開け、中が見えた瞬間、私は唖然とした。十五、六畳の部屋は真ん中を広間にして、三方の壁際には作りつけの二段ベットが。その数、五個。両脇に二つずつ、突き当たりに一つ。十人部屋だ。私には、空いている入ってすぐ右側の上段があてがわれた。在室していた何人かに紹介された後、心を静めて、私の「個室」に上がる。
考えが甘かったのかと思った。まさかこのような「部屋」で暮らすようになるとは、思ってもいなかった。でも、引き返すことは出来ない。さすがにその夜は、なかなか寝付けなかった。しかし、ともかく、この一畳半の空間で、これからの一人暮らしが始まる。それが、現実なのだと、思い込むことで、遅い眠りに落ちていった。


昨日は草稿のまま投稿してしまいました。今、17日朝投稿します。
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ローン完済

2008-05-15 19:45:55 | 暮らし
5月15日 

米の配達のついでに、地方法務局に行く。移住に当たり、家を建てたときのローンの返済が完了したので、抵当権抹消登記のため。
25年間は途方もなく長いと思っていたが、今になると、あっという間だったとも思う。
移住前半は、農業の規模も小さく、なかなか上手く出来ずに、返済も大変だった。賃労働もしていたが、その賃金を農業のほうに振り向けなければならなかったり、教育費も馬鹿にならなかった。今思うと良くやってこれたなと感じる。その時々は、そんなことも思わず、ただ日々がむしゃらに動き回っていたようだ。不安とか、先行きの心配とかは、全く感じることなく、生きてこれた。
自分が決めたこと、好きなことを思い切りやっていたからだろうか。
やはり、60歳は節目なのだろうか。やたらと回顧的なことばかりを、書いている。

久しぶりに、よく晴れ、暖かい日。午後は、サツマイモの買い苗(違う品種)を100本ほど植えてから、畔の草刈。
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山は越えた

2008-05-14 21:32:20 | ニワトリ
5月14日  のち 

昼過ぎに雨は上がり、久しぶりに、太陽も顔を出す。しかし、今日も寒かった。
ハッチクをとりに行き、午前中は出荷作業。午後は、エダマメ、ラッカセイなどの育苗ポット種蒔。
雛のコクシジウムようやく山は越えた。日曜日に獣医さんから薬を貰ってきて、飲み水に入れて飲ます。しかし、かなりの重症だったので、すぐには効かない。毎日続けて、今朝はようやく、死体のない朝だった。
ここまで、30羽以上、約三割の雛を死なせてしまった。こんなことはここ10数年経験がない。ちょっとした気のゆるみが招いたことかもしれないが、命あるもの、自然と付き合っていくとなると、時にはこんなこともある。再び、初心に帰り、一歩から始めてゆく。
動画は、元気のない、助かった雛たちの姿。あんなに元気だったのに、鈍い動き方。
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年金受給者

2008-05-13 20:37:31 | 暮らし
5月13日 

寒い雨が降り続く早朝、6時過ぎ、車で出かける。行き先は北総の香取市。連れ合いが、有機認証の検査員になっているので、依頼のあった農家へ調査に向かった。(詳しくは後日) 雨の中震えながらの畑見学を終え、昼過ぎに帰宅。
こんな天気だからと、年金請求書を作る。今、最も悪名の高い役所のひとつ、社保庁から送られてきた、書類を作る。市役所などに行き、添付に必要な書類を発行してもらい、提出準備を完了させる。
就農する前、10年弱会社に勤務していた。その時の「厚生年金保険の報酬比例部分を特別支給の老齢厚生年金」として受給できる権利が、60歳で発生した。会社勤めも短かったし、小企業ゆえ給与も少なかったので、小額だが、年金受給者の仲間入り。25年以上払い込んできた国民年金保険も、4月からは払わずに済む様になった。
還暦を迎えても、あまり実感はなかったが、こうして、環境が少しづつ変わってくると、嫌でも意識せざるを得ない。開き直って、もらえるものは貰って、今後、歳をとっても、農業をやっていける環境を整えていこうと決めた。
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田植休

2008-05-12 20:03:29 | 食、農への思い
5月12日 

寒い日が続いている。夕方には早々に家に入るが、冷えたからだがストーブに火をつけさせた。
無農薬の田に米糠を散布する。土の高いところは草も芽を出しているが、まだのところもある。米糠で発芽を抑制するためである。150kg撒く。畔の草刈。モアで平らなところだけ、3枚。
午後は、サツマイモの苗を取り植えつける。約250本

浪人生活に入った私は、経済的理由から、自宅浪人を選んだ。夜型だったせいもあり、日夜の区別の無いような生活が始まった。毎日、寝ているか勉強しているかだけの生活。
しかし、あまり意志の強くない私には、一人での受験勉強は無理のようだった。友人たちもほとんど、大学に、予備校に、あるいは就職で地元を離れていた。三ヶ月もすると、だれてきているのが分かった。
また、家族の中で、自分だけが、このような昼も夜もないようないいかげんな生活を続けていることも、耐えられないようになってきた。
予備校と、家を出ることを模索した。そんな時、新聞社の奨学制度を知り、飛びついた。新聞配達店に住み込み、朝夕刊を配達しながら予備校に通う制度だった。
夏期講習から予備校に通いたいと申し込んだ。予備校も決めた。
いよいよ、東京での生活が始まる。

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田植休

2008-05-11 20:00:45 | 食、農への思い
5月11日  のち 

降り続く小雨の朝。今日も寒い。午前中はのんびりと過ごす。午後は、雨も上がったので田んぼへ。漏水する田んぼの畔際、三列位のところに畔シートを差し込み、田んぼ全体の水が減るのを防ぐことにする。三列位は犠牲になってもらう。ハウス内に、チンゲン菜の苗を植える。インゲンの株間に植えての立体栽培を試みる。

さて、その四
わがままな受験生は、一年の後半くらいには、志望校を決めていた。東京の公立大学だ。学部も経済と決めた。この気持ちはずっと変わらなかった。
二年、三年と進むにつれ、担任の教師は地元や地方都市の国立大学を進めた。学部も、就職に有利だからと工学部を、熱心に勧めてくれた。(数学や物理も結構得意だった) 
おとなしく、真面目な生徒だったが、頑として自己主張を通した。(英語だけは少々苦手だったので、それを心配してくれていたのだろうが)
奨学金ももらえるようになり、三年の冬を迎える。志望校のほかに、横浜の公立校と、東京の隣県の国立二期校に願書を提出。
三月、希望に燃えて状況、試験に臨む。公立二校の試験が終わり、地元で結果を待つ。「桜散る」だった。最後の二期校に臨むが、気持ちが落ち込み、結果は同じだった。志望校に拒絶されてから、心の隅にあった思いを、口にするのに、それほどの時間は必要なかった。
「一年、浪人させてください。」両親を前に頭を下げた。

田植の済んだ田んぼに、鴨のつがいが

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