毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

ジャンプ台放浪記 リフト&ツツジ山

2010-04-14 22:35:35 | ジャンプ台放浪記関連



ダメだ、ツツジ山がすっごく気になる引っかかる。
新設のシルバーシャンツェより、
仮設の古いほうの飛躍台、
何か見落としている、
まだ何かある気がしてならないのですわ。


仮設の飛躍台というよりツツジ山。
ここでなにか大きなミスをやらかしている気がして落ち着かないのです。
この勘。
当たりなのかハズレなのか。



さて。
脳がギブアップと叫んでおりまして。
たまには違うものを食べさせろと。
え?食べ物?違うってね…

ジャンプではなくリフトを。

…ってしょう油味とソース味の違いじゃない?
もっとパフェとかケーキとか大福さまとかまったく違う味を食べたいんですけど。
あ、アルコールってのも要求大かも。
最近叫んでいなかったな…酒持って恋っ。
いや、これは瞬殺なりそうだな…


↑すでにお疲れちゃんなのは隠せないってね。


リフトよね、リフト。


コメント欄で登場したリフトですが。
リフトは要チェックから外していたのですわ。
だから慌てて本をごそごそと。
本ももうほとんど図書館に返しちゃいましたので、
詳しくは分からないのですが。
三角山スキー&ジャンプ衰退にも繋がりますので。


昭和3年 秩父宮さまの提案によって流れはどどどっと大倉山へと向かいまして。
当時は大倉山という名前は存在せずただの丘、斜面だったそうです。
ここに大シャンツェの白羽の矢がばきゅ~んと。
大倉男爵がぽいと私費を投じてできたのが大倉シャンツェ。
開場式は昭和7年1月16日午後1時っ。


あ、すっごく雑に簡単に書いておりますし、
勉強不足ですので流れの把握程度におさめてください。











下はスタンド席。
これ見て鈴鹿のF1思い出しましたわ。
鉄パイプの櫓ででら怖かった。

あ、じゃなくて、
注目はこのスタンド席後ろの景色。
…何にもない。
ぽちんぽちんと建物らしきものは見えますけど。


何もなかったとは聞いてましたけど、
何もないっ。はぁ~すごい。







大倉山は何度も改修工事を繰り返してきたそうで、
よく聞く雪印シャンツェってこれだったのね。
大倉山にも大倉山のロマンがあったのね。


で。


何故大倉山を説明しなければならなかったのか。
ちゃんとこれがリフトへと行くんですわ(笑)。


いきなりこんなデカいジャンプ台で飛べったってね。
三角山にあるシルバー・アルファ・札幌。
これでは大倉山に挑戦するには小さすぎたようで。
大倉山シャンツェ完成までの練習台として、
荒井山に40㍍級の『記念シャンツェ』が昭和4年に建設されたのです。










記念シャンツェ、森永シャンツェ、荒井山シャンツェと名前が変わったそうな。


で、リフトね。
待ってね。


幻となった昭和15年の札幌オリンピック。
ざっとね。
1、開、閉会式は円山陸上競技場
2、ジャンプは大倉山シャンツェ
  観覧席は4万人収容のものとする。
  練習用に二飛躍台を新設する
3、回転競技は三角山を伐開し、観覧席2千人収容のものを新設する
4、滑降競技は手稲山にコースを策定する。
5、スケート競技場は中島公園に一万人収容のものを新設
6、ボブスレーは神社山

さっぽろ文庫16 冬のスポーツから抜粋しました。

この冬季五輪は返上、幻となったんですけどね、
このとき三角山にリフトを造る予定があったかなかったか。
私はどこかで読んだような気がしてますが、
反射板を勝手に思い込んでいただけなのかもしれません。
はっきりとしたことは今手許にないんです。
その後三角山にリフトが造られたか。
これは目にしてないですね。




年代に表記にズレがありますが、
『冬のスポーツ』では昭和31年、
『大倉山物語』では昭和28年、私の見方が間違ってるのか??
まぁ、その頃荒井山に北海道第一号のスキーリフトが設置されたようです。
以来藻岩山市民スキー場、テイネオリンピアスキー場、定山渓三笠山スキー場、
ふじのヘルスランドスキー場などが整備されていったと。
…ヘルスランド。懐かしくて哀愁漂う響きだわ。
リフト&スキー場の料金までは…ちょっと…







荒井山スキー場。


で、
もうこのころには三角山、なまこ山、馬場牧場周辺は宅地化の波がどどどどどっと。
採石も始まるとこれ危なかったそうな。
今でも危ないですけどね。
今回のジャンプ台を調べていて読んだ三角山関連の本の中に、
山頂から採石方面の崖は下りるなと書いてありました。
突然落ちると。



そう、
宅地化の波と採石。立地条件。交通の便。
スキーのメッカは三角山から荒井山へとなったのでしょね。



さてツツジ山。
今日また赤坂山・寺口山の文が出てきまして。
ここにもツツジ山は出てこない。
ちょいと頑張って潜りましたら、
脱出口に繋がるかもしれない糸口見つけました。

ただね…
昨日ジャンプの友に愚痴ったのですが、
そこも今日のこことここも←何じゃ?ですみません。、
図書館行くみたいに行ける場所ではありませんで。
行き難い…すっごいプレッシャー…
でもツツジ山は引っかかるっ。


ツツジ山は寺口山に吸収された?買われた?
戦後の農地改革も関係する?
もうアタマがぎゅうぎゅうなんですけど。
何かがある気がしてならないんですわ。


あぁ息抜きしたい…
散財の虫がっ。
散財っ。こういう時ってすっごく魅力的な響きなのよね、散財。


明日散財報告がくるか(笑)、
ツツジ山進展が載るか。
まぁね、
ご褒美にどんぐりのパンでしょか(肥)。



ジャンプ台放浪記 シルバーシャンツェ編~3

2010-04-13 23:43:43 | ジャンプ台放浪記関連



本題に入る前に。
ぷっと笑えるか、
くっ、お気の毒と涙を誘うか。



見て、この山っ。







まさに、さっぽろ文庫タワーっ。


どうしたって?
どうしてこんなにあるのかいでしょ。


夫の叔母が田舎で書店経営しておりまして。
お店の棚にさっぽろ文庫数冊あるのは知っていたのです。
前から譲ってとお願いしていたのですが。


先週の親戚の葬儀のとき、
どどぉぉんと渡されたのがこれでして…
こんなにあったとは知らなかったわ…
それもなんだか興味湧かないのも多々ありじゃない…


そりゃそうよね、
超田舎の本屋さんにさっぽろ文庫ってこと自体奇妙だってね。
ほらね、
ちゃんと私の手許にくることになってるでしょ。
それも上手い具合に電子本化されてないやつばかり。
70以降飛びで20数冊。
帯やカバーが破れていたり日焼けしてたりはあるけれど、
中はサラですわ。


でね。


連日の脳ぎゅうぎゅうジャンプでお疲れ気味。
ちょいとダンボール箱から出して、
ぺらぺら捲ってみましたら…


あ、あった…





赤坂山・寺口山 さっぽろ文庫74 わが街新風景より


この山とは三角山のことね。
もっと詳しく具体的な年代もツツジ山も書いてくださいなんですけど。
ほんと何もなかったみたいです。


もう一冊 さっぽろ文庫73 昭和の話。
ここにもスキー関連で少し載っておりました。
電子本にもちらちら出てますけど、
分散して情報がいろいろな本に載っている…
私のこのさっぽろ文庫タワーから新たなうぉぉが飛び出すかも知れません(笑)。


