ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

776      丹波恐竜

2007-09-08 21:22:43 | Weblog
※ 怒られつつ食べるわらび餅。
  姿勢も悪いぞ。
  クリック♪


きょうは午前中からH・M君とお父さんが来る。
2名の振りかえレッスンが終わってから外出。

少々曇っているが相変わらず暑い。
きょうはJR谷川方面を目指すことになった。
右手に雑木林、左手には迫力ある武庫川の渓谷美が迫る77Rを走る。
福知山線から見える大好きな景色、その真っ只中にいるのだと思うとワクワクする♪

前方左手に、赤茶色の屋根が見えてきた。
「あ、あれなんだろう!  停めて停めて」

降りてみると、『山南町  川代公園』 と書かれており、その先には篠山川に架かる大きな吊り橋が見える。
(ヒャッホー♪)
吊り橋は長さ90m、幅1,5m。
高さもほどほどにあってほど良いスリル感だ。
橋を渡りきると小さな休憩所やトイレがあり、4,5人の中年男性のグループが一服していた。
途中、薄気味の悪い実の生る木を発見
明日アップしようと思う。

車に戻ってもうしばらく進んだところで、「え!? 恐竜??」 とNが小さく叫ぶ。
ん?と思いつつ前方を見ると、道路の向こう側を20人ほどのグループがゾロゾロ歩いていくのが見えた。
田んぼの横に大きな看板が出ている。

『恐竜化石発見の里  ティタノサウルス類丹波竜  2006年8月7日』

ギャー!!  ウッソォ~~~

‘恐竜駐車場’と書かれた空き地にクルマを停め、高鳴る胸を抑えながら歩き出す。
見事な黄金色に染まった田んぼや、福知山線の単線レールを越して進んでいくと、『旧上久下村営水力発電所跡地』 というのがあった。
昭和30年代まで機能していたというこの朽ちかけたレンガの建造物は、すっかり時代に取り残された廃屋のムードたっぷりだった。
説明板を見ながら写真を撮っていると、「あの・・あちらにおられる団体で来られた方ですか?」 と突然声がかかる。
びっくりして振り向くと、きちっと制服を着こんだ初老の男性だった。
「あ、いいえ。 違うんですけど・・・」

「そうですか、違うんですか。 いや、ちょうど今 『兵庫県立 人と自然の博物館』 の先生がいらして説明をされておりますので、せっかくですからどうぞお聞きになって下さい」

それは有難い♪
お礼を言って一目散に駆け出してNを追い越し、人だかりの方へと向かう。

ゴツゴツした岩が連なる渓谷を見下ろす一角に、先ほどの団体さんが集まっていた。
中央には、ちょっと筑紫哲也似の男性がスピーカー片手に説明の真っ最中。
ジリジリと照りつける真昼の太陽の下、ダラダラと汗を流しながら聞き入る。
「・・・この、尻尾の先と頭の部分の骨が一緒に現れたという事はどうゆう事か判りますか? それはですね、恐竜が死ぬ時、こう(のけぞった格好をして)仰向けに倒れて死んでいったという事ですよ」
(へー!!  なるほど!!!)
リアルな説明に思わず鳥肌が立つ。

「次回の発掘作業は川の水が減る11月からになりますが、これからかなりのモノが見つかると思います。 全部発見されるまでにはまだまだ長い時間がかかると思いますが、(そばの小学3年生くらいの男の子を指して) ボクが高校生くらいになっている頃かも知れないね」

説明を聞いたあと、真下に見える川をのぞきこんだ。
すぐ下の大きな岩の一部にロープが張られ、白い覆いがかけられている。
思っていたよりはずいぶん狭い気もしたが、ここに推定20メートルの恐竜が実際にいたのだと言われると、スーッと過去に吸い込まれるような、何とも言えない気分になる
仰向きながら倒れていったという丹波恐竜。
なんてロマンチックでダイナミックな世界なのだろう

すっかりシアワセな気分になって駐車場へ戻る。
団体さん達はこの後 『人と自然の博物館』 へ向かうため大型バスへ乗り込んでいた。
私も行きたかったが、根性の無いNに、「また今度の機会にしよう」 と言われ諦める。

