※ 優雅にお抹茶を戴く山崎七段。
『結構なお点前でごんす』 クリック♪
昨日(9月18日)は綾部へ行く。
今回は山崎七段にも声をかけ、3人で10時に出発。
「アレ? きょうは弟子の子達と一緒にハイキングなのかなあと思ってました」
Nの言葉足らず&説明不足は今も相変わらずだ
中国道から舞鶴道へ乗りかえる。
車中ではなぜか食べ物の話しばっかり。
「いやあ、香川のうどんはオイシイっすよ♪」
トッピングは卵くらいにおさえて、1日に3軒ほどの割で讃岐うどんのハシゴをしたらしい。
「徳島のうどんも美味しかったけど、讃岐うどんとはまた全然違いますね」
麺にこしがあって噛み心地もしっかりしている讃岐うどんに比べ、徳島のうどんは麺が柔らかくツルツルツルーと入っていく感じなのだそうだ。
話しを聞いていると、どうも たらいうどん の事のようだった。
あとは豆乳から豆腐料理の話し。
「豆乳って飲んだ事ないけど、オイシイの?」
「スーパーとかで売ってるようなのは甘くてオイシイですけど、成分無調整の豆乳は飲めないですねー」
「へえ、どんな味?」
「ウ~ン、味ですかぁ・・・・味って無いんですよね」
「え?」
「甘みも味もなんにも無くて、全然オイシクなかったっすよ」
私は甘いのがニガテだから丁度いいかも知れない。
綾部ICで降り、由良川を見ながら12時前に95邸へ到着。
三平さんが迎えて下さり家へ入る。
「山崎さん、こんなの見た事ないでしょ?」
95さんが、かなり古そうな将棋の本を差し出す。
『名人戦私記 勝負に生きる~金子金五郎』
『棋界風雲児 升田八段~樋口金信』
『棋道半世紀 ~関根金次郎』
『紳士會報』 という、大昔の詰めパラのようなのもあり、山崎七段が熱心に見入っていた。
「さーて。 それではそろそろ行きましょうか」
95さんの運転で、まずは昼食を食べに行く。
最近になって見つけたという、大本教の敷地内にある大きな食堂だった。
「信者さんでなくてもいいんですか?」
「誰でも構わないらしいですよ」
小さなおかずが沢山ついたカレー定食かカツ重が選べる。
Nと私はカレー、山崎七段はカツ重を選ぶ。
Nがなぜか子供用の小さなスプーンを持ってきたので、最後まで食べにくかった。
「次は野菜を貰いに行きますよー」
再びクルマに乗り込んで着いた先は、以前にもお邪魔したことのある、95さんの奥様のご実家の畑だった。
「コンニチワー、よくいらっしゃいました」
95さんの奥様とソックリな声が聞こえると思ったら、奥様の妹さんだった。
小柄なお母様はきょうも元気いっぱい。
「マンガンジ、たくさんあるからドンドン採ってや」
ハサミを貰ってチョキンチョキンやっていると、隣りのウネではナスの収穫を楽しんでいる様子。
「大きい葉っぱだなあ! これ何ですか? キャベツ??」
山崎七段の指差すほうを見ると、これ だった。
「これはなあ、サトイモの葉っぱで、下にようけサトイモがついてるんよ」
「へえ! これ里芋っすか?! ボク里芋メチャクチャ好きなんですよ」
そんなに好きなら姿ぐらい覚えておいて欲しい・・・
私はまじめにマンガンジの収穫に励む。
家庭科の先生という妹さんからは、里芋のオイシイ戴き方やソウメンチャンプルーの作り方の秘訣を教わった。
「いやあ、聞いてるだけでヨダレが出そうです」
