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逆風に抗して Against the wind,♪ we are running against the wind.♪
ここではないどこかへ。モモンガーの旅
2018年に横浜から信州にUターン
自転車と日々の生活を
綴ります。
 



35歳と非常に遅い時期にUCLAの大学院に入学したので、同級生には10歳も若い人が半数近く。そんな中、4歳下と比較的歳が近かったAさん。メーカー勤務と言う事もあり、一緒にスキーに行ったり、パーティーに出かけた思い出がある。10数年ぶりに東京で同級会をやることになり、10人程度が出席することになったのだが、彼はLA在住の為、出席できず、近況をメールで伝えてきていた。

何気なく、TVのニュースを流していたら、特徴的名前が飛び込んできた。ネットで調べると、感謝祭週末に旅行に出かけ、事故に会われ、ご夫妻ともなくなったとのこと。

65歳になり、日本に帰ってくることも考えたいと言っていたのに。
来年あたり、東京での再会を期待していたのだが、、、、、ご冥福をお祈りするしかない。



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少年時代の憧れは物理学者だった。大学に入り、「ファインマンの物理学」を原書で読むゼミを取ったのだが、自分より遥かに頭の良いやつが居ることに気付いたのと、1050人中1000番というみじめな成績から、物理学への夢は儚く潰え去ったのであった。

そんな夢が破れた時から50年後、きちんと夢を追求している人/清水敏文氏の話を市民講座で聞くことができた。



最新の観測結果と理論による太陽の構造理解を説明していただき、面白い講演であった。


特に、最近太陽活動が不活発になっていることと、マウンダー極小期と小氷期に関する部分は興味深かった。

(Wikipedia より)



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霜が降りると大量の落葉が庭に降って来る。そのままにしておくと、空っ風で吹き飛んで、ご近所に迷惑をかける。伸びた枝も刈り払わないとこれもご近所迷惑だ。横浜でも、お隣からのケヤキの落葉の処理に困り、時々狭い庭で焚火をしていた。市街化調整区域で、お隣と2軒だけなので我家もお互い様だとあまり気にしていなかったが、隣家では最近、煙や匂いによるご近所迷惑を気にして、落葉専用の網付き燃焼器を導入して焚火をしていた。
田舎で、かつ隣家と焚火の間は10数m離れてはいるが、天候と風向きを考慮して溜まった枝や落葉を今日焚火することにした。


とは言え、なるべく焚火の量を減らし、なおかつ栄養を収奪した畑の地力を回復すべく、落葉のみの部分はできるだけ畑に埋めることにした。


上からコンポストで半堆肥化した生ゴミも投入し、上から土を掛けて置いたが、春までに堆肥化してくれるか?



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既に3回移設された周波数変換機の説明に続いて、桃山発電所の説明。桃介は合理主義者ではあったが、発電所の外観にも気を使って、そこここにアールヌーボー調の装飾がある、、、、の説明の後、いよいよ見学。

先ずは寝覚発電所のすぐ下流にある取水口から。発電所建屋左下の石積みの構造物が取水ゲート。今日は雨の後なので、かなりの量の水があふれ、本流に放流されている。


取水口から数km下流に下り、いよいよ桃山発電所へ。対岸から発電所を眺める。



で、いよいよ普通は入れない発電所内へ。まず水圧鉄管の脇を数十m登る。約100年前の水圧鉄管は溶接ではなくリベット接続。太さも太く、近くからだと存在感がある。


調圧水槽には勢いよく水が流れ込んでいる。ここから毎秒19トン✖2台の水が80mの落差を流れ下り、水車を回す。



発電所内に降り、1万3千kWのFull出力で運転中の発電機を眺める。私だけ特別に発電機風洞の中を覗かせてもらった。



水車室は思ったりょり狭く、全景は撮影できない。


電動化された入口弁なども眺めてから、屋外へ。
アールヌーボー調の発電所建屋の横に、雨で激しく流れる木曽川本流。



関電では上松町と共同で地域住民の理解を深める為、毎年幾つかの発電所見学を行っているとのこと。機会があればまた来てみようと思わせる企画であった。



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ローカル紙に上松町主催で福沢桃介の名前から一文字取って約100年前に建設された桃山発電所の見学会の案内が載っていたので、申し込んであった。