なんだか漬物になっちゃいそうですわ、私…。


ちなみに。
さっぽろ文庫93 北の本三00
これ使えるか使えないか両極端ですけど本の手引書です。



あぁ。シルバーシャンツェと関係ない話で時間とスペースを使ってしまいました。


よしっ。
気合だ、気合っ。



昨日の現地入りした画像です。
あのシルバーシャンツェの尾根・斜面と似た場所、
撮影地点が分かるかどうか。


あぁパワフルな私っ(爆)。


でね。


これはどうしようもないのですけどね。
近いと全体が見えないし、
離れると家と重なって見えないのですわ。
おまけに家はぎゅうぎゅう。


まぁ我が家を出る前に地図上で押さえていた地点、
あの尾根に近づいていきますと。


ぽっかりと空白地帯、土地が視界が開けまして。
尾根麓に児童公園が。
近いけど、尾根に近すぎて画面に入りきらないだろうけど、
まぁ行って写してこようとね。


で。


その公園の名前を見たとき鳥肌がざわわとね。









三角山公園。
こっちは山の手がつくけれど、
アルファシャンツェと同じ三角山公園じゃない。


おまけに待ってましたとばかりに、








ジャンプ台的滑り台っ。
ぅぉぉぉぉぉぉっ…
何故こんなカタチにしたんだい?
札幌市の洒落?全て知っていた?偶然??


ひとり鳥肌浮かべながらひきつり笑ったのでした。







逆光で見えないし。


もう不審者ですわ、侵入者。
顔見知りしか歩かないような道。
必要以上に地図とコピーを見えるように持ち、
いかにも探し物です私を装いまして。

…ってその探してるものって何ってのがさらに怪しいんですけどね。








公園と民家のおそらく居間が向かい合っていまして、
さすがこの裏山尾根探索は諦めました。







尾根下部。
この道を左に折れると、







大なまこの背が真正面に。
当たり前ですけど意外と近いっ。
アルファシャンツェはもう少し上だけど、
確かにT字形な配置になる。








見えそうで見えないこのもどかしさっ。
おいおい…









もっと探せば、
あるいはどこか高いところに上れれば、
もっとすっきりこんな画像を得られたかもしれませんが…
どうも小心者の度胸なしでして…
愛嬌も色気もございやせんが…


本当、
ここがシルバーシャンツェ跡地だとしたら、
あの山の手三角山公園に何かプレート欲しいと思いません?
これって札幌市か北大スキー部の世界?
私が杭打ってもダメよね(笑)。当たり前だってね。




移動。



次はツツジ山近辺探索。







 





これはなかなか見やすくなったでしょ。
拡大すればいいってモノでもないと今悟りました(笑)。
等高線の数値は変わらないので書き込んでおきました。
お手持ちの現代版の地図と比較が楽でしょ?
なんて親切な私。うん。いえ。←どっちよ?


これを現在の地図と比較してう~んう~んなのですが。
一時仮設ジャンプ台らしき記号が現在の川にカブりまして(汗)。


で。
また間違いの思い込みかもなのですが、
ツツジ山の文字上の○。
これが等高線50の上に書き込んであるようで。
スキーコースの線と重なっていて見難いですけど。

これを今の地図に当てはめると、
ありゃっ。
偶然なんですけど昨日写した位置っ?。







○印が坂の真ん中より少し手前というか、
まさに私が立っている場所?足元になるってかっ??
うぇぇぇぇ。
削られた斜面元ツツジ山を写したつもりだったのですが…



でもね、
正直私この仮設ジャンプ台は自信ないのです。


当時はまずここいら辺に道路は一本も無かった。
川の流れ、位置も太さも違っていたでしょし、
今のように護岸工事もしていなかったはず。
橋は木の富茂登橋ですから。
(今の山の手橋はまだありません)









「きのこの里」ビルの裏の建物の下が先ほどの私が写した道と斜面です。







道路はなく、
斜面はどんなだったんでしょ。






河畔にはネコヤナギ







こんな感じ。








ざっぶ~んっ。








昨日ツツジ山はもうないって書きましたけど、
つい先ほどまでそう思ってましたけど、
確かに斜面は削られて宅地化はしてますけど全て平らになっているわけではないなと。
一度このシルバースロープを歩いたことがありますが、
手前の住宅地はえらい坂だった…
山っぽい面影はないけれど、
ここがツツジ山なのかもしれません。
三角山の下には優しい斜面がのぞいているし。









ここで、あそこで飛んでいたのかなぁ(笑)。
もうすっかり上を向いて歩くのが習慣化しております(笑)。
このジャンプ台シリーズが終わったら、
上を向いた集大成?
ばっかばかしいオマケが始まりますから(笑)。
おいおいってね。



ジャンプ台放浪記 シルバーシャンツェ編~2

2010-04-12 22:55:55 | ジャンプ台放浪記関連



よしっ。
こうなりゃガツンといきましょうや、
がっつりこんとっ。



これが私が握っている最強の地図・アイテム・ブツです。






昭和4年1月18日 北海タイムス


前にも出しましたでしょ。
4月2日のジャンプ台放浪記 なんちゃって編
このとき道新閲覧室でコピー(許可済み)してきた昭和4年1月18日の記事。
これをパソコンに取り込み拡大してみると。


これぞまさに最強の強運の持ち主のおっばはぁ~んでして。
え、
最強の勘違い&思い込みの激しいおっばはぁ~んになってたらどうしましょなんですけど。


拡大したらすっごく汚いんです。
画像が荒いってもんじゃないんですけど、
まぁ我慢して耐えて見てください。










ピンク部分。
上から「ツツジ山」「シルバースロープ」「三角山」「札幌シャンツェ」
これ全図をコピーしたくて道新に行ったのです。
(一部分だけ入手済みでしたので)
ツツジ山とシルバースロープ、
これに関しては3月29日既に解明しておりました。


ところが。
強運なおまけがつきまして。



次にブルグレ色部分をご覧くだされ。









これが全てです。
これを見つけたとき涙出ましたわ。


早くに、
すぐに出したかったのですが、
ウラをとらないと、とんでもないデマを流してしまったらとね。
自信がなくてね、
本当にこれでいいのかよとね。
いろいろ調べていて今日までかかってしまったわけです。


でも今日までかかってもね、
ここです、決定っとは残念ながら言えないんですわ…

ただ昭和4年1月の新聞ですから、
昭和8年までシルバーシャンツェは北大スキー部員に愛用されていたと資料がありますので、
この三角山北尾根より下東側のこのコブ斜面にある記号、印、
これはジャンプ台・シルバーシャンツェを表記していると思うのです。
当時の新聞記者はジャンプ台を見ていたと信じたいのですが。
いかがでしょ?



・何故ツツジ山にこだわっていたか。

以前何処かで何かで読んだことがあるのです。
赤坂山、寺口山、ツツジ山とありツツジ山にシルバーシャンツェができたと。
結局どこで読んだのか思い出せなくて私の記憶を信じるしかないのですが、
それでツツジ山を特定しようと。


これがまた見つからないんですわ。
見つからないはずです。
今はもうない。


赤坂山に関してはスキー場があってリンゴ園があったというのを、
これも読んだ記憶が…記憶で申し訳ないのですが…



私の大胆な予想なのですが。





大正5年地図



1は三角山北尾根。
これもそうですけど、
発寒川まで舌状の尾根というか緩やかな傾斜の小山群がありますでしょ。
矢印短いって?まぁまぁ。
2の今は緑化会のあたりを赤坂山、
3のエリアを寺口山、
4はツツジ山と呼ばれていたのではと。
その小山群の絶好なスロープをシルバースロープと呼んだのではと。

上の汚い地図のアルファベットを結ぶラインの内側、
【ABC方面にシルバースロープを廻り…】と書いてあります。
ここがシルバースロープエリアで、
東側に新設シルバーシャンツェがくる。