「そうですか? 家ではいつも、 (どうやってこの大量の野菜を処理するべきか!) と、毎日が戦いなんですよ」
これは切実でもありゼイタクな悩みでもある
お母様の手の中で無造作に剥かれた小さなメロンがとんでもなく美味しかった♪
ツヤツヤの色鮮やかなナス、キャベツ、万願寺をたっぷりとオミヤゲに頂いて車へ積みこむ。
「どうもお世話になりました」
「また来て下さいね」
休む間もなく次に到着したのは、以前Oさん宅でお会いしたS田さんのお宅だった。
大きなお家で、玄関先の太い柱は桜の木だった。
中へ通されると、ツヤツヤとした真っ黒な板張りや柱が目に飛び込む。
広いテーブルに皆が座ると、「皆さん、お昼は何時ごろ食べられましたか?」
なんだろうと思っていると、奥様が特大のピザを運んで来られた。
(キャ~)
もちろん手作り。
S田さんがハサミでジョキジョキ切って下さる(このシーンがまたオイシソウで思わずゴクリとなる)
S田さんは素晴らしい技術を持った野菜作りのプロで、できた野菜はホテルなどにも卸されるらしい。
きょうのピザにも、赤や黄色の パプリカ が楽しそうに散りばめられている。
チーズもたっぷりで、本当にウットリしてしまうほどオイシイ
(こんなピザを弟子の子たちに振舞ったらみんなどんなに喜ぶだろうなあ。 奥さんスゴイッ!! って思ってくれるかなあ。 あ、でも家オーブン無いし・・・仮に作ったとしても、きっと数秒であっという間に無くなっちゃうだろうなあ)
こんな事をツラツラ考えながら食べる。
パプリカの自家製ピクルスも登場。
アッサリ派の山崎七段が 「これオイシイですね」 とパクパク。
ピーチ味のワインも飲みやすく、下戸の私もゴクンゴクン。
そのあと全員で外に出て、パプリカの生る大きなビニールハウスを見学させて頂く。
今はオランダ産のものが多く、ピンク色のパプリカというのもあるそうだ。
帰りしな、キレイに瓶詰めされたピクルスや採れたてのパプリカを頂いてお暇をする。
それまで物静かだった奥様が、急に大きく両手を振り回して送って下さったのでビックリ
ありがとうございました。
今度はアンチョビ持参で来ますので、またあのチーズたっぷりのピザを食べさせて下さい♪
「さあ、もう和尚さんがお待ちかねでしょう」
上林(カンバヤシ)の上林禅寺へ向かう。
お寺へ着いて、久しぶりの黒川禅師にあいさつ。
その後、和尚さんの車について 水源の里・市志集落へと向かう。
20分ほど走り、ひなびた山間の村へ到着。
小さな橋を渡る時、‘火の用心’と書かれたタスキを肩からかけた年配の女性が、カチーンカチーンと拍子木を打ちながら歩いているのにすれ違う。
(へえ! 何だかすごいなー)
透明な山水がコポコポと音をたてて流れる水路沿いには、古い民家がポツンポツンと立ち並び、時折り、腰の曲がったお年寄りの姿がチラリと見える。
ここは五泉町市志集落(イイズミチョウ イチシシュウラク)で、全国で初めて ‘限界集落’を対象とした条例制定を受けている土地との事だった。
限界集落
「ここに住んでいるのは70以上のお年寄りばかりなのですよ」
都会に出れば便利な暮らしができるのは百も承知だが、この歳になって住み慣れた土地を離れることは、やはりどうしても出来ない。
どんなに不便でもやっぱりここで暮らしていくしかないのだというお年寄り達にとって1番大きな問題なのは、病院や公共の機関が遠いという事。
