奈良県立民俗博物館の事業である「第4回 私がとらえた大和の民俗」写真展はこの日に終えた。
直接の写真展閲覧者数ではなく入館者は前年より上回ったという。
この日の朝。柳生に向かっている最中に携帯電話が鳴った。
同写真展で協力しているMさんからだ。
今年も旧都祁村白石の親戚からいただいたというイノコのクルミモチ。
今夜の宴に食べてもらいたいという電話である。
モチはお店で焼くわけにはいかない。
で、あればモチもクルミも分け分けしなければならない。
早めに着いて百均ショップでモチと砂糖を塗した青豆のクルミを入れるジップパックを買おうということにした。
私と云えばこの日に取材した柳生山脇垣内の山ノ口講でいただいたバラン焼きのシトギもある。
今年度のテーマは「食」だった。
協力者のみなさんに食べていただくことにしたのだ。
打合せ兼後宴の会場は大和郡山市にある西友ビルの5階にある季乃庄ダイニングだ。
昨年と同じ場所である。
自宅に居た時間帯。
場所が判らないと電話で伝えてきたSさんはそれより1時間早く着いたと云う。
ぶらぶらしているというから早めに出かけた。
予定であれば近鉄郡山行きの奈良交通バスを利用しようと思っていたが時間帯が合わない。
仕方なく徒歩で向かうことにした。
普通の速度であるいて30分。
平成27年4月に完全閉店される西友ビル前に着いた。
民博職員が事業報告ならびに次回会場の検討案を議論する。
次は結論がなかなか決められない次回テーマだ。
時間切れとなって会食が始まる1時間前。
今回に閲覧された入場者の声は今まで体験したことのある暮らしの民俗である。
行事も含めて「食」に感動した声は多かった。
が、である。
その声を反映して「食」パート2をするわけにはいかない。
「食の暮らし」にしてはどうかと云う意見もあったが、大胆に替えてみようというわけだ。
会合時間内では意見が纏まらない。
場はとにもかくも宴の場に移る。
はじめに膳が出た料理は先付けであろう。
長皿に盛られた三品。
始めに生ジョッキで乾杯をする。
三品は何の料理であろうか。
さっぱり掴めない。
注文したのは懐石コースの1。
造り盛りも配膳される。
サーモン、ハマチにサザエだ。
キモも盛ったサザエがいちばん。
コリコリする食感がたまらなく美味い。
蒸し料理のホウラク皿もある。
始まってから17分後のことだが、いち早くビールで酔ったので味は覚えていない。
肉、カボチャ、キノコ、コンニャク、タマネギ、赤ピーマンなどなどをポン酢で食べたような・・・気がする。
その間に意見交換される次回テーマの構想。
次々と出されるが・・・。
次に出てきたのは真っ黒い代物。
アンコウの皮だ。
白い肉はぶつ切り。
キモもあるアンコウ鍋は紙スキ鍋でいただく。
小さな昆布が入っていた。
固形燃料の火で出汁を沸かす。
ほどよいときにアンコウ肉を入れる。
これもポン酢でいただいたような・・・。
酒量が増えてますます覚えていない料理の味。
宴が始まって何時になったのだろうか。
動物があがった。
それなら来年の干支十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)は未だ。
年中行事に登場する十二支は丑、辰、巳、午、申、亥があるが未はない。
「大和の民俗」を大テーマにしているだけに「動物」は何にするかである。
それなら「植物」という意見もある。
伝統行事に「植物」はけっこう見られる。
代案に「女」が出た。
「女」は女性、それとも女児・・。
「女」があるなら「男」はどうする。
年寄り、中年、若者、子供・・・。
どの年層でもいいのか、である。
今回は「食」がテーマだった。
それなら衣・食・住。
今まで以上に挑戦するなら、そう考えるのも面白いが「住」は撮り難い。
写真作品にはし難い。