私の予想ですからね。みどちゃん説ね、あくまでも。



・シルバースロープの北側
・20㍍級
・ツツジ山


この三つがちょうどタイムス地図ブルグレ一番上記号と合致いたしまして。


ここが大正7年に北大スキー部員の熱い熱い学生さんが、
約66㌢X約160㌢の板を3枚、
部員総出で運搬して作った木造の仮設飛躍台(20㍍級)なのではと思うのです。
ここから始まって物足りなくなって、
ヨーロッパの記録に追いつくため30㍍は飛べる台が欲しいということとなる。うん。


で、ここで場所選びが始まるわけです。
仮設ジャンプ台の場所は地形的にダメだったようでして。


ここに条件が書き記してあります。
1・市街地に近い
2・冬季間風あたりが少ない、
3・工事費が少ない、
4・スロープが南向きではない、
5・全長140㍍内外ある、
6・加工できる土地である、などの条件があった。

…これらの条件にもっとも近い場所が三角山の北側シルバースロープの東側斜面であることがわかった。
                       ~さっぽろ文庫96大倉山物語より


ちょいと上の表現がずぅっと気になっておりまして。
他の本を読んでもこれといった決定打はなく、
今までより三角山に近づいた場所ぐらいでして。


ここで頼りたいのが画像かなと。










ね、立派でしょっ。
びっくりするぐらい立派でデカい。


アプローチ50㍍、スタート地点が3ヶ所設けてあり~略~頂点の所は丘陵の地点から4㍍の高さがあり、
アプローチの最大傾斜は33度、斜面になる部分は板張りしてある。
80㍍のランディングバーン。


こんなにデカいのが人目につかないはずはなく、
かつスキーのスロープの邪魔になっても困るわけでして。



考えてみたら、
この北海タイムスの新設シルバーシャンツェと思われる印の場所、
ここまだ現地入りしていなかったと気がつきまして。
ここの路地は歩いてないなと。


早速写真と地図を片手に出かけてきたのですが…


想像はしてましたけどね、
家ありすぎ。
いい線いってても必ず何か邪魔が入るっ。
もうお庭入れてください、屋根に上ってもいいですか?でして。
そりゃ出来ませんって。
それにここらへんって、
地域の人しか通らないぞっていう道でして。
もうモロ不審者ですわ…よそ者じゃクセ者じゃっ。


あ、すみません、つい横道に話が熱中…









確かにこの場所?尾根?コブ?小山だと、
後ろに三角山や周りの山が写りこまないかも。
もう少し何とかしたいけど困ったな、住居侵入するわけいかんしのぅ。
そして何より、
こういうラインってどこでも当てはまりやすい…



もう一方の仮設ジャンプ台のあったツツジ山。
もちろんここはもうないのですけどね。
私が早い時期から古い地図地図と騒いで探していたのはこれなんです。
ツツジ山とはわかっていませんでしたけど、
採石場にしても大なまこ山にしても寺口山にしても。
今の地形で考え見ては見えてこないはずだなと。






私に画像を、大正5年の地図と現在の地図を重ねる技術があったら、
一目瞭然地形の変化が手に取るようにわかったのに。
あぁ悔しいっ。


こちらもしっかり撮り直してきました。
何回か行って唸ってきているのですわ。
寒さと風と残雪でいい画像少なくてね。


明日は今日撮ってきたやつを整理して載せる予定です。


あぁ疲れました…アタマが脳がギブアップですわ(笑)。


ここの場所が正しいのか違うのか。
まぁわかりませんけど、
ここまで根性でやってきたことは私としてはよくやったぞと(笑)。

どこだったのかな?あそこかな?なんて考えるのは楽しいんです。
そう、
自分の中で無責任に考えてるうちは楽しいのです。
夢とロマンのジャンプ台なのですわ。

これを口に出す、文字にする、記事にする。
そうするとヘタなことは書けないなと。
いえヘタなんですけど、
あまりにも勝手にここよと決め付けることはできないなとね。

後半は正直投げ出したくなりました。
時間はあっても考えるチカラが足りないぞとね。
運で北海タイムスを見つけ、
これを信じるしかないのかなと。


とりあえず今宵はここまで。

なんだか尻切れトンボな切りですが、
もう私今日は5時間近くこれやっておりまして…
早く遊びに行きたいぞっとね。
あぁ何かご褒美ごっこしなくちゃ、マイセルフご褒美ごっこ(笑)。
そっちの妄想の世界に突入いたします(笑)。

では明日は画像を整理して載せる予定です。







ジャンプ台放浪記 シルバーシャンツェ編~1

2010-04-11 22:39:39 | ジャンプ台放浪記関連




こ、この日が来るのが怖かった…







で、出来るのなら、
『本当シルバーシャンツェって何処だったのでしょね?』で済ませてしまいたかった…


見つけたのかって?
はい…おそらく・きっと・maybe・perhaps…
自信あるのかって?
ないないナッシングでして…


でもね、
もうこれ以上は当分出てこないのではと。
出てくるとすれば2年後の北大スキー部創立100年記念誌ではと。
あるいは中央図書館、道立図書館で痒さと戦うしかない…


誰にも確認してもらってないのです。
ジャンプの友にもmy同期のK氏にも。
余計不安が募るでしょ、
おいおい大丈夫なのかって。


ね、
こういうところに行き着いたって話で。
ここだったかもしれないわって話にしておいてください。











シルバーシャンツェを飛んでいる写真は出てきても、
場所を表す決定打の文章や写真が出てこない。


混乱混迷のるつぼでして。


シャンツェの呼び名がいろいろ、
場所の呼び名もあやふや。


大正7年の話ですから。
1918年といったら計算出来るか?私。
え~っと92年前。


整理というか、
覚えておいていただきたいのですが。
私物事を順序だててきちんと話す書くってすっごい不得意苦手なんです。
読みながら組み立てていっていただきたいのですが。

そう、
覚えておいていただきたいのが、
シルバーシャンツェには仮設と新設があったということ。


…仮設の場所に新設したのなら同じ場所、
あるいはほぼ同じ場所で悩みは少なかったのですが、
どうも思いっきり場所を変更したみたいでして。
それを掴んでいないと、
どうしてこんなに歩くの足生えてるのとね。


この仮設・新設の呼び方と、
ネックとなるのが土地の呼び名呼び方。
アバウトというかまちまちというか…
昨日も書きましたけど、
まぁ当時は何番何号なんてありませんから…


新しい資料には三角山という言葉がでてきますけど、
古いのになると琴似村という表現になってくる。
ここ全体を示しての琴似村ではなく、
三角山とは呼びにくい場所、
つまり離れた場所だったのではと憶測しまして。







じゃぁどこよとなるのですが。
まぁ急がず焦らずに。


アルファ&札幌シャンツェ探しのときによく出てきた言葉が「なまこ山」なんです。
シルバーシャンツェ探しでは「なまこ山」が出てこない。
まずここからこのエリアではないなと導きまして。


逆にシルバー探しで目にする言葉で、
アルファ&札幌シャンツェでは見かけなかった言葉。
それが「シルバースロープ」でした。


【三角山の北側シルバースロープの東側斜面】
これが新設シルバーシャンツェの位置を示す言葉でして。


シルバースロープを特定出来れば自ずとシルバーシャンツェが浮かび上がってくるはずっ。
シルバースロープを探せなのですが…
これが一筋縄ではいかんのです。


当時寺口山はスキーにばっちりのスロープが続いていて、
大勢のスキーヤーで賑わったとか。

おお、ああ、
寺口山ってどこなのよって思われる方もいらしゃりますね、きっと。
寺口山とは、
え~っと今で言うと国立西札幌病院裏手というか、
山の上病院エリアというか。
ここもはっきりとした確認は取れていないのです。
昔の呼び名、昔の位置。