高齢ゆえ、車を運転できない人も多い。
そこで、病院や郵便局などにお年寄りを連れていくボランティアの人達が現在20人ほど存在するらしい。
「隣り近所の人達に毎回クルマを出して貰うというのも、結構気が引けるものなんですよ」
確かにそうだろう。
どんなに親しくても、毎回毎回では頼むほうも気が重い。
和尚さんも、このボランティアに参加していらっしゃるとの事。
生半可な気持ちでは絶対にできない事だが、お年寄りの方々にとってはどんなにか心強い存在だろう。
ふと後ろを振り返ると、三平さんとNと山崎七段が川原に下りている。
顔を洗ったり手で水をすくって飲んだり・・・
気持ちよさそうだが、生水を飲んでも大丈夫なのだろうか
「それではそろそろ行きましょうか」
クルマに乗り込み、来る途中で少し立ち寄った『素のまんま』 へ。
ここは農家民泊という形式の家で、都会暮らしの若者やファミリーがたくさん泊まりに来るのだそうだ。
つい2,3日前にも、東京からのお客さんが泊まっていたらしい。
お料理はもちろん、すべての事を美人の奥様1人が切り盛りされているようだった。
特別しつらえの茶室へ通され、本格的なお点前を戴く。
山崎七段も堂々と(?)お茶席を楽しんでいた。
中庭に、奥様自作の句が彫られた石碑を発見。
‘大国も小国もなし むらさきの都忘れに 核の雨降る’
(核??) と思っていると、ちょうどチェルノブイリの事故があった時に作られたものとの事だった。
風流な水源の里で一瞬キリリと襟を正す。
清水の中で涼しげに咲くカキツバタをバックに皆で記念撮影。
そばクッキーのオミヤゲを頂いてお暇をする。
とっぷりと日も暮れ、山の上には黄色い上弦の月が出ていた。
上林禅寺へ到着。
夜なので、楽しみにしていた凶暴なニワトリ君との面会は叶わなかった。
部屋へ通されると、なんと、お膳いっぱいにキレイなご馳走が並んでいる
揚げ物、ゴマ豆腐、冷やし汁、佃煮、イチジクのシロップ煮、それに今年採れたばかりというツヤツヤの新米♪
ゴマ豆腐以外はすべて奥様の手作りだろう。
どれも手のこんだ丁寧なお料理で、当然のことながら我が家とは大違いだ。
新米のおいしさも格別だった。
食後、「きょうはこんなものをお見せ致しましょう」 と、和尚様が何やら小さな風呂敷包みのようなものを取り出す。
中から出てきたのは、大中小重ねられた塗りのお椀。
「こうやっていつも自分の食器を持ち歩くのですよ。 仕舞う時はこうやって重ねられるし、便利でしょ」
ニコニコしながら話されるが、私は以前にたまたま読んだ本で、修業僧がこの器を作法どおりに使って食べられるようになるまでが如何に大変であるかという事を知っていた。
早速和尚さんに聞いてみると、「そうですね。 でも、お給仕の方がもっと大変で、その係りが回って来るとみんな気が重かったですねえ」
やはり細々とした決まりごとがあるらしく、それを間違えると先輩からこっぴどく叱られるらしい。
「でも、叱られるからこそ覚えられるんですよ。 叱られなかったら絶対に覚えられません」
そのほか、座禅の時などに使う ‘警策(キョウサク)’ も見せて頂く。
これも今回初めて目にしたのだが、想像していたものとの余りの違いに飛び上がる。
私が長年勝手に思い浮かべていたのは、かなり平べったい薄い竹のようなものだったが、実際に手にとってみるとこれはほとんど木刀!
