棚田が広がる大阪府能勢(のせ)町の長谷(ながたに)地区。
高いところでは標高が560mにもおよぶという。
棚田は室町時代初期に築造されてから今なお現状を維持しているという。
田んぼの下には水路がある。
その水はガマと呼ばれる石組みから流れでる。
およそ四百年前に築かれたとされる地下水路だ。
なぜにガマと呼ぶのか。
「ガマ」は岩石や地層の中にできた空洞。
鉱物の結晶体に空洞がある。
それを「ガマ(晶洞)」と呼ぶようだが、長谷の地で呼ぶガマと一致するのか、村人がその名を知っていたのか、それとも外部からの人間がその名を伝えたのか、断定するには難しい・・・。
また沖縄では石灰岩でできた自然洞窟をガマと呼ぶことからあながち間違いではないのだが・・・。
鍾乳洞の洞窟、或いは岩の窪みもそういうらしい。
もしかとすればだが、カマ(釜)が転じてガマとなったのだろうか。
大きな口穴を空けた部分はガマグチ。
お財布もそうだが、それは通称ガマガエル(蝦蟇)と呼ばれるニホンヒキガエルやアズマヒキガエル(ナガレヒキガエルもあるが・・・)のガマの口に似ているからそう呼ばれた。
話はかなり横道にそれてしまった。
戻そう。
この日は棚田をさらに登った処に鎮座する八阪神社で御田植え祭りが行われる。
神社へ向かう道はとても急坂。
境内には車を停める場所もない。
氏子たちは軽トラでその付近に停められるが一般の車を停める余裕はない。
H家のご厚意で愛車を置かせてもらった。
そこからてくてくと登ること30分。
快晴に包まれた美しい能勢の山々を見ながら登っていった。
能勢長谷の景観は素晴らしい、のひと言につきる。
その景観を描いている男性がおられた。
写真では表せないのどかな棚田の田園を映し出す。
空は快晴。
田んぼは水が張ってある。
一部では田植えも始まっている。
田植えが終わっての快晴は田泣かせ。
雨もときおり欲しくなる。
その雨も降らなければ田んぼは乾く。
長谷の棚田を見ていけば石組みしている場が目につく。
あちらこちらにあるのだ。
その石組は「ガマ」と呼ばれる構築物だ。
棚田に溜まった水を抜く役目にある。
抜けるということは田の一部に穴が空く。
棚田の地下には空間が発生して穴が開くのだ。
それを「ウト」と呼んでいる。
長谷のミクサヤマ(三草山)に神社(雨山であろうか)があるという。
そこへ登って雨乞いをしたことがあると氏子が話す。
昼間だった雨乞い。
昭和28年が最後だったという。
帰宅後に調べた資料によれば、1955年に水の神さんと呼ばれる三草山(標高564m)などに登って雨乞いを祈願したとある。
氏子の話は続く。
太鼓や鉦をジャンジャン打っていた。
琵琶湖の竹生島から授かった火。
それをもらって帰って山に登った。
神社の神主もお寺の僧侶も山に登った。
そこで祈祷をしてもらったという雨乞いであったという。
龍神信仰、水の神さんとされる龍王山はミクサヤマから登ったというから雨乞いの山は龍王山(標高570m)でもされていたかも知れない。
ミクサヤマは火山活動でできたそうだ。
山中には空洞があって豊富な伏流水が流れているという。
それが清らかな水があるから美味しいお米が採れる。
自然の恵みがそこにある。
八阪神社は龍王山から下って宮峠に出る。
さらに峠道をゆけば神社に辿りつくそうだ。
そういうコースは山歩きの人たちはよく知っているのだろう。
今回はそれを確かめる時間的余裕はない。
鬱蒼とした樹林に囲まれる宮山に鎮座する八阪神社はかつて牛頭天王と呼ばれていた。
宮峠から西へひと山越えれば猪名川町になる。
境内には御田植え祭りの脇役を演じる子どもたちが勢ぞろい。
脇役といっても田植えに欠かせない早乙女役だ。
彼らは例年であるなら12人だが、今年は閏年。
その場合は13人が勤めることになる。
4年に一度がそうなるようだ。
主役を勤めるのは田主。
当地では馬子(まご)と呼んでいる。
もう一人の演者は牛役だ。
二人は大人の男性が勤める。
馬子、牛役は毎年交替する。