木曽川水系の発電所は日立や三菱の機械が多いので、他社の機械を見る良い機会と出かけたら、関電さんから、桃山発電所の意外な技術遺産、100年近く前の芝浦製作所の先輩達が作った、日本で初めての大規模周波数変換機の数奇な運命を教えていただいた。


商才にたけた福沢桃介は桃山発電所の完成後すぐに、西日本向けに作り出された60Hzの電気を50Hzに換えて、東日本に売ることを考えた。今では半導体の進歩でインバーター/コンバーターを使えば周波数変換ができるのだが、100年前は24極の同期電動機で20極の発電機を回すことで、60Hzを50Hzに変換していた。で、桃介は1923年に発電所の横に、日本で初めての大規模(と言っても1万5千kVA)の周波数変換機を設置したのだという。
この機械は戦争中、50Hzと60Hzの発電機が混在し、電力不足の著しかった九州に移設されたのだが、戦後は九州の発電機も60Hzに統一され、不要の設備として打ち捨てられていたのだそうだ。

所が、1964年のオリンピックに合わせ新幹線を建設することが決まったのだが、神奈川の新幹線の実験線で新幹線を走らせるのに、大きな問題があった。実験線に来ている電気は50Hz、でも新幹線は60Hzの交流で走らせることで設計が進んでいた。60Hzの電源をどうしようと考えた時、桃山から九州に移設され、打ち捨てられていた周波数変換機の登場となったのだそうだ。


製造後40年経った所で60Hz→50Hzの変換機だったのを、50Hz→60Hzの変換機に大改造するという困難を乗り越え周波数変換機は突貫工事で完成、その結果もあり、新幹線の試運転も大成功、オリンピックの10日前に開業できた陰には、この桃山発電所の周波数変換機があったのだそうだ。

しかも、物語はここでは終わらない。この変換機はまだ4度目のお勤めをしている。国立の鉄道技術研究所で周波数変換/短絡発電機としてまだ現役で働いているのだそうだ。

4回も生まれ変わって、使われている100年近い前の機械。こんな機械を設計/製作できれば技術者冥利に尽きるだろう。



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雨が激しいので、外遊びや畑の整理ができない。
返却期限の来ている本もあるので、図書館へ。2時間ほど本を見繕ったり、雑誌を眺めて、返した以上の本を借りてしまった。頑張って2週間以内に読まなくては。

図書館に引き続いて、ふれあいセンター広丘で筋トレ。殿筋、梨状筋の動かし方に注意して、ウォーク20分、エアロバイク30分、筋トレマシン30分、ストレッチ20分をこなす。ウォークは6km/h、エアロバイクの負荷は120~140Wで、脈拍120~140BPSの間で汗をかいた。

一昨日の高ボッチが効いたのか?体重は1.5kg減の68kg。あと2~3kgは落としたいのだが。



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安曇野ミュージアム ギャラリートークリレーと題された催事:安曇野のアート展を梯子するイベントがあったので、出かけてみた。安曇野と言えば、碌山と臼井吉見だが、この2つは既に何回も訪問しているので、パス。
スタートは豊科近代美術館から。