「衣」なら・・・。
ということで決定したが、裸は館内展示には相応しくない。
ふんどし姿は面白い、女医のユニホームも良い・・・とか云った処で時間切れ。
「衣」は「い」ではなく「ころも」としようということで終わった。
おおきな魚のカラアゲが登場した。
一瞬はオコゼかと思ったが、ソイである。
大きく口を開けたソイ料理。
骨までバリバリと食べられるが身だけにした。
汁椀やデザートも膳に出た。
時間切れ直前にお題が決まった「衣」であるが、その後の記憶がまったくない。
どうやらタクシーで帰ったようだ。
残されたレシートを見れば1040円だった。
決まったお題は「衣」。
衣で大和の民俗を表現できるかである。
悩ましきお題であるが挑戦するにはやりがいがある。
始めに思ったのは神位衣や僧侶の袈裟である。
官位によっては色が違うしいろんな形がある。
その写真を撮ってどうするの、である。
それでは単なる違いを見せるだけだ。
衣でもう一つ考えられるのが演者の姿である。
能や狂言の衣裳も面白いが著作権からみで撮ることも無理だ。
村の行事に村人が演じる能・狂言があるが、伝統行事そのものになってしまう。
たいがいの人はこれだと思うだろう。
それは避けたい。
「衣の民俗館」が名古屋にあるらしい。
参考にしたいと思ったが、やはり能・狂言もの。
結局は服飾文化や染織ものになってしまう。
大和の民俗でもなく一般的な民俗だ。
仕事衣もそうである。
寿司屋、魚屋、野菜売り、医者などのユニホーム。
それとも制服姿。
女高生の制服を集めてどうすんの、である。
では、帽子や履物は衣なのか、である。
帽子も履物もいれての衣でいくのは、それとも別のものとしてとらえるのか。
奈良県の風土を生かした着衣はないのか。
柊風舎刊の野本寛一著『衣の民俗事典』があるようだ。
普段着と仕事着・作業着をみつめられることができるであろうか・・・。
そもそも奈良大和に民族衣装はあるのか、である。
衣装を着替えることによって気持ちが変わるというものがある。
例えば念仏を唱える在家半袈裟がある。
それ一つを肩から懸けることによって身の持ち方が変化するというのである。
四国八十八カ所巡礼される人たちもそれなりの半袈裟がある。
宗派によって異なるだけでやはり一般的。
奈良の特色でもない。
季節に合わせた衣替えとう考えもある。
ふっと思いついたのが虫干しである。
またもや「干す」である。
小夫の天神社では7月22日に紙魚ぶるいと称して祭りに着用する衣服を虫干しする行事がある。
行事といっても蔵から出して境内いっぱいに広げる天日の虫干しである。
虫干しは普段着ている衣服の洗濯干しと同じである。
それは撮りやすいが小夫以外でもあるのだろうか。
そういえば11月8日の待機当番の日に来館された當麻で行われている「けはや相撲甚句」会長がいた。
相撲力士が扮するふんどし。
これを洗って干す景観はどうだろうか。
調べてみたい。
ユニホームといえば民俗行事でお気に入りに田楽を奉納される渡り衆が着る素襖がある。
地域によって染色や柄も異なる。
何年かに一度は体験される即興の楽奏。
表情もそれぞれで豊かだ。
新調された衣装もあれば古くから使われているものもある。
着用されるのは一年に一度の晴れ姿。
着古した素襖は洗濯するたびに色落ちする。
その風情がたまらなくお気に入りだ。
新調するには高額な費用がかかる。
芸能は文化財に指定されているが、装束は費用援助の対象外。
村の出費は高額になる。
近年、宝くじ協会などの援助を受けて新調された地域もある。
装束の新調は京都の専門家によって製作されるらしい。
大和郡山市櫟枝町に座の衣装箱がある。
蓋に年号が墨書されているがはっきりと読めない。
「正」の文字は認識できるが次に続く文字は不明だ。
「正」が付く年代は1644年間の「正保」や1711年間の「正徳」がある。