長谷地区は1班から10班を大きく分けて1区から4区。
区ごとに交替する演者でこの年の区は1区があたった。
ちなみにお田植えに用いられるサカキ切りは10班が担ったそうだ。
馬子の衣装は決まっている。
紺の法被にパッチ姿である。
タバコ入れを腰に付けて鉢巻き姿に箕の笠を身に付ける。
牛は黒の上衣にパッチ姿で牛の面を被る。
演者の二人は共に素足である。
御田植え祭りに集まった氏子らはおよそ20数名。
先に集まっていた子どもたちは神事が始まる前から行動を起こした。
何をしているかといえば、境内で穴掘りだ。木の棒でつっついて穴を開ける。
これは後ほど作法される重要な穴だ。
人によってはこれをモグラ穴だというが、さてさて・・・。
箕を身に付けた馬子役に牛面を被った牛役は神社の前に立つ。
併せて子どもたちも並んだ。
氏子たちはその際に並んだ。
参拝者といえば境内である。
「テントバナを立てた。アミガサダンゴを食べて今日はお田植え。これから始まる儀式は神事であるゆえ携帯電話はマナーモードに」と伝える区長と神職。
厳かな神事が始まった。
そうこうしているうちに二人の神職が神社から降りてきて祓えの儀式を行う。
一人はサカキ(榊)を持っている。
後方の神職はキリヌサ(切麻)を撒いていく。
祝詞を奏上しながら大きく境内を回りながら祓っていく。
境内の四方を祓っているのだ。
御田植え祭りが行われる場を祓い清めていく。
その作法を見れば判る重要な儀式である。
そこには一般の人が入ってはならない神聖な場なのである。
そんなことを知らずに立ち入るカメラマン。
奈良県のお田植え祭では四方竹を立てることが多い。
その内部は同じように神聖な場となるのである。
祓われた以上はその場に入ってはならないのだ。
この日は教育委員会、それとも大阪神社庁であろうか、その人たちも取材をしている。
能勢の記録に来ているとHさんが話していた。
様子が判っていないのか、神聖な場に立ち入り撮り。
カメラマンもビデオ撮りの一般人が入り込む。
残念なことだと思った。
こうして神事を終えた氏子らは神職と共に直会。
およそ30分後に始まった御田植え祭り。
その間も穴掘りをする子どもたち。
あちらこちらに掘った個所がある。
そうして登場した馬子。
クワを担いで現れた。
「今日は暑いのー あんまし百姓は好きとちゃうんやけど 穴空いとったら云うてや」と云いながら境内に居る早乙女役の子どもたちと共に作法をする。
「モグラがいるんや」と云って、その場所を示す早乙女たち。
馬子はそれを見つけてはクワで穴を塞いでいく。
実はモグラの穴ではなく、ウトと呼ばれる穴。
棚田下に空間が発生して水路ができる。
抜けた処が石組のガマである。
そうして田んぼに穴が空いた。
それがウトなのだ。
そのままにしておけば田んぼから水が抜けてしまう。
そのウトをこまなく探して穴を埋めなければならない。
それゆえ、早乙女たちはウトを見つけるのである。
ここもある、あそこもあると見つけては馬子を呼ぶ。
馬子は丹念にウトを埋めていく。
「田の土は堅いし、穴は多いし」とアドリブを利かせながら作法をした「アゼハツリ」。
長谷棚田らしい作法である。
次の作法はハルタオコシとも呼ばれるアラオコシ。
カラスキで田を鋤いていく。
牛は小屋の中にいたが、広い田に出れば初めは喜んで暴れまくると紹介されて登場した馬子と牛。
牛は言うことを聞かずに暴れまわり馬子(まご)を引っぱる。
とっとと・・止まれの声も届かない牛は走り回る。
逃げまどう早乙女たちの間をぬって暴れる牛。
元気がいい牛だという。
巧みに綱を引っぱって牛を操る馬子。
牛を操る馬子(まご)と牛の丁々発止。
かつていた牛の動きはそうであったのだ。
その作法は昔していたそのものを再現したという。
再び登場した馬子。
アゼヌリの作業に移る。
棚田だけに頑丈な畦を作らなければ田んぼから水が漏れてしまう。
丁寧に畦を塗っていく作業に「穴はどこや」に対して応える早乙女は「ここあんで ここも・・・」。
「大きな穴や」と云いながらクワで穴を塞ぐ。