これは昭和30年代の寺口山ですけど、
ここには北大のシルバーロッジが山腹に建っております。
シルバーロッジ、シルバースロープ、シルバーシャンツェ。


アタマとキモチではしっかり結び付けたいのですが、
地図とか証言とか記録に残っているシルバースロープ=寺口山となる、
確固たるモノが出てこないんですわ…
琴似のシルバースロープ。
三角山付近。


北大スキー部は三角山の麓にジャンプ台(シルバーシャンツェ)を造って練習に励み、
遂に村本(金弥)君が28㍍を飛んだ。その時は京都にいた私の手許まで
『ムラモト28メートルトンダ』という電報が届いた位である。 ~北海道のスキーと共により


この熱い思いが情熱が残っている場所はどこなんだ。
琴似のシルバースロープ、寺口山、三角山の麓、仮設、新設。
うぉぉぉぉぉっ。


手詰まりの頃、一枚の写真が出てきまして。





大正11年竣工ですから、
これは新設のシルバーシャンツェです。


この写真を見てパキーンと閃いたというか雷が頭上に落ちたというか…
私にはこの尾根のラインに見覚えがあるのです。
もしかしたら…
もしかしたらこれは私が毎日見ている尾根…?






夜明けを共に、





朝日を共に、





そして日の暮れも。



丁度公園の大きな樹が重なっちゃってますけれど、
ラインが似ているのです…
ちょいと涙がでましたわ。


それで現地調査に出向きまして。
あれは3月26日ですな。
ぐるっと周ってくるつもりが強風で止めにした日。
帰りにここの尾根を見に寄りまして。
樹の太さや何か何かどんなことでもいいから残っていないかと。
さらに角度というか、
どこに着地していたのかなんてね。








ズーム&トリミング。
奥にこのような見出しポールが何故か数本。
年代的に違うとは思いますが…90年前には見えないってね…






大なまこ、円山と一直線に並びましたわ。
珍しい構図でしょ(笑)。







色がすみませんなんですけど(汗)。
急です、崖です。
眼下に北一条宮の沢通り。
分断される前はずうっと続いていたはず。
琴似駅までスキーで滑って帰ったという話もあります。
(ジャンパーのKさんは最後は平地だから滑るというより歩いたと)






斜面下から。
近くのクリニックの駐車場から。
この奥は進入禁止の看板ありで不可でした。


これが3月26日。
これで新設シルバーシャンツェは決定だと思っていたのです。
新設を基準に仮設の場所を特定しようと。



がっ。



崩れまして。
ガラガラガラっっっ。


私の気持ちもガラガラガラっっっ。



まさに七転び八起き的な放浪を続けておりますが、
大コケをして大儲けをするという、
この不屈のおっばはぁ~んなんですけど。


書き忘れておりましたが、
もうひとつ重要な言葉がありまして。
それはツツジ山。


ツツジ山とシルバースロープの名前入りの地図を、
遂に手に入れることが出来まして。


もう何のこっちゃでしょ(笑)。
自分でもどう書いたらいいのか、
そしてどうしてこう強運なおっばはぁ~んなのかとね(笑)。


やっぱり私は何かがあるのかもしれません(爆)。


引っ張り弄ぶ?つもりはこれっぽちもないんです。
出し惜しみもね。
この先目を酷使いたしますので、
明日に持ち越します。
もう眼精疲労でばりばりばこばこですっ。







ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェ編

2010-04-10 23:46:46 | ジャンプ台放浪記関連



えへへっ。







早速作ってしまいましたわ,エア新書(笑)。
脱力脱力っ。
一昨日の札幌シャンツェ編も貼っておきました(笑)。






さぁ今日はアルファシャンツェ編を。


このアルファシャンツェも悩み多きシャンツェでした。
シルバーシャンツェと違い場所はある程度しっかりしていたのですが、
お山の呼び名で混乱いたしましたっ。


だってね(笑)。
目の前にあるお山とその呼び名を基準に探し始めましたから。









これが私が毎日見て暮らしている大なまこ山です。
我が家からこの角度で、
ちょうど大なまこの背から腰のどんづまりを斜めから見てるのかな?(笑)。








これは西高のグラウンドから見た大なまこ山。
イメージ違うって、三角屋根だって…
大胆に言えばなまこのおケツを下からどんと見ている角度。
建物も道路もほとんどない状態なら…
今とは全然違ったのではと。


大倉山で昔のここら辺のスキー場の映像を見せてもらいましたが、
ほんと見事になにもないなだらかなスロープでして。
牧場だからでしょね、
あのハイジの丘みたいでした。
山に『なまこ』とつけるくらいですから。


なまこ山、木野山、馬場山、馬の背。
初めのころは泣きましたわ(笑)。
今では「ふんふん」で済ませちゃうっ(爆)。



さてと。



4月2日に北海道新聞社閲覧室に行きまして。
あまりの多さに動揺し、
シルバーシャンツェを調べるつもりが、
アルファシャンツェの年代を調べてしまいまして…(汗)。


よって手元に数枚の当時の新聞記事のコピーがありますので載せます。








1923年(大正12年)11月18日(日曜日) 北海タイムス


スキーぢゃう(笑)。

もう上の記事だけで謎解きでしょ(笑)。
理解&把握してないともう訳わからんちんでブン投げたくなるっ。
もう学習あるのみでして。
今読めばわかるんです。
4月2日にこれ見たときはオーマイガーッでしたわ。


北海道山岳会が…←アルファシャンツェ
札幌市←札幌シャンツェ
北海道大学←仮設&新設シルバーシャンツェ

これをアタマにインプットしないと混乱します。
逆にこの持ち主?が分かっているとシャンツェ名が出てなくても行き着くわけです。
つまり上の記事はアルファシャンツェに関して報じているわけです。


で、
記事なかほどの「北大のジャンプ台」とはシルバーシャンツェ。
これとT字形をするような位置に出来、、
北大のそれほど高級なものではない。
…このT字形ってのがひっかけでして。
頭の中には札幌シャンツェの画像がありますから、
えらい混乱するわけです。
札幌シャンツェは昭和ですからまだ存在しない。
アルファがなまこならシルバーはどこなのよとね。

初歩の人々の練習用を兼ねたもの…
アルファシャンツェのアルファはここからきてるんです。
ということは、
シルバーは逆に初心者向けではなかったことが想像できるかと。







1923年(大正12年)12月22日(土曜日) 北海タイムス


約一ヵ月後の新聞記事です。
なんだか無茶な位置というか、
写真と記事が離れて同じ紙面に載っていますわ。
こちらの都合上、別々に。












この写真は見たことないでしょ?
私も閲覧室で「うぉぉぉぉっ」と小さく叫んでしまいましたもの(笑)。


記事では北海道山岳会となってるでしょ?
この札幌スキージャムプ台とはアルファシャンツェ。
円山神社の北の方の奥で馬場牧場の西南方に当たり北大ジルバーシャンツェとT字形に相対して居る
…考えたらね、
今みたいに何条何丁目の枝番いくつみたいなものないか(笑)。
こういう場所表現になっちゃうんでしょね、新聞記事でも。


それにしても、
その後の文がすごいって。
読めば構造や当時の様子が分かるでしょ?