櫟枝では9月半ばに行われる当屋祭がある。
お渡りの出発前にごーさん札を版木で刷る。
その版木の裏には「寛永七年(1630)正月吉日 和州添上郡 櫟枝村 升屋願主」が墨書されていた。
衣装箱の側面に「櫟枝村座中」と「一老善吉」の文字がある。
判読不能である「正」年号は版木年代より推定して「正保」と思われるのだ。
歴史がある衣装箱も「衣」テーマに値すると思われた。
また、巫女さんが着こなす装束がある。
仕事に着るユニホームは里の巫女によって異なる。
『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』の調査のひとつに巫女装束の柄文様があった。
里の巫女が着用する舞衣(まいぎ)。
下着の上半身は前襦袢で、上着に白衣を身につける。
下半身の袴は緋袴(ひばかま)を着て白足袋を履く。
上着の白衣を舞衣(まいぎ)と呼ぶが、古来より継いできた巫女家によって絵柄は異なる。
三郷町の坂本家、大和郡山市若槻町の加奥家、同市小泉町の璒美川家、田原本町法貴寺の藤本家、同町蔵堂の守屋家などがある。
法貴寺の女児巫女が着る舞衣の絵柄文様は「菊」柄だ。
璒美川家の舞衣は「鶴」が舞う姿を表現した「千早(ちはや)」柄である。
加奥家や守屋家も同様の「千早(ちはや)」柄だ。
ところが坂本家の舞衣だけは特徴が見られる。
舞衣の前に長く垂らした赤と緑を前胸辺り結んで締めている。
赤と緑の文様は両ひじ・方袖や背なかにもある。
それを「五紋」と呼んでいた。
赤と緑の色は五色の垂れをつけた鈴から派生したのではと話していた。
そう話してくれた坂本さん。
古い絵馬に巫女装束が所作する神楽や御湯を作法する姿が描かれている。
古い絵馬にも現れる巫女装束も「衣」テーマであるが、写真にはし難い。
というよりも展示すれば民俗史料になるのだ。
それでは写真展にならない画材。
諦めた。
(H26.12. 7 SB932SH撮影)
直接の写真展閲覧者数ではなく入館者は前年より上回ったという。
この日の朝。柳生に向かっている最中に携帯電話が鳴った。
同写真展で協力しているMさんからだ。
今年も旧都祁村白石の親戚からいただいたというイノコのクルミモチ。
今夜の宴に食べてもらいたいという電話である。
モチはお店で焼くわけにはいかない。
で、あればモチもクルミも分け分けしなければならない。
早めに着いて百均ショップでモチと砂糖を塗した青豆のクルミを入れるジップパックを買おうということにした。
私と云えばこの日に取材した柳生山脇垣内の山ノ口講でいただいたバラン焼きのシトギもある。
今年度のテーマは「食」だった。
協力者のみなさんに食べていただくことにしたのだ。
打合せ兼後宴の会場は大和郡山市にある西友ビルの5階にある季乃庄ダイニングだ。
昨年と同じ場所である。
自宅に居た時間帯。
場所が判らないと電話で伝えてきたSさんはそれより1時間早く着いたと云う。
ぶらぶらしているというから早めに出かけた。
予定であれば近鉄郡山行きの奈良交通バスを利用しようと思っていたが時間帯が合わない。
仕方なく徒歩で向かうことにした。
普通の速度であるいて30分。
平成27年4月に完全閉店される西友ビル前に着いた。
民博職員が事業報告ならびに次回会場の検討案を議論する。
次は結論がなかなか決められない次回テーマだ。
時間切れとなって会食が始まる1時間前。
今回に閲覧された入場者の声は今まで体験したことのある暮らしの民俗である。
行事も含めて「食」に感動した声は多かった。
が、である。
その声を反映して「食」パート2をするわけにはいかない。
「食の暮らし」にしてはどうかと云う意見もあったが、大胆に替えてみようというわけだ。
会合時間内では意見が纏まらない。