ウトと呼ばれる穴探しに早乙女たちは重要な役割をしているのだ。
ここらで一服したいと云いながら煙管を取り出す馬子。
タバコを吸う仕草をするが、この年の馬子は数年前にタバコを止めていた。
一服はお茶に限るといってひと休み。
「ほんま えらいわ」と云いながらねじり鉢巻きの小休止。
僅かな時間で身体も回復した。
再びウトの穴探しをして畦を塗るアゼヌリ作業だ。
こうして田んぼに見立てた境内は奇麗になった。
ウト穴がなくなった田んぼに水を張ればシロカキに移る。
再び登場した馬子と牛。
道具はマングワだ。
ドッド、ドゥと云いながら綱を引っ張って牛を操る。
「ドゥは左やんけ、ゆうこときかん、こって牛やな」と云いながら綱を引く。
たまには云うことを利かなくなって走りまわる牛。
早乙女めがけて行くこともある。
こうしてようやく終えた田んぼのシロカキ(代掻き)であった。
それが終わってやっと田植えになる。
再び登場した馬子は苗に見立てたサカキを担いできた。
オーコの左右の苗籠にはたくさんのサカキ。
一つは早稲で、もう一つが晩生だという。
境内にいる早乙女たちにサカキを渡して苗を植えていく。
まさに田植えの所作である。
サシナエ(挿し苗)もきちんとしておく田植えの作業。
すべてを終えれば一同は揃って「豊年じゃ」と大声を掛ける。
その際には馬子と牛はサカキを大きく振る。
それに合わせて「今年も豊年じゃ、豊作じゃ」と大きく声をあげる。
「豊年じゃ、豊作じゃ」とたくさんの実りがなるように唱和する。
こうして一連の御田植え祭りの作法を終えたのである。
氏子たち参詣者は、サカキを持ち帰り苗代(ノシロ)に挿すというが、長谷の田んぼは既に水を張っている。
田植え待ちの時期である。
それゆえ家の庭先に挿す家もある。
長谷のお田植え当日が雨であれば日照り、晴天ならば雨が多く水不足にならないという。
奈良では見られない仕草で演じるオンダの所作は、大阪府能勢町の無形民俗文化財に(選択)指定されている。
(H24. 5. 8 EOS40D撮影)
高いところでは標高が560mにもおよぶという。
棚田は室町時代初期に築造されてから今なお現状を維持しているという。
田んぼの下には水路がある。
その水はガマと呼ばれる石組みから流れでる。
およそ四百年前に築かれたとされる地下水路だ。
なぜにガマと呼ぶのか。
「ガマ」は岩石や地層の中にできた空洞。
鉱物の結晶体に空洞がある。
それを「ガマ(晶洞)」と呼ぶようだが、長谷の地で呼ぶガマと一致するのか、村人がその名を知っていたのか、それとも外部からの人間がその名を伝えたのか、断定するには難しい・・・。
また沖縄では石灰岩でできた自然洞窟をガマと呼ぶことからあながち間違いではないのだが・・・。
鍾乳洞の洞窟、或いは岩の窪みもそういうらしい。
もしかとすればだが、カマ(釜)が転じてガマとなったのだろうか。
大きな口穴を空けた部分はガマグチ。
お財布もそうだが、それは通称ガマガエル(蝦蟇)と呼ばれるニホンヒキガエルやアズマヒキガエル(ナガレヒキガエルもあるが・・・)のガマの口に似ているからそう呼ばれた。
話はかなり横道にそれてしまった。
戻そう。
この日は棚田をさらに登った処に鎮座する八阪神社で御田植え祭りが行われる。
神社へ向かう道はとても急坂。
境内には車を停める場所もない。
氏子たちは軽トラでその付近に停められるが一般の車を停める余裕はない。
H家のご厚意で愛車を置かせてもらった。
そこからてくてくと登ること30分。
快晴に包まれた美しい能勢の山々を見ながら登っていった。
能勢長谷の景観は素晴らしい、のひと言につきる。
その景観を描いている男性がおられた。
写真では表せないのどかな棚田の田園を映し出す。
空は快晴。
田んぼは水が張ってある。
一部では田植えも始まっている。
田植えが終わっての快晴は田泣かせ。
雨もときおり欲しくなる。
その雨も降らなければ田んぼは乾く。
長谷の棚田を見ていけば石組みしている場が目につく。
あちらこちらにあるのだ。