アルファシャンツェ





大正5年の地図




一昨日と同じですが、
昭和4年1月18日 北海タイムス 札幌シャンツェとアルファシャンツェの記号





昭和25年の地図





1961年(昭和36年) 国土地理院空中写真





現在







山の手南小学校裏の公園から



「ジャンプの友」と、
もう少し上(三角山側)の大なまこ寄りで話が一致いたしました。
この古い写真の撮影場所は掴んでいるのですが、
おそらく行っても住宅に阻まれ見えないのではと…

ちなみにこのジャンプの友は、
一昨日出の大なまこからの画像よりもっといい位置を見つけております。
座布団一枚進呈いたします…




もう一枚。
昭和4年1月18日付けの北海タイムスの記事を探しに行ったのですけど、
同じ日の新聞一面写真ってのがありまして。







これです、拡大しますね。







ど、どこのシャンツェじゃ?
昭和4年ならシルバー、アルファ、札幌と出揃っているっ。


記事の説明を読めって?
はいっ。
ラジャ~っ、了解いたしましたっ。


【殿下御台覧遊ばされる札幌郊外雪のシャンツェ】


どっひゃぁ~でしょ(笑)。
確かに高松宮殿下は三角山ね。
この櫓は札幌シャンツェかな?
次回シルバーの櫓の踏み切り部分の写真載せますけど、
そことは違うような気がします…
まぁなんといってもこの画質。
解けた方はご一報くださいっ。助かりますっ。







一昨日と似てるけど違うアルファシャンツェ&札幌シャンツェ


記事の説明文は、
【三角山スキー場】


…なんだかロマンでしょ。
ロマン漫遊記(笑)。


あったのよ、
ね?
あったでしょ、夢のジャンプ台がまず二つ






アルファシャンツェ 断面図と平面図

本当、小屋の屋根からスタートだっ。



【アルファシャンツェ】
大正12年(1923)、北海道山岳会がスキー奨励のため、
札幌近郊にシャンツェを建設したいと北大スキー部に場所の選定、設計を委嘱した。
それを受けて、北大は先に調査したデータをもとに、
三角山に固定シャンツェの第二号を建設することになった。
その場所は頂上から見て南東方向に張り出した尾根上の鞍部小丘である。
…このシャンツェは、アプローチ約23㍍、ランディングバーン約25㍍、アウトライン20㍍という小規模なものであった。
すでに建設されていたシルバーシャンツェに対して初級者用としていたので
アルファベットの最初の文字をとってアルファシャンツェと名づけられた。
最初のこけら落としは大正13年(1924年)1月27日のジャンプ大会   
                         ~さっぽろ文庫96 大倉山物語より




いかがでしょ。


でもね、
疑問点もあるのです。
上出の大正12年12月22日の記事の中で、
『北大スキー部のジルバーシャンツェ』という言葉がすでに使われているのですわ。
あの大野精七さんの『北海道のスキーと共に』では、
大正13年10月、ジャンピングヒルを改造、ジルバーシャンツェと命名となっているんですわ。
う~ん、どっちが正しいというより、
本の信憑性が…ぐらぐらと…
で、ジルバーでしょ。
私は銀雪のシルバーだと最初から思い込んでいたのですけど、
もっと楽しい意味が含まれていたのでしょか…



さらに。







おおっでしょ。
ただし、思い出して書くですから。



ご近所拡大いたしますと、








ジルバシャンツェの下にアルファシャンツェの絵が。
右↓隅の大なまこの木野山にもジャンプ台が。
大ナマコの三角部分ね。
これはアルファシャンツェよりも新しい時代のものなのではと思うのです。


おそらくこの方のこの絵は、
山の位置とジャンプ台の配置を考慮して書いたと思うのです。
となると。
フルヤシャンツェって??
これは何処を指している??
同じ山でダブったのを、
たとえばアルファと木野山みたいに別に書いているとしたならば…。?。
この山の形、尾根の流れ、
彼は何処を指してフルヤシャンツェを書いたんだい??

閃いた方、ご存知の方ご一報ください。

そして一番の疑問なのですが…
この絵の中に札幌シャンツェがないんですわ…
ジルバが札幌で寺口山がシルバー?
いや、違うと思う…


ね、
この絵を書いた人にお聞きしたいです。


調べ初めの頃はね、
『ジャンプ台が三つもっ』だったのですけど、
今じゃいくらでもあったんだなとね。
櫓のものからスコップで雪を固めたものまで。


最初の三つ(シルバーの仮設&新設を分けて数えると四つ)は間違いないんですけどね。
シルバー、アルファ、札幌。
その次に荒井山、大倉山。


私の知りたかったことは場所なんです。
大雑把でいいから、
ここらへんにジャンプ台があったんだよってね。
何故ってね。
私の窓から全てのジャンプ台が見えていたのではないかとね。
そう考えたらぞくぞくわくわくでして。


ただそう簡単には…
シルバーです。
シルバーが動く歩くのっしのっしとね(笑)。


かなりアタマを使ったので(笑)、
明日チカラが残っていればシルバーを。
疲れて崩壊していたらなんかばかちんネタで。


ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェの報告でした。











福寿草と喪服

2010-04-09 10:11:11 | パワーアップな日々 2010





ジャンプ台探しは図書館通いでもありました(笑)。
まだ雪が積もってましたわ。


あの本通りの街路樹の根元に顔を出していた福寿草。
顔を出したのに雪の下に埋もれちゃってね、
頑張れエールを送っていたのですが。








咲きました。半開き。
葉っぱの色が悪いのよ。
一度雪に埋没してしまったからでしょか?


わかりませんけどエラいっ。
よく頑張ったっ。←三歩か?
昨日見つけて一安心したのでした。



さて。



また喪服の出番です…
昨年の義父の葬儀から半年も経っていないのにこれで3度目。
今回も夫方の親戚です。
夫もそれなりの歳ですから、
その上の世代となるとみなかなりの高齢でして。


本日ジャンプ台ではなくお通夜列席です…
用意して別の山山まで行ってきます。



ジャンプ台放浪記 札幌シャンツェ編

2010-04-08 22:53:53 | ジャンプ台放浪記関連





気持ちのいい場所を見つけました。








ここからシルバーシャンツェ、アルファシャンツェ、札幌シャンツェ。
三つのジャンプ台が見えていたなんて想像できます?
私の目にはね、
幻のジャンプ台といわれている三つのジャンプ台が、
なんだか幻じゃなくてね、
この山肌に浮かび上がってきちゃいまして。
…重症(笑)。




いい場所でしょ。








三角山の右手には寺口山越しに手稲山。
ひょっとして銭天?春香山も??
え?そこまで見えるの??
きっちり同定できる方いらっしゃいます?
眺めのいいことだけは確かなんですけど。










三角山左手はお馴染みの山山が藻岩山まで続いております。
え~と、
なんだったっけ、
スカイライン・プロムナード。
昔、藻岩山から尾根伝いに三角山まで歩いていたという話。



なんだかいろいろな話にぶつかりました。



さぁ。
やりましょうっ。
分かったことを書きましょうっ。


レトロスペースさんはそのうち。
結構悩み画像多々でして(笑)。


まず札幌シャンツェから。
順番から行くとこれが三つの内の一番最後なんですけどね。






昭和4年1月18日 北海タイムス




大正5年地図




昭和25年地図



まぁまぁ見えんと言わずに。
ちゃんと拡大いたしますから。


三種の神器じゃないですけど、
地図と文献と人との関わりがどれほど大きな決め手となったことか。


記録なら出てくるんです。
いつ出来てどれくらいの大きさでとかね。
でも何処にあったのか何処に造ったのかはこれが出てこないんですわ。


この札幌シャンツェも何処に造られたという記載は見ておりません。
三角山という言葉だけ。麓とか山麓とかね。
ただ、
論より証拠のくっきり写真が残っておりまして。


あと三角山の文化人、
あのすっぴんで出かけた溜め息の館のI氏から、
『宮の森病院のところにジャンプ台があったそうです。
 今は後欠片もありません。』
この情報はいただいておりました。


