未熟なカメラマン さてものひとりごと

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800人のロシア人の子どもたちを助けた船長の物語 その3

2013-12-17 22:06:53 | 歴史

MyRoseGarden 秋バラ 本文とは関係ありません。

人々の記憶から忘れられていた陽明丸と茅原基治船長がどうして再び取り上げられることになったのか、経過を追って見ていきましょう。

(最初のきっかけ)
(2009年9月) 書家・篆刻家(てんこくか)・北室南苑さん(本名北村正枝さん、女性)が、ロシアのサンクトペテルブルグで個展「篆刻アート展」を開いた時に、ロシア人女性・オルガ・モルキナさん(彼女は、この出来事に遭遇した子どもたちのその後の運命を訪ね歩いた著作を最近まとめていた。英語教師、フリージャーナリスト)から、祖父母を救ってくれた90年前に実在した日本人船長のその後の消息についての探索を是非お願いしたい、と依頼を受けました。

北室南苑さん、その後、石川県金沢市で船が陽明丸であることを特定します。船を所有していた太洋日本汽船株式会社の中西眞誠常務が調査に加わりました。
調べる過程で、東京都目黒区の防衛省防衛研究所の資料には、1920年5月にアメリカ赤十字から、ウラジオストクにいる800人のロシアの子どもを親元に帰すために協力して欲しいとの依頼があったことが記されていました。
軍部はできる限りの便宜をはかると返答しましたが、当時すでにシベリアから撤退しようとした時期であったため、具体的行動には出ていないようです。
しかし、この子供たちの輸送を、陽明丸のオーナーだった勝田銀次郎が買ってでました。陽明丸は貨物船であったため、勝田銀次郎は多額の改造費を寄付して船を改装しました。

(個展から2年後の2011年夏)
船長のカヤハラについては、北室南苑さんは、東京や神戸に出向いて調査を行いました。そして多数の資料を調査することで、ようやく茅原基治船長を特定することができたのです。
北室南苑さんは、2011年7月ごろ、船長が岡山県笠岡市の出身の茅原基治という人で、そのお墓が岡山県笠岡市にあり、その遠縁にあたる茅原好子さんというひとが、墓を管理していることを突き止めました。茅原基治は、出身の金光中学校の恩師、佐藤範雄校長あてに、年賀のあいさつ代わりとして、手記「露西亜小児団輸送記」を送り、この手記は、現在、金光図書館が神徳書資料として所蔵していることがわかりました。

(南山高校の生徒たちも協力)
ちょうど、その頃、北室さんの活動を知った名古屋市昭和区にある南山高校の生徒が、在日ロシア大使館などと連絡を取って、オルガ・モルキナさんの居場所を探し出して交渉し、授業の一環として日本に招請することを計画していました。 

(2011.10.27オルガ・モルキナさん来日)
南山高校の生徒の招きで、ついにオルガ・モルキナさんが来日し、南山高等・中学高男子部の生徒ら1200人の前で講演を行いました。
北室南苑さんは、オルガ・モルキナさんに会いに名古屋を訪れました。すでに依頼から2年が経過していましたが、オルガ・モルキナさんは、茅原基治船長のことが判明してうれしいと話し感謝の意を伝えました。

オルガ・モナキナさんは、このあと岡山県倉敷市のホテルで船長の親族と初めて対面し、午後墓参を行い、花束を供えて感謝の言葉を送りました。茅原好子さんは、生前の茅原基治氏のことをよく覚えており、とてもやさしい人だったと言っています。ただ、船長でロシア人の子どもたちを助けたというそのことは、知らなかったそうです。

(2013.2月NPO法人を立ち上げ)
北室南苑さんと、関係有志が集まり、「人道の船 陽明丸顕彰会」を立ち上げました。
この救出劇のことについての海外の評価は、米国赤十字社の記録に基づくものしか公表されておらず、日本側の献身的な協力の部分が大きかったことについてはほとんど語られていませんでした。
見返りはまったくなく、しかも引き受けることのリスクの大きさを考えれば、断わることもできたはずです。
会社としての大きなリスクを承知で快諾した陽明丸船主・勝田銀次郎氏の度量の広さ、義侠心をも併せて再評価を促すスタートラインに立てた思いと、北室南苑さんは言っています。
陽明丸関係者の事跡をさらに精査検証し、それらを整理保存してゆくことを通して日本人の美徳にもう一度日矢が差し込むことを望んでいます。

(2013.10上旬、オルガ・モルキナさん二度目の来日)
陽明丸の茅原基治船長らの功績を紹介する展示施設が、今月上旬、石川県能美市のNPO法人「人道の船陽明丸顕彰会」の顕彰館に開設されました。
開幕に合わせて、オルガ・モルキナさんが来日。茅原基治船長の親族から寄託された写真と愛用カバンのほか、祖父母から話をきいて歴史を調べたモルキナさんの著書などが並びました。(おわり)

次に、この救出劇に関わった、勝田銀次郎など関係者のことについて、もう少し詳しく調べてみたいと思います。(つづく)


800人のロシア人の子どもたちを助けた船長の物語 その1
800人のロシア人の子どもたちを助けた船長の物語 その2
800人のロシア人の子どもたちを助けた船長の物語 その4
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