※堺からの帰り、湾岸線から見えた夕陽。
クリック♪
少し風邪気味でフラフラするが、午前中ピピアで上映の 『泥の河』 を観に行く。
以前にも観ているのだが、きょうはその時以上に胸を揺さぶられる。
舞台は戦後、高度経済成長の兆しを見せ始める昭和31年の大阪・安治川の河口。
うどん屋の息子(信雄9歳)と、廓舟で生活する姉弟(銀子、きっちゃん9歳)の、ひと夏の出会いと別れを軸に描いた物語だ。
うどん屋の信雄も、自ら母親の客引きを手伝うきっちゃん達姉弟も、それぞれ大人達のドロドロした現実世界の中で生きている。
どうしようもない厳しい現実の中で見せる、子供らの暗い目、悲しい目を見ると、せつなさに胸を打たれる。
売春で生計を営む母親と一緒の廓舟生活、もちろん姉弟は学校へも通っていない。
貧しいながらも温かい両親のいる信雄の家に憧れる姉弟。
「ノブちゃんのお母さんは石鹸のニオイがする」
「こんな普通の家だったらいいなあ・・」
姉弟が幸せな時間を過ごしている最中、突然入ってきたお店の客が「廓舟の子や」 と、心無いセリフを口にする。
下をうつむいてコブシを握りしめ、必死で屈辱に耐えるきっちゃん。
それを見た信雄の父は客を追い出す。
なかなかショックから立ち直れないきっちゃんを何とか慰めようと、父はやおら手品を始めた。
3つのオチョコのうちの1つに小さな玉を入れて当てさせる他愛のない手品だが
子供達はいつしかオチョコの手品に目をキラキラさせて夢中になっている。
きょうの映画の中で1番泣けてしまったシーンだ。
色々な事を、理屈抜きで肌で感じさせられる映画だった。
きっちゃんの姉・銀子が、土門拳の写真集 『筑豊の子ども達』 の 「るみえちゃん」 にそっくりだったのも、ただの偶然では無かったような気がする。
信雄の父親役、田村高廣もいい味を出していた。
舞台となった安冶川の最西端、端建蔵(はたてぐら)橋付近を、改めて歩いてみたいと思った。
おわり
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少し風邪気味でフラフラするが、午前中ピピアで上映の 『泥の河』 を観に行く。
以前にも観ているのだが、きょうはその時以上に胸を揺さぶられる。
舞台は戦後、高度経済成長の兆しを見せ始める昭和31年の大阪・安治川の河口。
うどん屋の息子(信雄9歳)と、廓舟で生活する姉弟(銀子、きっちゃん9歳)の、ひと夏の出会いと別れを軸に描いた物語だ。
うどん屋の信雄も、自ら母親の客引きを手伝うきっちゃん達姉弟も、それぞれ大人達のドロドロした現実世界の中で生きている。
どうしようもない厳しい現実の中で見せる、子供らの暗い目、悲しい目を見ると、せつなさに胸を打たれる。
売春で生計を営む母親と一緒の廓舟生活、もちろん姉弟は学校へも通っていない。
貧しいながらも温かい両親のいる信雄の家に憧れる姉弟。
「ノブちゃんのお母さんは石鹸のニオイがする」
「こんな普通の家だったらいいなあ・・」
姉弟が幸せな時間を過ごしている最中、突然入ってきたお店の客が「廓舟の子や」 と、心無いセリフを口にする。
下をうつむいてコブシを握りしめ、必死で屈辱に耐えるきっちゃん。
それを見た信雄の父は客を追い出す。
なかなかショックから立ち直れないきっちゃんを何とか慰めようと、父はやおら手品を始めた。
3つのオチョコのうちの1つに小さな玉を入れて当てさせる他愛のない手品だが
子供達はいつしかオチョコの手品に目をキラキラさせて夢中になっている。
きょうの映画の中で1番泣けてしまったシーンだ。
色々な事を、理屈抜きで肌で感じさせられる映画だった。
きっちゃんの姉・銀子が、土門拳の写真集 『筑豊の子ども達』 の 「るみえちゃん」 にそっくりだったのも、ただの偶然では無かったような気がする。
信雄の父親役、田村高廣もいい味を出していた。
舞台となった安冶川の最西端、端建蔵(はたてぐら)橋付近を、改めて歩いてみたいと思った。
おわり