ただそれが真実なのかはわかりません。
本当にそこにあったのか、
別の場所なのか。







中央アルファシャンツェ 右札幌シャンツェ




三角山公園




大なまこ山




古い写真を片手に撮影場所を探して歩いたのが3月14日の大なまこ山へです。
札幌シャンツェの頃の写真は採石で道が作られる前ですので、
今現在とは地形は多少変わっているはずです。
宅地化で斜面は削られ大なまこも分断されてしまってますが、
上の三角山公園写真の場所がアルファシャンツェのスタート付近、
現在の宮の森病院の場所に札幌シャンツェ。


これでほぼ決定と思っていたのですが。
違う情報が入ってきまして。
もうジャンプ台探しは放り投げてしまいましょかとヘタれたのですが。


このヘタれが新たな展開となりまして。


緊急要請をかけ、
地図地形地質の鉄人my同期のK氏←ばればれ→に資料を見て貰ったのですが、
その地図に札幌シャンツェを示す記号というか図と文字を発見してくれまして。
(文字は私でも読めたのですが、あの長いX記号がジャンプ台だとは考え及びませんでして)
さらにシルバースロープも載っておりまして。


I氏の証言(と言っていいのか?)・写真・地図。


では先ほどの昭和4年北海タイムスの記事地図の拡大を。






いかがでしょ。
札幌シャンツェの文字と、
その上にあるジャンプ台の向きと位置を表す書き込み記号。
今2,3名『おおっ』と言ってくれました?(笑)。


さらに次回とカブってしまうのですが、
文字と記号の間に小さくアルファシャンツェと思われる記号も見つけた人はエラいっ。
向きがもうちょいと傾いてますけどね。





札幌シャンツェ断面図と平面図




【札幌シャンツェ】
アプローチの65㍍は地上10㍍の櫓を組んだ。理想的なランディングバーンで
35㍍の飛距離が可能とされ、当時の新聞は「東洋一の大シャンツェ」と報じていた。
大正15年12月(1926)に着手し、翌年1月(1927)、大正天皇の崩御により年号がかわって昭和2年(1927)1月に竣工、
札幌シャンツェとよばれた。    ~さっぽろ文庫96 大倉山物語より


大正15~昭和1~昭和2と年号のマジックですが上であっています。







2010年4月1日


ね?見えるでしょ??
え?私だけだって??(笑)。


札幌シャンツェの他の写真、出てこないのです。
あの古い写真とほぼ同じのしかまだ見ていない。
情報も札幌シャンツェは少なかったのに。


逆に写真も情報も多いのに足が生えて歩き回ったのがシルバーシャンツェでして。
いえ、
歩かず鎮座してたんでしょけどね。


あくまでも私の考えでの札幌シャンツェですので、
本当にあった場所は違うのかもしれません。


「それは大間違いだよ、君っ。」という方は、
どうぞソフトタッチでご指摘ください。
新しい情報や修正点があれば訂正&加筆してゆきます。







*4月10日追加





ジャンプ台放浪記 札幌シャンツェの報告でした。








レトロスペース・坂会館 1

2010-04-07 23:14:14 | パワーアップな日々 2010









…あぁ。


何から書けばいいのでしょ…


今日からジャンプ台放浪記の仕上げを、
まず最初に札幌シャンツェを仕上げるつもりでいたのです。


昨日、
関連事項の枝分かれ調査で歩いていたとき、
この表現はおかしいかもしれませんけどお呼びがかかったんですわ。
なんでしょね、
キテキテcallですわ、この建物全体から私に向けて発信してるっ。
↑…あ、あっぶないおっばはぁ~んだなぁ。


瞬時に『ここ行かなくちゃっ』て感じまして。
ただその足ですぐ突撃in出来るような類のものではないことは鋭い勘と嗅覚で察知。


調べてみると、
なんだか一筋縄ではいかないというかモロ縄が出てくるというか…
心構えとバッテリーが必要だなと。


で。


シルバーシャンツェの最後の確認の本が貸し出し中なのを理由にしちゃってね、
レトロスペース・坂会館に行ってしまおうかと。



宣言します。
私、ここ好きです、大好きですっ。


何故こう声高々に叫ぶかといいますと…


受け取り方、感じ方、見方は人それぞれなのはお分かりかと。
正直ここは両極端に分かれるでしょね。


ただのキワモノガラクタエログロか、
なんだかわからないけれど惹かれる空間か。


私は後者です。
エロスあり縄ありヌードありアングラワールドあり…
でもね、
なんでしょね、
綺麗に撮ってあげたいと、
綺麗に見せてあげなければと。←これって指令がきてるのか?








このコ達よ。
昨日通りの向こうを歩く私に向かって呼びかけていたのは。


この画像でも分かると思うのですが、
埃を被ってないんです。
お人形も展示部もびっちびちなのですが、
埃がない。
良くお掃除とお手入れがされている。
…そりゃお菓子屋さんといったらそれまでですけど、
埃や臭いは感じませんでした。
常に空調と換気がなされてるよなと。


まぁ話は逸れましたが、
お店の方に写真撮影の許可と超長居になるかもしれない承諾をいただきまして。


…写した画像は281枚っ。
ぅぉぉぉぉぉ…。


ただね、
何をどう載せればいいのやら(爆)。



まずは誰が見ても安心な?ものから。







雑多なようで緻密なんですわ。
いたる所に照明器具で光りを当てておりまして、
絶妙な陰影を作っているんですわ。









もうね、
バックは床に置きまして(笑)。
下手にぶつけたら壊しちゃいますわ。


…奥のアグネス・ラム。
懐かしいでしょ。あのポスター記憶にあるでしょ?
それがね…仰天だったのですが…
当時はみなそうだったのかもしれませんが、
ムダ毛の処理が今のように完璧じゃないいんですね、これ。
TBCなんてなかった?
近くで見ると『…っ』なんですわ、同性としてね。
男性から見たら『…づっ』でしょか…


あ、今日はまだエロスの日じゃないですから(笑)。


では手慣らし目慣らし免疫対策にどどどぉんと。































































































これ持っていました(笑)。コーラのミニチュアビンっ。























…と比較的無難で無害?安全なものを選んで載せました。




…こんなものじゃないんです。




…ファンタジーワールドが、




…異空間が、




…超こだわりの世界が、











ほら、あなたを待っているのです…



ホラー化してどうするっ。







系統樹

2010-04-06 18:15:15 | パワーアップな日々 2010




ジャンプ台放浪記の始まりは三角山でして…
その三角山からどんどん枝分かれ分岐を行い、
何がなんだか収拾付かない手一杯な毎日となっておりますが…


ジャンプ台の場所を特定するために、
いろいろ歴史をほじっていくんですわ。
そうすると、
うぇっうぇっと驚愕の声を発するような史実にぶつかりまして。


いえ、
そんなに大袈裟なことではないのです(笑)。
私が無知だっただけなんです(笑)。



古いもの、古い建物が好きなのはご存知だと。


ジャンプ台捜査=歴史検証ですから、
2010年の街並みを歩きながら、
昔の街並みを探してしまうのですわ。








この彫りものは札幌軟石?


