毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェ編

2010-04-10 23:46:46 | ジャンプ台放浪記関連



えへへっ。







早速作ってしまいましたわ,エア新書(笑)。
脱力脱力っ。
一昨日の札幌シャンツェ編も貼っておきました(笑)。






さぁ今日はアルファシャンツェ編を。


このアルファシャンツェも悩み多きシャンツェでした。
シルバーシャンツェと違い場所はある程度しっかりしていたのですが、
お山の呼び名で混乱いたしましたっ。


だってね(笑)。
目の前にあるお山とその呼び名を基準に探し始めましたから。









これが私が毎日見て暮らしている大なまこ山です。
我が家からこの角度で、
ちょうど大なまこの背から腰のどんづまりを斜めから見てるのかな?(笑)。








これは西高のグラウンドから見た大なまこ山。
イメージ違うって、三角屋根だって…
大胆に言えばなまこのおケツを下からどんと見ている角度。
建物も道路もほとんどない状態なら…
今とは全然違ったのではと。


大倉山で昔のここら辺のスキー場の映像を見せてもらいましたが、
ほんと見事になにもないなだらかなスロープでして。
牧場だからでしょね、
あのハイジの丘みたいでした。
山に『なまこ』とつけるくらいですから。


なまこ山、木野山、馬場山、馬の背。
初めのころは泣きましたわ(笑)。
今では「ふんふん」で済ませちゃうっ(爆)。



さてと。



4月2日に北海道新聞社閲覧室に行きまして。
あまりの多さに動揺し、
シルバーシャンツェを調べるつもりが、
アルファシャンツェの年代を調べてしまいまして…(汗)。


よって手元に数枚の当時の新聞記事のコピーがありますので載せます。








1923年(大正12年)11月18日(日曜日) 北海タイムス


スキーぢゃう(笑)。

もう上の記事だけで謎解きでしょ(笑)。
理解&把握してないともう訳わからんちんでブン投げたくなるっ。
もう学習あるのみでして。
今読めばわかるんです。
4月2日にこれ見たときはオーマイガーッでしたわ。


北海道山岳会が…←アルファシャンツェ
札幌市←札幌シャンツェ
北海道大学←仮設&新設シルバーシャンツェ

これをアタマにインプットしないと混乱します。
逆にこの持ち主?が分かっているとシャンツェ名が出てなくても行き着くわけです。
つまり上の記事はアルファシャンツェに関して報じているわけです。


で、
記事なかほどの「北大のジャンプ台」とはシルバーシャンツェ。
これとT字形をするような位置に出来、、
北大のそれほど高級なものではない。
…このT字形ってのがひっかけでして。
頭の中には札幌シャンツェの画像がありますから、
えらい混乱するわけです。
札幌シャンツェは昭和ですからまだ存在しない。
アルファがなまこならシルバーはどこなのよとね。

初歩の人々の練習用を兼ねたもの…
アルファシャンツェのアルファはここからきてるんです。
ということは、
シルバーは逆に初心者向けではなかったことが想像できるかと。







1923年(大正12年)12月22日(土曜日) 北海タイムス


約一ヵ月後の新聞記事です。
なんだか無茶な位置というか、
写真と記事が離れて同じ紙面に載っていますわ。
こちらの都合上、別々に。












この写真は見たことないでしょ?
私も閲覧室で「うぉぉぉぉっ」と小さく叫んでしまいましたもの(笑)。


記事では北海道山岳会となってるでしょ?
この札幌スキージャムプ台とはアルファシャンツェ。
円山神社の北の方の奥で馬場牧場の西南方に当たり北大ジルバーシャンツェとT字形に相対して居る
…考えたらね、
今みたいに何条何丁目の枝番いくつみたいなものないか(笑)。
こういう場所表現になっちゃうんでしょね、新聞記事でも。


それにしても、
その後の文がすごいって。
読めば構造や当時の様子が分かるでしょ?