場はとにもかくも宴の場に移る。
はじめに膳が出た料理は先付けであろう。
長皿に盛られた三品。
始めに生ジョッキで乾杯をする。
三品は何の料理であろうか。
さっぱり掴めない。
注文したのは懐石コースの1。
造り盛りも配膳される。
サーモン、ハマチにサザエだ。
キモも盛ったサザエがいちばん。
コリコリする食感がたまらなく美味い。
蒸し料理のホウラク皿もある。
始まってから17分後のことだが、いち早くビールで酔ったので味は覚えていない。
肉、カボチャ、キノコ、コンニャク、タマネギ、赤ピーマンなどなどをポン酢で食べたような・・・気がする。
その間に意見交換される次回テーマの構想。
次々と出されるが・・・。
次に出てきたのは真っ黒い代物。
アンコウの皮だ。
白い肉はぶつ切り。
キモもあるアンコウ鍋は紙スキ鍋でいただく。
小さな昆布が入っていた。
固形燃料の火で出汁を沸かす。
ほどよいときにアンコウ肉を入れる。
これもポン酢でいただいたような・・・。
酒量が増えてますます覚えていない料理の味。
宴が始まって何時になったのだろうか。
動物があがった。
それなら来年の干支十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)は未だ。
年中行事に登場する十二支は丑、辰、巳、午、申、亥があるが未はない。
「大和の民俗」を大テーマにしているだけに「動物」は何にするかである。
それなら「植物」という意見もある。
伝統行事に「植物」はけっこう見られる。
代案に「女」が出た。
「女」は女性、それとも女児・・。
「女」があるなら「男」はどうする。
年寄り、中年、若者、子供・・・。
どの年層でもいいのか、である。
今回は「食」がテーマだった。
それなら衣・食・住。
今まで以上に挑戦するなら、そう考えるのも面白いが「住」は撮り難い。
写真作品にはし難い。
「衣」なら・・・。
ということで決定したが、裸は館内展示には相応しくない。
ふんどし姿は面白い、女医のユニホームも良い・・・とか云った処で時間切れ。
「衣」は「い」ではなく「ころも」としようということで終わった。
おおきな魚のカラアゲが登場した。
一瞬はオコゼかと思ったが、ソイである。
大きく口を開けたソイ料理。
骨までバリバリと食べられるが身だけにした。
汁椀やデザートも膳に出た。
時間切れ直前にお題が決まった「衣」であるが、その後の記憶がまったくない。
どうやらタクシーで帰ったようだ。
残されたレシートを見れば1040円だった。
決まったお題は「衣」。
衣で大和の民俗を表現できるかである。
悩ましきお題であるが挑戦するにはやりがいがある。
始めに思ったのは神位衣や僧侶の袈裟である。
官位によっては色が違うしいろんな形がある。
その写真を撮ってどうするの、である。
それでは単なる違いを見せるだけだ。
衣でもう一つ考えられるのが演者の姿である。
能や狂言の衣裳も面白いが著作権からみで撮ることも無理だ。
村の行事に村人が演じる能・狂言があるが、伝統行事そのものになってしまう。
たいがいの人はこれだと思うだろう。
それは避けたい。
「衣の民俗館」が名古屋にあるらしい。
参考にしたいと思ったが、やはり能・狂言もの。
結局は服飾文化や染織ものになってしまう。
大和の民俗でもなく一般的な民俗だ。
仕事衣もそうである。
寿司屋、魚屋、野菜売り、医者などのユニホーム。
それとも制服姿。
女高生の制服を集めてどうすんの、である。
では、帽子や履物は衣なのか、である。
帽子も履物もいれての衣でいくのは、それとも別のものとしてとらえるのか。
奈良県の風土を生かした着衣はないのか。
柊風舎刊の野本寛一著『衣の民俗事典』があるようだ。
普段着と仕事着・作業着をみつめられることができるであろうか・・・。
そもそも奈良大和に民族衣装はあるのか、である。