思いっきり頭を叩けば間違いなく死にそうだ。
「私は出来が悪かったせいか、1番よく叩かれましたねえ」
アッサリと仰るが、これは相当痛いだろう。
「音が出る時はあまり痛くないんです。 逆に音がしない叩き方だと痛くってねえ」
経験してみたいようなしたくないような・・・
話しは尽きないが、夜もトップリと暮れ、そろそろお暇の時刻となった。
和尚様と奥様に心からお礼を言ってクルマに乗り込む。
クマ、クロ、シロ(犬の名前)に吠えられながら上林禅寺をあとにする。
95邸へ戻ると奥様は留守で(お子さんの送迎らしかった)、ちびまるこのトイレットペーパーを勝手に持ち帰ることになってしまった(いつも95邸のトイレにあって前から欲しかった。 きょうどーしてもガマン出来なくて、1ロール勝手に盗んでしまったのだ。 ゴメンナサイ)
山崎七段と3人で車に乗りこみ95邸をあとにする。
今回も、楽しさ盛りだくさんの楽しい1日をありがとうございました。
9時半過ぎに清荒神へ到着。
もう遅いので、山崎君はピクルスとピザの残りを持ってそのまま電車で帰宅。
お疲れ様でした。
おわり
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昨日(9月18日)は綾部へ行く。
今回は山崎七段にも声をかけ、3人で10時に出発。
「アレ? きょうは弟子の子達と一緒にハイキングなのかなあと思ってました」
Nの言葉足らず&説明不足は今も相変わらずだ
中国道から舞鶴道へ乗りかえる。
車中ではなぜか食べ物の話しばっかり。
「いやあ、香川のうどんはオイシイっすよ♪」
トッピングは卵くらいにおさえて、1日に3軒ほどの割で讃岐うどんのハシゴをしたらしい。
「徳島のうどんも美味しかったけど、讃岐うどんとはまた全然違いますね」
麺にこしがあって噛み心地もしっかりしている讃岐うどんに比べ、徳島のうどんは麺が柔らかくツルツルツルーと入っていく感じなのだそうだ。
話しを聞いていると、どうも たらいうどん の事のようだった。
あとは豆乳から豆腐料理の話し。
「豆乳って飲んだ事ないけど、オイシイの?」
「スーパーとかで売ってるようなのは甘くてオイシイですけど、成分無調整の豆乳は飲めないですねー」
「へえ、どんな味?」
「ウ~ン、味ですかぁ・・・・味って無いんですよね」
「え?」
「甘みも味もなんにも無くて、全然オイシクなかったっすよ」
私は甘いのがニガテだから丁度いいかも知れない。
綾部ICで降り、由良川を見ながら12時前に95邸へ到着。
三平さんが迎えて下さり家へ入る。
「山崎さん、こんなの見た事ないでしょ?」
95さんが、かなり古そうな将棋の本を差し出す。
『名人戦私記 勝負に生きる~金子金五郎』
『棋界風雲児 升田八段~樋口金信』
『棋道半世紀 ~関根金次郎』
『紳士會報』 という、大昔の詰めパラのようなのもあり、山崎七段が熱心に見入っていた。
「さーて。 それではそろそろ行きましょうか」
95さんの運転で、まずは昼食を食べに行く。
最近になって見つけたという、大本教の敷地内にある大きな食堂だった。
「信者さんでなくてもいいんですか?」
「誰でも構わないらしいですよ」
小さなおかずが沢山ついたカレー定食かカツ重が選べる。
Nと私はカレー、山崎七段はカツ重を選ぶ。
Nがなぜか子供用の小さなスプーンを持ってきたので、最後まで食べにくかった。
「次は野菜を貰いに行きますよー」
再びクルマに乗り込んで着いた先は、以前にもお邪魔したことのある、95さんの奥様のご実家の畑だった。
「コンニチワー、よくいらっしゃいました」
95さんの奥様とソックリな声が聞こえると思ったら、奥様の妹さんだった。
小柄なお母様はきょうも元気いっぱい。
「マンガンジ、たくさんあるからドンドン採ってや」
ハサミを貰ってチョキンチョキンやっていると、隣りのウネではナスの収穫を楽しんでいる様子。
「大きい葉っぱだなあ! これ何ですか? キャベツ??」
山崎七段の指差すほうを見ると、これ だった。
「これはなあ、サトイモの葉っぱで、下にようけサトイモがついてるんよ」