スペイン風の図書館と併設の美術館に高田博厚の彫刻が多く収蔵されている。館内は残念ながら撮影禁止だが、中庭のコリドーは撮影OK。


2時間ほどじっくり見学させていただき、外に出れば、朝方の豪雨がウソのよう。曇ってはいるが北アルプスが姿を見せ始めた。


昼食後向かったのは、ワサビ田の上に浮かぶ山岳写真家の田淵行男記念館



山の写真と高山蝶のスケッチを沢山見た後、外に出れば、さらに、雲が切れ、有明山の左肩の向こうに、初冠雪した燕岳。


そして、次の高橋節郎記念美術館を目指して北上すれば、田んぼの向こうに、初冠雪した鹿島槍から白馬3山。やはり、雪のある北アルプスは良いね。


漆芸の高橋節郎美術館も内部は撮影禁止。



ただ、脇の築150年の生家の庭も作品と同様、心の休まる風景である。



最後はアートではなく、ヒコーキ野郎の記念館、飯沼飛行士記念館へ



日中戦争に飛び込んでいく直前、三菱重工名航で作られた純国産機で欧州まで100時間を切る世界記録で飛んだ24歳の飯沼正明の記念館と生家だ。この家も随分立派な家。


普段自転車で安曇野のアートラインとかスケッチロードとかを走ってはいるものの、数多くあるギャラリーにはご無沙汰であった。一度に多くのギャラリーを訪れて、学芸員の詳細な説明を聞ける今回の催しは私には最適のものであった。



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今日は東京から90歳半ばの義母と子、孫一家が我家を経由して上田にお墓詣りする予定であった。
所が台風19号の影響で、我家に来るには中央線は不通、そして帰りの信越道も不通のままだった。長野新幹線と中央道は何とか開通したのだが、車でのみとか、電車でのみの移動を考えると、首都圏からの信州周遊コースはまだ寸断されたままと言う訳だ。
そこで、折角計画したのだから、我家だけで、お墓参りに行くことにした。
所がお墓に着いて見ると、、、


お墓の上に、折れた大きな枝が被さり、さらに、いくつかの石塔も倒している。


刈り払い機など掃除用具を持ち、作業可能な服装はしてきたが、ここまでヒドイとは想定していなかった。仕方がないので、近所に住む親戚を訪ね、事情をお話して、ノコギリをお借りする。
幸いにして、お借りした枝落としノコが抜群の切れ味。この10数cmの枝も無事に切断できた。



で、まだ大きな枝が木に引っかかったままだが、墓石に掛かった枝はすべて取り除くことができた。


倒された石塔をもとに戻し、周りを掃除して、メインのお墓に焼香。

これも、ある種の台風災害ボランティアかと自己満足して、お墓詣りを終えることができた。

帰り道、観光地の上田城に寄ってみると、観光客は極めて少ない。



紅葉はまだだが、真田の作った城跡を眺めて、往時を偲んだのであった。



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家の台風対策はできたし、19号が直撃する心配は無くなったとは言え、半分近い県外の同窓生が参加できるかとか、色々心配はあったが、この程度の天候で中止するのはいかがなものかとの武闘派の意見で、卒業50周年の高校同窓会本体は強行することになった。
私も実行委員の一人としてお土産のクリアファイルやら、名簿の準備に協力してきた関係から、一抹の不安はありながら、是非強行してほしいと思った次第。



当初は、在校1年生の進路の指針とすべく、21回卒業生から11名の講師を立て、我々の50年間の経験を1時間にわたって講義するクラスを11組やる予定だったのが、学校自体が休校となり、予定していた講義は中止になった。実行委員会からお願いした講師達はやる気満々で、それぞれ数十枚のパワポを準備していただいただけに残念であった。

学校での記念行事は中止されたが、同窓会館での恩師3名による15分ほどの講義は実行されたし、出席予定者の3/4ほど、90余名が参加してくれたので、50周年にはちょっと寂しいが、普段の同窓会程度の盛り上がり具合にはなった。


50年前の写真のスライドを見ながら、あぁでもない、こぅでもない。



クラス毎の写真も撮影して、



宴もたけなわになった頃、女鳥羽川の氾濫危険水位警報が報じられる。会場は丘の上なので何の心配も無いが、帰り道のことが心配なので、2次会は無し。
いつもの奈良井川河岸道路ではなく、東山山麓線より一段下の道路を辿って、帰ってきた。