衣装を着替えることによって気持ちが変わるというものがある。
例えば念仏を唱える在家半袈裟がある。
それ一つを肩から懸けることによって身の持ち方が変化するというのである。
四国八十八カ所巡礼される人たちもそれなりの半袈裟がある。
宗派によって異なるだけでやはり一般的。
奈良の特色でもない。
季節に合わせた衣替えとう考えもある。
ふっと思いついたのが虫干しである。
またもや「干す」である。
小夫の天神社では7月22日に紙魚ぶるいと称して祭りに着用する衣服を虫干しする行事がある。
行事といっても蔵から出して境内いっぱいに広げる天日の虫干しである。
虫干しは普段着ている衣服の洗濯干しと同じである。
それは撮りやすいが小夫以外でもあるのだろうか。
そういえば11月8日の待機当番の日に来館された當麻で行われている「けはや相撲甚句」会長がいた。
相撲力士が扮するふんどし。
これを洗って干す景観はどうだろうか。
調べてみたい。
ユニホームといえば民俗行事でお気に入りに田楽を奉納される渡り衆が着る素襖がある。
地域によって染色や柄も異なる。
何年かに一度は体験される即興の楽奏。
表情もそれぞれで豊かだ。
新調された衣装もあれば古くから使われているものもある。
着用されるのは一年に一度の晴れ姿。
着古した素襖は洗濯するたびに色落ちする。
その風情がたまらなくお気に入りだ。
新調するには高額な費用がかかる。
芸能は文化財に指定されているが、装束は費用援助の対象外。
村の出費は高額になる。
近年、宝くじ協会などの援助を受けて新調された地域もある。
装束の新調は京都の専門家によって製作されるらしい。
大和郡山市櫟枝町に座の衣装箱がある。
蓋に年号が墨書されているがはっきりと読めない。
「正」の文字は認識できるが次に続く文字は不明だ。
「正」が付く年代は1644年間の「正保」や1711年間の「正徳」がある。
櫟枝では9月半ばに行われる当屋祭がある。
お渡りの出発前にごーさん札を版木で刷る。
その版木の裏には「寛永七年(1630)正月吉日 和州添上郡 櫟枝村 升屋願主」が墨書されていた。
衣装箱の側面に「櫟枝村座中」と「一老善吉」の文字がある。
判読不能である「正」年号は版木年代より推定して「正保」と思われるのだ。
歴史がある衣装箱も「衣」テーマに値すると思われた。
また、巫女さんが着こなす装束がある。
仕事に着るユニホームは里の巫女によって異なる。
『奈良県の民俗芸能-奈良県民俗芸能緊急調査報告書-』の調査のひとつに巫女装束の柄文様があった。
里の巫女が着用する舞衣(まいぎ)。
下着の上半身は前襦袢で、上着に白衣を身につける。
下半身の袴は緋袴(ひばかま)を着て白足袋を履く。
上着の白衣を舞衣(まいぎ)と呼ぶが、古来より継いできた巫女家によって絵柄は異なる。
三郷町の坂本家、大和郡山市若槻町の加奥家、同市小泉町の璒美川家、田原本町法貴寺の藤本家、同町蔵堂の守屋家などがある。
法貴寺の女児巫女が着る舞衣の絵柄文様は「菊」柄だ。
璒美川家の舞衣は「鶴」が舞う姿を表現した「千早(ちはや)」柄である。
加奥家や守屋家も同様の「千早(ちはや)」柄だ。
ところが坂本家の舞衣だけは特徴が見られる。
舞衣の前に長く垂らした赤と緑を前胸辺り結んで締めている。
赤と緑の文様は両ひじ・方袖や背なかにもある。
それを「五紋」と呼んでいた。
赤と緑の色は五色の垂れをつけた鈴から派生したのではと話していた。
そう話してくれた坂本さん。
古い絵馬に巫女装束が所作する神楽や御湯を作法する姿が描かれている。
古い絵馬にも現れる巫女装束も「衣」テーマであるが、写真にはし難い。
というよりも展示すれば民俗史料になるのだ。
それでは写真展にならない画材。
諦めた。
(H26.12. 7 SB932SH撮影)