「へえ! これ里芋っすか?! ボク里芋メチャクチャ好きなんですよ」
そんなに好きなら姿ぐらい覚えておいて欲しい・・・
私はまじめにマンガンジの収穫に励む。
家庭科の先生という妹さんからは、里芋のオイシイ戴き方やソウメンチャンプルーの作り方の秘訣を教わった。
「いやあ、聞いてるだけでヨダレが出そうです」
「そうですか? 家ではいつも、 (どうやってこの大量の野菜を処理するべきか!) と、毎日が戦いなんですよ」
これは切実でもありゼイタクな悩みでもある
お母様の手の中で無造作に剥かれた小さなメロンがとんでもなく美味しかった♪
ツヤツヤの色鮮やかなナス、キャベツ、万願寺をたっぷりとオミヤゲに頂いて車へ積みこむ。
「どうもお世話になりました」
「また来て下さいね」
休む間もなく次に到着したのは、以前Oさん宅でお会いしたS田さんのお宅だった。
大きなお家で、玄関先の太い柱は桜の木だった。
中へ通されると、ツヤツヤとした真っ黒な板張りや柱が目に飛び込む。
広いテーブルに皆が座ると、「皆さん、お昼は何時ごろ食べられましたか?」
なんだろうと思っていると、奥様が特大のピザを運んで来られた。
(キャ~)
もちろん手作り。
S田さんがハサミでジョキジョキ切って下さる(このシーンがまたオイシソウで思わずゴクリとなる)
S田さんは素晴らしい技術を持った野菜作りのプロで、できた野菜はホテルなどにも卸されるらしい。
きょうのピザにも、赤や黄色の パプリカ が楽しそうに散りばめられている。
チーズもたっぷりで、本当にウットリしてしまうほどオイシイ
(こんなピザを弟子の子たちに振舞ったらみんなどんなに喜ぶだろうなあ。 奥さんスゴイッ!! って思ってくれるかなあ。 あ、でも家オーブン無いし・・・仮に作ったとしても、きっと数秒であっという間に無くなっちゃうだろうなあ)
こんな事をツラツラ考えながら食べる。
パプリカの自家製ピクルスも登場。
アッサリ派の山崎七段が 「これオイシイですね」 とパクパク。
ピーチ味のワインも飲みやすく、下戸の私もゴクンゴクン。
そのあと全員で外に出て、パプリカの生る大きなビニールハウスを見学させて頂く。
今はオランダ産のものが多く、ピンク色のパプリカというのもあるそうだ。
帰りしな、キレイに瓶詰めされたピクルスや採れたてのパプリカを頂いてお暇をする。
それまで物静かだった奥様が、急に大きく両手を振り回して送って下さったのでビックリ
ありがとうございました。
今度はアンチョビ持参で来ますので、またあのチーズたっぷりのピザを食べさせて下さい♪
「さあ、もう和尚さんがお待ちかねでしょう」
上林(カンバヤシ)の上林禅寺へ向かう。
お寺へ着いて、久しぶりの黒川禅師にあいさつ。
その後、和尚さんの車について 水源の里・市志集落へと向かう。
20分ほど走り、ひなびた山間の村へ到着。
小さな橋を渡る時、‘火の用心’と書かれたタスキを肩からかけた年配の女性が、カチーンカチーンと拍子木を打ちながら歩いているのにすれ違う。
(へえ! 何だかすごいなー)
透明な山水がコポコポと音をたてて流れる水路沿いには、古い民家がポツンポツンと立ち並び、時折り、腰の曲がったお年寄りの姿がチラリと見える。
ここは五泉町市志集落(イイズミチョウ イチシシュウラク)で、全国で初めて ‘限界集落’を対象とした条例制定を受けている土地との事だった。
限界集落
「ここに住んでいるのは70以上のお年寄りばかりなのですよ」
都会に出れば便利な暮らしができるのは百も承知だが、この歳になって住み慣れた土地を離れることは、やはりどうしても出来ない。
どんなに不便でもやっぱりここで暮らしていくしかないのだというお年寄り達にとって1番大きな問題なのは、病院や公共の機関が遠いという事。
高齢ゆえ、車を運転できない人も多い。
そこで、病院や郵便局などにお年寄りを連れていくボランティアの人達が現在20人ほど存在するらしい。
「隣り近所の人達に毎回クルマを出して貰うというのも、結構気が引けるものなんですよ」
確かにそうだろう。
どんなに親しくても、毎回毎回では頼むほうも気が重い。