その石組は「ガマ」と呼ばれる構築物だ。
棚田に溜まった水を抜く役目にある。
抜けるということは田の一部に穴が空く。
棚田の地下には空間が発生して穴が開くのだ。
それを「ウト」と呼んでいる。
長谷のミクサヤマ(三草山)に神社(雨山であろうか)があるという。
そこへ登って雨乞いをしたことがあると氏子が話す。
昼間だった雨乞い。
昭和28年が最後だったという。
帰宅後に調べた資料によれば、1955年に水の神さんと呼ばれる三草山(標高564m)などに登って雨乞いを祈願したとある。
氏子の話は続く。
太鼓や鉦をジャンジャン打っていた。
琵琶湖の竹生島から授かった火。
それをもらって帰って山に登った。
神社の神主もお寺の僧侶も山に登った。
そこで祈祷をしてもらったという雨乞いであったという。
龍神信仰、水の神さんとされる龍王山はミクサヤマから登ったというから雨乞いの山は龍王山(標高570m)でもされていたかも知れない。
ミクサヤマは火山活動でできたそうだ。
山中には空洞があって豊富な伏流水が流れているという。
それが清らかな水があるから美味しいお米が採れる。
自然の恵みがそこにある。
八阪神社は龍王山から下って宮峠に出る。
さらに峠道をゆけば神社に辿りつくそうだ。
そういうコースは山歩きの人たちはよく知っているのだろう。
今回はそれを確かめる時間的余裕はない。
鬱蒼とした樹林に囲まれる宮山に鎮座する八阪神社はかつて牛頭天王と呼ばれていた。
宮峠から西へひと山越えれば猪名川町になる。
境内には御田植え祭りの脇役を演じる子どもたちが勢ぞろい。
脇役といっても田植えに欠かせない早乙女役だ。
彼らは例年であるなら12人だが、今年は閏年。
その場合は13人が勤めることになる。
4年に一度がそうなるようだ。
主役を勤めるのは田主。
当地では馬子(まご)と呼んでいる。
もう一人の演者は牛役だ。
二人は大人の男性が勤める。
馬子、牛役は毎年交替する。
長谷地区は1班から10班を大きく分けて1区から4区。
区ごとに交替する演者でこの年の区は1区があたった。
ちなみにお田植えに用いられるサカキ切りは10班が担ったそうだ。
馬子の衣装は決まっている。
紺の法被にパッチ姿である。
タバコ入れを腰に付けて鉢巻き姿に箕の笠を身に付ける。
牛は黒の上衣にパッチ姿で牛の面を被る。
演者の二人は共に素足である。
御田植え祭りに集まった氏子らはおよそ20数名。
先に集まっていた子どもたちは神事が始まる前から行動を起こした。
何をしているかといえば、境内で穴掘りだ。木の棒でつっついて穴を開ける。
これは後ほど作法される重要な穴だ。
人によってはこれをモグラ穴だというが、さてさて・・・。
箕を身に付けた馬子役に牛面を被った牛役は神社の前に立つ。
併せて子どもたちも並んだ。
氏子たちはその際に並んだ。
参拝者といえば境内である。
「テントバナを立てた。アミガサダンゴを食べて今日はお田植え。これから始まる儀式は神事であるゆえ携帯電話はマナーモードに」と伝える区長と神職。
厳かな神事が始まった。
そうこうしているうちに二人の神職が神社から降りてきて祓えの儀式を行う。
一人はサカキ(榊)を持っている。
後方の神職はキリヌサ(切麻)を撒いていく。
祝詞を奏上しながら大きく境内を回りながら祓っていく。
境内の四方を祓っているのだ。
御田植え祭りが行われる場を祓い清めていく。
その作法を見れば判る重要な儀式である。
そこには一般の人が入ってはならない神聖な場なのである。
そんなことを知らずに立ち入るカメラマン。
奈良県のお田植え祭では四方竹を立てることが多い。
その内部は同じように神聖な場となるのである。
祓われた以上はその場に入ってはならないのだ。
この日は教育委員会、それとも大阪神社庁であろうか、その人たちも取材をしている。
能勢の記録に来ているとHさんが話していた。
様子が判っていないのか、神聖な場に立ち入り撮り。
カメラマンもビデオ撮りの一般人が入り込む。
残念なことだと思った。