クルマが走り出して間もなく、‘恐竜グッズ Tシャツ せんべい’ と書かれた小さな貼り紙が目に入る。
入り口に野菜のダンボール箱などが無造作に積まれる、鄙びたスーパーだった。
思わず 「停めて停めてっ!!」
Nは恐竜の絵のついたキーホルダー。
私は恐竜せんべいと、水につけると恐竜が生まれる卵のオモチャを買った


その後、すぐ先の下滝駅付近を走っていると、突然見覚えのある景色に出た。
「あ! 私この辺に来たことあるよ」
去年の寒い時期、1人でグルグルと歩き回ってお寺 (常勝寺) へ辿りついた事を思い出した。
歩いた道をクルマでなぞりながら進んで行くと 『首切地蔵尊』 の標識が目に入る。
「そうそう。 首切地蔵ってなんやろうと思ったんやけど、遠くて行けなかったんだ」


地蔵尊までは4キロほどなので行ってみる事にする。
常勝寺までの見覚えのある景色を過ぎると、そこから先は山道になっていた。

‘首切地蔵尊’ と書かれた赤い提灯のぶら下がる入り口に到着。
思っていたよりもずっと大きいお寺のようだ。

駐車場そばには ‘本わらび餅’ と書かれた 『地蔵茶屋』という休憩所もある。
「あとで寄ろうね」

地蔵尊に向かう石段の両脇にはノボリや提灯がズラリと並び、どれにも ‘首切地蔵尊’ と書かれていてちょっとブキミだ。
あちこちに鎮座する首の無い岩のかたまりに、合格祈念や家内安全などの願い事が書き込まれたヨダレカケが掛かっている。
私達の他に人影はなく(いつもほとんどそうだけど)、夜、肝試しに来るには絶好の場だと思った。

再び石段を降り、先ほどの地蔵茶屋へ入る。
中ではオバアサンが1人でしきっており、Nはわらび餅、私はお抹茶を注文した。
注文品が出される前に、「このお茶は1回分ずつに分けて入っているからとても便利ですよ」 と、テーブルにウメボシ茶の缶を出される。
ヘエと見ていると、「これはね、一生使える日めくり」 と言いつつ、ナントカ寺のご住職が描いたという絵と文が印刷された小さなカレンダーも持ってきた。
コチラは気に入ったので1冊買って帰ることにする。
「あら、そんな売りつける気持ちで出したんじゃなかったんやけど・・」

(本当にそうかあ? オバアチャン・・・

そのあとNのわらび餅が出る。
お皿に乗ったわらび餅をNが食べようとすると、「あ! 違う違う。 まず小皿に取り分けて」
言われたとおり小皿に乗せようとすると、「だめだめ、切ってから切ってから」
だんだん萎縮するN。
言われた通りにお餅を切って、それに黒蜜をかけようとすると又もや、「違うっ!! それを小皿に乗せないとっ!!」
私は可笑しくて可笑しくて、もうガマンの限界だった

「ハイ、お待ちどうさま」
私の注文したお抹茶に付いているお干菓子が来た。
背後にオバアチャンの視線を感じつつ、少々緊張しながら口に入れる。
(ヒエ~~、あっま~~~~~~
こんなに甘ったるい干菓子は初めてだ。
(どうしよう、食べられないよ・・・・クスンクスン)

お抹茶を待っているとカウンターから声が飛ぶ。
「先にお菓子を食べてちょうだいね!」
(ハア・・・やっぱり)
仕方がないので、オバアチャンが見ていない隙にサッとお干菓子をハンカチの間へ滑り込ます
この間、店内にはズーッと ‘しなーやかーに歌って~、さびしい時は~♪’ と、山口百恵の古い曲が流れていた。


叱られ叱られ食べ終えながら、ようやく 「ごちそう様」 を言って席を立つと、「あら、その腕どうしました? なんのケガ?」
私が腕につけた手袋を見て、オバアチャンが心配顔で尋ねる。
包帯と間違えたようだ。
ちょっとおせっかいだけど、本当は心優しい人なのかも知れない(商魂逞しいけれど)

帰り道、新鐘ヶ坂トンネルを通りながら言い合いになる。
Nは500メートルだと言い、私は50メートルの間違いだろうと反論。
家へ帰ってトンネル入り口の写真をみるとNが正しいようだった。
たまには私も間違う。

途中、千刈水源地で休憩。
車の中でグッスリ眠りこんでしまい、気が付くと6時半。
辺りはすっかり暗くなっていた。


今夜は坪井5級が泊まり。

おわり

 
コメント (6)
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