和尚さんも、このボランティアに参加していらっしゃるとの事。
生半可な気持ちでは絶対にできない事だが、お年寄りの方々にとってはどんなにか心強い存在だろう。
ふと後ろを振り返ると、三平さんとNと山崎七段が川原に下りている。
顔を洗ったり手で水をすくって飲んだり・・・
気持ちよさそうだが、生水を飲んでも大丈夫なのだろうか
「それではそろそろ行きましょうか」
クルマに乗り込み、来る途中で少し立ち寄った『素のまんま』 へ。
ここは農家民泊という形式の家で、都会暮らしの若者やファミリーがたくさん泊まりに来るのだそうだ。
つい2,3日前にも、東京からのお客さんが泊まっていたらしい。
お料理はもちろん、すべての事を美人の奥様1人が切り盛りされているようだった。
特別しつらえの茶室へ通され、本格的なお点前を戴く。
山崎七段も堂々と(?)お茶席を楽しんでいた。
中庭に、奥様自作の句が彫られた石碑を発見。
‘大国も小国もなし むらさきの都忘れに 核の雨降る’
(核??) と思っていると、ちょうどチェルノブイリの事故があった時に作られたものとの事だった。
風流な水源の里で一瞬キリリと襟を正す。
清水の中で涼しげに咲くカキツバタをバックに皆で記念撮影。
そばクッキーのオミヤゲを頂いてお暇をする。
とっぷりと日も暮れ、山の上には黄色い上弦の月が出ていた。
上林禅寺へ到着。
夜なので、楽しみにしていた凶暴なニワトリ君との面会は叶わなかった。
部屋へ通されると、なんと、お膳いっぱいにキレイなご馳走が並んでいる
揚げ物、ゴマ豆腐、冷やし汁、佃煮、イチジクのシロップ煮、それに今年採れたばかりというツヤツヤの新米♪
ゴマ豆腐以外はすべて奥様の手作りだろう。
どれも手のこんだ丁寧なお料理で、当然のことながら我が家とは大違いだ。
新米のおいしさも格別だった。
食後、「きょうはこんなものをお見せ致しましょう」 と、和尚様が何やら小さな風呂敷包みのようなものを取り出す。
中から出てきたのは、大中小重ねられた塗りのお椀。
「こうやっていつも自分の食器を持ち歩くのですよ。 仕舞う時はこうやって重ねられるし、便利でしょ」
ニコニコしながら話されるが、私は以前にたまたま読んだ本で、修業僧がこの器を作法どおりに使って食べられるようになるまでが如何に大変であるかという事を知っていた。
早速和尚さんに聞いてみると、「そうですね。 でも、お給仕の方がもっと大変で、その係りが回って来るとみんな気が重かったですねえ」
やはり細々とした決まりごとがあるらしく、それを間違えると先輩からこっぴどく叱られるらしい。
「でも、叱られるからこそ覚えられるんですよ。 叱られなかったら絶対に覚えられません」
そのほか、座禅の時などに使う ‘警策(キョウサク)’ も見せて頂く。
これも今回初めて目にしたのだが、想像していたものとの余りの違いに飛び上がる。
私が長年勝手に思い浮かべていたのは、かなり平べったい薄い竹のようなものだったが、実際に手にとってみるとこれはほとんど木刀!
思いっきり頭を叩けば間違いなく死にそうだ。
「私は出来が悪かったせいか、1番よく叩かれましたねえ」
アッサリと仰るが、これは相当痛いだろう。
「音が出る時はあまり痛くないんです。 逆に音がしない叩き方だと痛くってねえ」
経験してみたいようなしたくないような・・・
話しは尽きないが、夜もトップリと暮れ、そろそろお暇の時刻となった。
和尚様と奥様に心からお礼を言ってクルマに乗り込む。
クマ、クロ、シロ(犬の名前)に吠えられながら上林禅寺をあとにする。
95邸へ戻ると奥様は留守で(お子さんの送迎らしかった)、ちびまるこのトイレットペーパーを勝手に持ち帰ることになってしまった(いつも95邸のトイレにあって前から欲しかった。 きょうどーしてもガマン出来なくて、1ロール勝手に盗んでしまったのだ。 ゴメンナサイ)
山崎七段と3人で車に乗りこみ95邸をあとにする。
今回も、楽しさ盛りだくさんの楽しい1日をありがとうございました。
9時半過ぎに清荒神へ到着。
もう遅いので、山崎君はピクルスとピザの残りを持ってそのまま電車で帰宅。
お疲れ様でした。
おわり