札幌軟石に関して検索かけても、
使われている歴史的な建物とか札幌軟石の説明は出てくるんですけどね、
見分け方とか、
これが札幌軟石、間違いやすいのはこれで特徴はこうよなんてね、
こうブスの、
いえズブの素人・初心者でもこくんとうなずく様な、
明快明朗な説明に出会っておりません。


で、
この彫りとか色とマットな質感、
それが私の判断基準となっておりまして…(汗)。


それはただの石、ブロック、コンクリートだと言われたらどうしようなんですけど。


違っていたら、
優しくソフトタッチで指摘してくださいな。
それ、違いますよってね。








そう、それでね、
ジャンプ台放浪記でご近所徘徊調査して歩いているんですけど、
上のような塀や門柱を結構見かけるんですわ。
all石造りの建物ってのはさすがに見かけないですけど、
この石って札幌軟石かしら??ってのにぶつかる。


面白いですわっ。
面白いですけど石塀にへばり付き触るヘンなおっばはぁ~んですわっ。
いまさら始まったわけではないですけど、
なんだかグレードア~ップっ。



でね(笑)、
さらに小路の奥に突入か?でして(笑)。


ジャンプ台からかなり枝分かれ気味となりますが、
まぁ関連の裏づけ実況検分で今日も歩いていたわけです。


すると…


あ…











ここは日頃歩かないエリアなんですわ。
車で通るか、
歩いたことは過去数回だけ??


この建物は記憶にあるけれど、
この交通量、
じっくり眺めたことなんて今までない。


車の流れの切れ目から、
車線を挟んで伝わってくるこの微妙なオーラ。

こ、これは…
よ、呼んでいる…。
この波動は確実に私を呼んでいる…。
いや、
私呼ばれている…。うっ。








あるっ。
何かがここにあるっ。
特殊なエネルギーが磁場が…


帰宅後調べてみましたら、
私の勘はビンゴでして、
かなりのとこのようですわ(笑)。
その場で突撃しなかった私の勘の鋭さにも惚れ惚れっ(笑)。


こうやってどんどん枝分かれして行くのですわ(笑)。










ね、
ちゃんとふきのとうも見つけたってね。








雄花雌花も見分けなきゃね、今年は。
…食べる?
それはまたいつか…


なんだか歩き回ったからでしょか。
寒気と熱っぽさが…
早めのパブロンに託しましょう。



アバウト&化石チョコレート

2010-04-05 22:09:09 | パワーアップな日々 2010





おおっ。







びちょびちょ化しているっ。
早く泥沼化が見たいってね(笑)。



もう一方の泥沼化は…(笑)。



今日は資料の読み直し&整理をしてましたら…
ちゃんと付箋してあるのにポイしていた年表の一行…







三角山麓シャンツェジャムピングヒルなんてアバウトだって苦情を申すだったのに、
あら、
私の付箋が正義を示しておりまして…


草大福さまとご一緒の北海タイムスのコピー。
大正13年(1924)1月26日土曜日の新聞なんですわ。


付箋の年表はね、
同じく大正13年なんですけど、
10月(日にちは記載なし)でして。
↑の新聞記事から9ヵ月後ね。

…ジャンピングヒルを改造、櫓を組んでアプローチを延長し、スケールを大きくした。
ジルバーシャンツェと命名。


記事は正しかった…


2010年の世から振り返るとジャンプ台の名前はシルバー、アルファ、札幌だけど、
この新聞記事の頃はまだ正式な名前がついてなかったんだわ…
他の日付のも曖昧アバウトだけど、
その頃はまだ呼び名が決まってないからしゃあないのね…


仮設&本設ジャンプ台はあっても、
過去文献や資料で呼び名が揃ってないのはこのせいなのかも。
だから余計にごっちゃになるのよね。
台が仮設新設二つに呼び名はこの日までなしですもの。



…ちなみに。
ジルバーシャンツェの「ジルバー」は見間違いでも打ち間違えでもありません。
このジルバーとかジルバ(踊るってか?)は出てくるんですよ。
ジルバーとシルバー。
同じブツを指していると思うんですけど。
そんなにあったらたまったもんじゃないですわっ。
おお、ひらがなのオンパレードっ。


あぁ。今宵も熱く語ってしまいました。




本日のおまけというか、
まぁ奇妙なモノをひとつ。










化石チョコレートっ。
ぐへっでしょ(笑)。
怖いもの見たさと言うか、
怖いもの知らずというか…



アンモナイトは売り切れでね、
残っていたのが「三葉虫」と「巻貝」。
もちろん圧倒的に三葉虫のほうが在庫多々。


そりゃね、
食べるとしたら巻貝でしょや。
ベルギーのチョコ(あれはでら上手い)だってシェルよね、貝。


で。


巻貝をと思ってレジへ向かった瞬間、
私の後ろ髪を引くやつがいるんですわ。
『お~い、連れて行け~』ってね。


巻貝ならきっとそのうち売れるでしょう。
これは三葉虫の声を拾うしかないなと。









化石教室…
この先進むのがでら怖い…




見たいでしょ?




早く見たいでしょ??




見せろってっ。










うぉぉぉぉぉっ。
立派な虫ぃぃぃぃぃっ。









ウィキから。
リアルだって。
チョコ好きおっばはぁ~んでもこれは食えんって。









さらにLEDマクロで迫るっ。


来年のバレンタインはこれかっ。
これ贈ったら喜ばれるかなぁ…
嫌われる?
ウケる??


…これどうしましょ(笑)。
溶かしてココアにしましょうか。
そ、それもな…




アレルギーよストレスよ。

2010-04-04 23:20:20 | パワーアップな日々 2010





Spring has come~っ。








裏の公園に雪解け水が溜まり、
泥沼化が始まると完璧春の到来です。


なんだかこの二日間でぐんぐん融けて、
地面が倒れた草が土が見えております。



ところがどすこい、
この私。


でら顔が痒くてね、
痒いのが進んで痛痒くなってきてね、
朝顔を洗ったら手触り最悪どっひゃぁ~でして…


これはまずいですわ。
いつもの化粧水もつけれんでして…







アベンヌ買ってきましたわ…
スプレーでなくシートパックすれとね。







デカっ。
救ってくれっ。




でね。



私この痒みは得意のアレルギーだと思っていたわけです。
花粉症とかではなく、
埃っぽいと咳が止まらなくなったり、
顔(両頬・アゴのV字ライン)が痒くなるんですわ。


図書館でしょ、
古い本抱えてるでしょ、今。
だからこんなに痒いんだとね。
ジャンプ台放浪記にピリオド打てば痒みも治まるとね。


…ピリオド打てんですわ、いまだに。


ところがね、
ドラッグストアの店員さんが言うには、
このVゾーンの痒みや炎症はストレス性なんですよと。


まぁね…
アレルギーでもストレスでもよござんすわ。
痒いの痒いの飛んで行け~っ。










血湧き肉踊るなら草色のブツ(笑)。
三角山麓シャンツェ。
なんてアバウトな表現なんでしょ。
ジャムピングヒルよ。
そういえばアイスホッキーってのもあった。








こちらも血湧き肉踊るブツ(笑)。
写し忘れたけど、
22時すぎに濃いノドに沁みるチョコレートケーキも食べてしまいましたわ。
崩壊。


明日から控えましょ…



秋野総本店薬局となまこ壁に感動する

2010-04-03 22:45:45 | パワーアップな日々 2010




昨日の歴史バージョン?です。







札幌シャンツェならぬ札幌シャンテ。
通りが写って美しいっ。

日本劇場1954~2003の跡地ビル。
日劇は私でも覚えてます。

ジャンプ台をやり始めの頃はね、
どうも札幌シャンツェじゃなくて札幌シャンテって言葉が出てきちゃいまして(笑)。
あんこ姫がいましてね、私の友達に。
麻布茶房…(笑)。
今は言い間違えはいたしやせん。
そりゃね、
これだけ向かい合ってればってね(笑)。









交差点を渡りジュンク堂角を左に折れると、









秋野総本店薬局が見えてきます。


なかなか大通りは機会が少なくてね。
やっと来たのに時間がないんですわ。
約束の時間が近づいててね。
猛ダッシュ撮り決行でして…








看板其の一(これってなまこ壁板看板??)