アルファシャンツェ





大正5年の地図




一昨日と同じですが、
昭和4年1月18日 北海タイムス 札幌シャンツェとアルファシャンツェの記号





昭和25年の地図





1961年(昭和36年) 国土地理院空中写真





現在







山の手南小学校裏の公園から



「ジャンプの友」と、
もう少し上(三角山側)の大なまこ寄りで話が一致いたしました。
この古い写真の撮影場所は掴んでいるのですが、
おそらく行っても住宅に阻まれ見えないのではと…

ちなみにこのジャンプの友は、
一昨日出の大なまこからの画像よりもっといい位置を見つけております。
座布団一枚進呈いたします…




もう一枚。
昭和4年1月18日付けの北海タイムスの記事を探しに行ったのですけど、
同じ日の新聞一面写真ってのがありまして。







これです、拡大しますね。







ど、どこのシャンツェじゃ?
昭和4年ならシルバー、アルファ、札幌と出揃っているっ。


記事の説明を読めって?
はいっ。
ラジャ~っ、了解いたしましたっ。


【殿下御台覧遊ばされる札幌郊外雪のシャンツェ】


どっひゃぁ~でしょ(笑)。
確かに高松宮殿下は三角山ね。
この櫓は札幌シャンツェかな?
次回シルバーの櫓の踏み切り部分の写真載せますけど、
そことは違うような気がします…
まぁなんといってもこの画質。
解けた方はご一報くださいっ。助かりますっ。







一昨日と似てるけど違うアルファシャンツェ&札幌シャンツェ


記事の説明文は、
【三角山スキー場】


…なんだかロマンでしょ。
ロマン漫遊記(笑)。


あったのよ、
ね?
あったでしょ、夢のジャンプ台がまず二つ






アルファシャンツェ 断面図と平面図

本当、小屋の屋根からスタートだっ。



【アルファシャンツェ】
大正12年(1923)、北海道山岳会がスキー奨励のため、
札幌近郊にシャンツェを建設したいと北大スキー部に場所の選定、設計を委嘱した。
それを受けて、北大は先に調査したデータをもとに、
三角山に固定シャンツェの第二号を建設することになった。
その場所は頂上から見て南東方向に張り出した尾根上の鞍部小丘である。
…このシャンツェは、アプローチ約23㍍、ランディングバーン約25㍍、アウトライン20㍍という小規模なものであった。
すでに建設されていたシルバーシャンツェに対して初級者用としていたので
アルファベットの最初の文字をとってアルファシャンツェと名づけられた。
最初のこけら落としは大正13年(1924年)1月27日のジャンプ大会   
                         ~さっぽろ文庫96 大倉山物語より




いかがでしょ。


でもね、
疑問点もあるのです。
上出の大正12年12月22日の記事の中で、
『北大スキー部のジルバーシャンツェ』という言葉がすでに使われているのですわ。
あの大野精七さんの『北海道のスキーと共に』では、
大正13年10月、ジャンピングヒルを改造、ジルバーシャンツェと命名となっているんですわ。
う~ん、どっちが正しいというより、
本の信憑性が…ぐらぐらと…
で、ジルバーでしょ。
私は銀雪のシルバーだと最初から思い込んでいたのですけど、
もっと楽しい意味が含まれていたのでしょか…



さらに。







おおっでしょ。
ただし、思い出して書くですから。



ご近所拡大いたしますと、








ジルバシャンツェの下にアルファシャンツェの絵が。
右↓隅の大なまこの木野山にもジャンプ台が。
大ナマコの三角部分ね。
これはアルファシャンツェよりも新しい時代のものなのではと思うのです。


おそらくこの方のこの絵は、
山の位置とジャンプ台の配置を考慮して書いたと思うのです。
となると。
フルヤシャンツェって??
これは何処を指している??
同じ山でダブったのを、
たとえばアルファと木野山みたいに別に書いているとしたならば…。?。
この山の形、尾根の流れ、
彼は何処を指してフルヤシャンツェを書いたんだい??

閃いた方、ご存知の方ご一報ください。

そして一番の疑問なのですが…
この絵の中に札幌シャンツェがないんですわ…
ジルバが札幌で寺口山がシルバー?
いや、違うと思う…


ね、
この絵を書いた人にお聞きしたいです。


調べ初めの頃はね、
『ジャンプ台が三つもっ』だったのですけど、
今じゃいくらでもあったんだなとね。
櫓のものからスコップで雪を固めたものまで。


最初の三つ(シルバーの仮設&新設を分けて数えると四つ)は間違いないんですけどね。
シルバー、アルファ、札幌。
その次に荒井山、大倉山。


私の知りたかったことは場所なんです。
大雑把でいいから、
ここらへんにジャンプ台があったんだよってね。
何故ってね。
私の窓から全てのジャンプ台が見えていたのではないかとね。
そう考えたらぞくぞくわくわくでして。


ただそう簡単には…
シルバーです。
シルバーが動く歩くのっしのっしとね(笑)。


かなりアタマを使ったので(笑)、
明日チカラが残っていればシルバーを。
疲れて崩壊していたらなんかばかちんネタで。


ジャンプ台放浪記 アルファシャンツェの報告でした。