明けて今朝のニュースを見れば我家よりも台風の中心から離れていた北信地域の洪水が報じられていて、びっくり。結果オーライだが、ちょっと能天気だったのかもしれない。





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後でこの間の経緯を備忘録に纏めておかなくてはならないが、この4週間、7年前に骨折した、右脚股関節が強烈に痛み、七転八倒、ブログに手を出す余裕すら無い痛みに苦しめられている。

巷ではパリ-ブレスト-パリ、直江津集合とか、近場では乗鞍ヒルクライムと、自転車ライフを謳歌している人達を横目に、自業自得とは言え、脚の痛みに4週間悶絶していた。

幸い、恐れていた骨盤の損傷とか、大腿骨関節をチタン関節に換えねばならないと言ったような重大事態ではなさそうで、日常生活をしていればその内痛みは治まるでしょうとの外科医の診断である

今朝飲んだ鎮痛剤が効いている朝の内に、ここは痛い部分を無理やりにでも動かして、関節、筋肉や筋が固まらないように運動療法を試そうと漕ぎだした先は小曽部の谷。


谷の奥に入ると秋蕎麦の花が咲いている。


もう顔なじみになった軽トラハウスを作っている方と15分ほどダベッてから、岩垂原に長い下りを楽しむ。
レタス、キャベツ畑の向こうに雪のすっかり無くなった穂高連峰。


ほぼ脚の痛みは無く(鎮痛剤のおかげもあり)あまり脚に負荷は掛からない30kmを1ヶ月振り位に走れたのは、ほんとに嬉しい。
早く脚の痛みが無くなってくれると良いのだが。。。。。。



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一年前の今頃は横浜の家が売れずに鬱々としていた。
引越日を決めて荷造りを始めていたので、短冊がどこかに入ってしまい、しかたなく、綺麗な包装紙を裁断した短冊に引越が上手く行くようお願いした。
7/7当日には、雲の切れ間から星も見え、願いが叶うか?と思ったら、翌日の内覧で売却が決まった。

今年も、交通安全やら家内平安をお願いすべく、笹竹に短冊を取り付け飾ってみた。


今年も、星に願いが届いてくれることを期待しよう。



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いつも通る度に気になる、南松本駅近くのこのラーメン屋さん。
電車の線路の上に建っている。


以前はここに踏み切りがあり、南松本駅から近所の工場に貨物列車が入っていった。工場がショッピングセンターになり、踏切は数年前に廃止。でも線路は取り除かれないと思っていたら、その上にラーメン屋さんが開業した。

不思議な光景だ。



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退職者の特権、GWを避けた平日旅行で、元職場の先輩方が我家に泊まりに来てくれた。


夜半に雨が降ったが、それも上がり、晴れた空のもと、奈良井宿とか花フェスタをご案内した。その後、信州そば昼食、美ヶ原、ビーナスラインに遊びに行ってもらった。

これで、5月の来客は一段落。



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5月の連休、前半は孫家族が来訪、疲れたが、天候不順で家で孫と遊べたので良しとしよう。
後半はかっての職場の仲間がバイクツアーで訪問してくれた。バイクツアーと言っても自転車ではなく、大型バイクのツアー。


我家で一泊の後、渋滞を避ける為早朝出発。


私がお薦めした扉峠~ビーナスライン~白樺湖コースを走ったとのこと。ほとんど雲が無いピンカー晴れで、北、南、中央アルプスを堪能して帰ってもらえたようだ。



天気が良ければ、私も(自転車ではなく)走ってみたい気がする。



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この数日ぐずついた天気だったのが、午後から晴れ上がったので、野暮用を片付けるついでにロードスターでお花見。


松本歯科大の八重桜はだいぶ咲き、青空がのぞいたが、今日は時間が悪い。逆光だ。


入口の所の八重桜は満開ですね。



野暮用を済ませた頃には夕暮れ。西山の常念岳の肩に槍ヶ岳の穂先がのぞいている。



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