見てっ、すごいっ。
これ、
秋野総本店薬局、私のハートに直球ストレートでばしゅんっですわ。
伴宙太のグラブの煙るボール的イメージっ←修復してない?


いえね、
私の好む傾向をご存知の方なら、
こんなに素晴らしい建物が町のど真ん中で見れる触れるなんて、
もう叫んでしまいたくなるほどの感激のルツボでして。








この色…漂うなんともいえぬ味…









用語はわかりませんけど、
きっとものすごくお洒落な造りなのではと思います。
こんな目に付かない場所を飾るなんてね。


(あ、今思い出しましたけど、昔ばあちゃんが住んでいた大きな家。
 玄関引き戸の横にも飾りというか細工があったような記憶が。
 スリ硝子か砂壁みたいな石だったのかな?
 細く狭い空間部分。
 あ~、同じようにぽんと玄関じゃなくてワンクッションあったような。)








で、石でしょ。
ただの石??
わかりませんけどね、
木材や竹が陽なら石って陰でしょ。
前にどこかで読んだことがあって、
その調和が大事だと。







一つ一つ手彫りの模様。
なんだか胸を打つものがありまして、
指でなぞってきてしまいました。













あ、写りこんでしまってる…
もう時間がなくてね、
浸る余裕なし。
ばばばっでして。
くっやしぃ…








もう一枚の看板。
あ、看板キャッチ文字が違うんだ。
それにしても、古い。
この存在感、オーラ。


明治34年に建ったそうです。
1901年。
計算できるかな?私。
え~っと、築109年っ。


教えて…見てた?見てたでしょ?
お山のジャンプ台どこでした??








大きな倉。
どうしてもそっちに行きたい?大倉もここにありってね(爆)。







…飾り?リボンに見えたけど注連縄?
それとも違う何かなんでしょか。









漆喰のなまこ山ならぬなまこ壁。


ここは再来ですな。
もっともっとじっくり見たい。
お店の中も見せていただきたい。


きっと私には想像できないくらいのご苦労がおありなはず。
これだけの建物を維持しているのですから。
ありがたいですわ。








土蔵造2階建てですって。
今度は下調べをきちんとしてきましょ。


いいもの見せてもらいました。
ジュンク堂へ行くのならちょいと寄り道いかがでしょ。
こんなに古いものが普通に道路わきに立ってるなんて素晴らしいと思いません?



ジャンプ台関連です。
シルバーにまた足が生えて動き始めました。
さきほど新たな発見がありまして、
また裏づけでコケるかも知れませんが、
ちょいと涙ぐんでしまいました。


ここで決定ならどうしましょ(笑)。
いよいよ完に向けラストスパートでしょか。
スパートじゃないな(笑)。
ラストよれよれでしょか。


…なんか一喜一憂、
七転び八起きしてるんですけど私っ(笑)。






ジャンプ台放浪記 なんちゃって編

2010-04-02 20:19:19 | ジャンプ台放浪記関連




す、すみませんっ。
今日は一人笑わせてください。







午後から道新本社に行ってきたのですが…


ここね、
古い新聞記事を閲覧できるのですわ。
私過去に一度昭和19年の新聞を調べたことがありまして。
マイクロフィルムに記録してあるんです。


ただね…
何年何月何日ときちんと調べる対象が確定しているときはばっちこなんですけど、
あやふやというか、
大正11年ごろなんて指定するとわやなことが起こります。


そして長時間閲覧できません。


昭和4年1月18日付 北海タイムス。


これはあっさりもう楽勝だったんですけどね。
その他がまぁ…
大正12年でいくつかは見つけてきましたけど、
なんだかミドリニリンソウ探すより大変っ(笑)。


粘ってみたけれど時間足りませんわ。


朝から食料持参で中央図書館で粘るか、
もう、
ほどほどのところで手を打つかっ。











さぁここから壊れて笑おうぞよっ。



駆け足で、なんちゃってジャンプ台大通り編。









Do you know it?






札幌シャンテ(笑)。









なまこ壁(笑)。









時計台。ぷっ。




以上。
壊れかけたおっばはぁ~んが報告いたしましたっ。
顔が痒ぃ~っ。






ヒトンセとミドンセと、 時々、オトンセ

2010-04-01 21:52:52 | パワーアップな日々 2010
笑っちゃいけないんですけどね。
本当はとてもかわいそうな話なんですけどね。


私の記憶が正しければっ。
夫は私と結婚してから一度も病欠したことがありません。
「横になって」も「寝込んだ」ことはないのです。


ひたすら丈夫。
丈夫というか義父もそうでしたけど、
きっとカラダがどえらい丈夫なつくりになってるんでしょね。
マッチョじゃないですけど(笑)。


ど偏食大酒のみ。
好きなものしか食べない。
不健康の見本のような人なんですわ。
超マイペースで悔い改めようともしない。


その夫がなんだか具合悪そうでして。


月曜深夜に酔っ払って帰宅、
火曜は早めに帰宅。
具合が悪いのを悟られぬように見栄を張っているけどご飯が食べられない。
ダウン。
水曜、出社するも即帰宅。
ダウン。
本日木曜、初めての病欠となりました。


さすがに本人もまずさを悟ったようでして、
やっと病院に行く気になりまして。
火曜からカラダが食べ物を受け付けず、
強がり言ってられなくなったようでして。


『オレ…入院するかもしれない…』


でね、
このとき私初めて見たんです。
この人と一緒になって長いですけど、
初めて見たんです。


私が一番最初に夫に興味を持ったのはね、
性格でもビジュアルでも収入でも地位でもなく、
その顔の色の黒さだったんです。

夏でも秋でも真冬でも春先でも、
いっこうに色落ち脱色することなく、
それは見事に黒いんですわ。


どうしてこの人こんなに一年中真っ黒なんだろかとね。


それがこうして連日連夜共に暮らし、
原因究明することになっちまったんです(笑)。
まぁそれは冗談ですけどね。


その黒さの原因は何だったのかって?
それは色が落ちる暇と隙がなく、
常に地黒ガングロゴングロの積み重ねだと断定いたしました。


で。


話が説明に回りましたが、
私が夫のそばに居るようになって初めて見たもの。
それは…
本当に顔色の悪い黒くて白い夫の顔でして。


相変わらず黒いんですけど、
表面の黒さとは違う別物の青白さが中からぼやけて見えるんですよ。
黒いんだけど顔色が悪い。
黒くても真っ青顔面蒼白になっている。


でね。
私も焦りまして。
こんなに具合の悪そうな夫…
声をかけてあげたい…
でも・・・
顔色悪いよなんて言ったら不謹慎にも爆発しそうでして…


月曜の夜の飲み会で食べたものにあたったらしいです。
入院にはなりませんでしたが、
今晩も食べれませんでしたね、あの人。



夫の話題が出たので、
もう今日は家族ネタで(笑)。








先月ですけど久しぶりに娘が帰ってきまして。
これがひっくり返るくらいオンナ度アップになって帰ってきましてね。








しゃき~んとトレンチなんて着てもうビヨンセならぬヒトンセでして。
まさに ♪Wuh uh oh~ oh oh oh~
     Wuh uh oh~ oh oh oh~



ポンパドールのふんわり前髪がかわいくってね、
お揃にしたらどうなる?
似てるか?
なんて夜遅くにやり始めまして…









笑いコケましたわ。
この髪でメガネバージョンも撮りましたら激似。
まぁ歳は誤魔化せませんけどね。


…あくまでも。
うちの若くて綺麗でいい匂いのするステキなお嬢さんは真っ当ですから(笑)。



大正5年と昭和25年の三角山琴似近辺の地図のコピー入手しましたっ。
これは嬉しい。
またちょいと前進かな。