こうして神事を終えた氏子らは神職と共に直会。
およそ30分後に始まった御田植え祭り。
その間も穴掘りをする子どもたち。
あちらこちらに掘った個所がある。
そうして登場した馬子。
クワを担いで現れた。
「今日は暑いのー あんまし百姓は好きとちゃうんやけど 穴空いとったら云うてや」と云いながら境内に居る早乙女役の子どもたちと共に作法をする。
「モグラがいるんや」と云って、その場所を示す早乙女たち。
馬子はそれを見つけてはクワで穴を塞いでいく。
実はモグラの穴ではなく、ウトと呼ばれる穴。
棚田下に空間が発生して水路ができる。
抜けた処が石組のガマである。
そうして田んぼに穴が空いた。
それがウトなのだ。
そのままにしておけば田んぼから水が抜けてしまう。
そのウトをこまなく探して穴を埋めなければならない。
それゆえ、早乙女たちはウトを見つけるのである。
ここもある、あそこもあると見つけては馬子を呼ぶ。
馬子は丹念にウトを埋めていく。
「田の土は堅いし、穴は多いし」とアドリブを利かせながら作法をした「アゼハツリ」。
長谷棚田らしい作法である。
次の作法はハルタオコシとも呼ばれるアラオコシ。
カラスキで田を鋤いていく。
牛は小屋の中にいたが、広い田に出れば初めは喜んで暴れまくると紹介されて登場した馬子と牛。
牛は言うことを聞かずに暴れまわり馬子(まご)を引っぱる。
とっとと・・止まれの声も届かない牛は走り回る。
逃げまどう早乙女たちの間をぬって暴れる牛。
元気がいい牛だという。
巧みに綱を引っぱって牛を操る馬子。
牛を操る馬子(まご)と牛の丁々発止。
かつていた牛の動きはそうであったのだ。
その作法は昔していたそのものを再現したという。
再び登場した馬子。
アゼヌリの作業に移る。
棚田だけに頑丈な畦を作らなければ田んぼから水が漏れてしまう。
丁寧に畦を塗っていく作業に「穴はどこや」に対して応える早乙女は「ここあんで ここも・・・」。
「大きな穴や」と云いながらクワで穴を塞ぐ。
ウトと呼ばれる穴探しに早乙女たちは重要な役割をしているのだ。
ここらで一服したいと云いながら煙管を取り出す馬子。
タバコを吸う仕草をするが、この年の馬子は数年前にタバコを止めていた。
一服はお茶に限るといってひと休み。
「ほんま えらいわ」と云いながらねじり鉢巻きの小休止。
僅かな時間で身体も回復した。
再びウトの穴探しをして畦を塗るアゼヌリ作業だ。
こうして田んぼに見立てた境内は奇麗になった。
ウト穴がなくなった田んぼに水を張ればシロカキに移る。
再び登場した馬子と牛。
道具はマングワだ。
ドッド、ドゥと云いながら綱を引っ張って牛を操る。
「ドゥは左やんけ、ゆうこときかん、こって牛やな」と云いながら綱を引く。
たまには云うことを利かなくなって走りまわる牛。
早乙女めがけて行くこともある。
こうしてようやく終えた田んぼのシロカキ(代掻き)であった。
それが終わってやっと田植えになる。
再び登場した馬子は苗に見立てたサカキを担いできた。
オーコの左右の苗籠にはたくさんのサカキ。
一つは早稲で、もう一つが晩生だという。
境内にいる早乙女たちにサカキを渡して苗を植えていく。
まさに田植えの所作である。
サシナエ(挿し苗)もきちんとしておく田植えの作業。
すべてを終えれば一同は揃って「豊年じゃ」と大声を掛ける。
その際には馬子と牛はサカキを大きく振る。
それに合わせて「今年も豊年じゃ、豊作じゃ」と大きく声をあげる。
「豊年じゃ、豊作じゃ」とたくさんの実りがなるように唱和する。
こうして一連の御田植え祭りの作法を終えたのである。
氏子たち参詣者は、サカキを持ち帰り苗代(ノシロ)に挿すというが、長谷の田んぼは既に水を張っている。
田植え待ちの時期である。
それゆえ家の庭先に挿す家もある。
長谷のお田植え当日が雨であれば日照り、晴天ならば雨が多く水不足にならないという。
奈良では見られない仕草で演じるオンダの所作は、大阪府能勢町の無形民俗文化財に(選択)指定されている。
(H24. 5. 8 EOS40D撮影)