ダメだ、ツツジ山がすっごく気になる引っかかる。
新設のシルバーシャンツェより、
仮設の古いほうの飛躍台、
何か見落としている、
まだ何かある気がしてならないのですわ。
仮設の飛躍台というよりツツジ山。
ここでなにか大きなミスをやらかしている気がして落ち着かないのです。
この勘。
当たりなのかハズレなのか。
さて。
脳がギブアップと叫んでおりまして。
たまには違うものを食べさせろと。
え?食べ物?違うってね…
ジャンプではなくリフトを。
…ってしょう油味とソース味の違いじゃない?
もっとパフェとかケーキとか大福さまとかまったく違う味を食べたいんですけど。
あ、アルコールってのも要求大かも。
最近叫んでいなかったな…酒持って恋っ。
いや、これは瞬殺なりそうだな…
↑すでにお疲れちゃんなのは隠せないってね。
リフトよね、リフト。
コメント欄で登場したリフトですが。
リフトは要チェックから外していたのですわ。
だから慌てて本をごそごそと。
本ももうほとんど図書館に返しちゃいましたので、
詳しくは分からないのですが。
三角山スキー&ジャンプ衰退にも繋がりますので。
昭和3年 秩父宮さまの提案によって流れはどどどっと大倉山へと向かいまして。
当時は大倉山という名前は存在せずただの丘、斜面だったそうです。
ここに大シャンツェの白羽の矢がばきゅ~んと。
大倉男爵がぽいと私費を投じてできたのが大倉シャンツェ。
開場式は昭和7年1月16日午後1時っ。
あ、すっごく雑に簡単に書いておりますし、
勉強不足ですので流れの把握程度におさめてください。
下はスタンド席。
これ見て鈴鹿のF1思い出しましたわ。
鉄パイプの櫓ででら怖かった。
あ、じゃなくて、
注目はこのスタンド席後ろの景色。
…何にもない。
ぽちんぽちんと建物らしきものは見えますけど。
何もなかったとは聞いてましたけど、
何もないっ。はぁ~すごい。
大倉山は何度も改修工事を繰り返してきたそうで、
よく聞く雪印シャンツェってこれだったのね。
大倉山にも大倉山のロマンがあったのね。
で。
何故大倉山を説明しなければならなかったのか。
ちゃんとこれがリフトへと行くんですわ(笑)。
いきなりこんなデカいジャンプ台で飛べったってね。
三角山にあるシルバー・アルファ・札幌。
これでは大倉山に挑戦するには小さすぎたようで。
大倉山シャンツェ完成までの練習台として、
荒井山に40㍍級の『記念シャンツェ』が昭和4年に建設されたのです。
記念シャンツェ、森永シャンツェ、荒井山シャンツェと名前が変わったそうな。
で、リフトね。
待ってね。
幻となった昭和15年の札幌オリンピック。
ざっとね。
1、開、閉会式は円山陸上競技場
2、ジャンプは大倉山シャンツェ
観覧席は4万人収容のものとする。
練習用に二飛躍台を新設する
3、回転競技は三角山を伐開し、観覧席2千人収容のものを新設する
4、滑降競技は手稲山にコースを策定する。
5、スケート競技場は中島公園に一万人収容のものを新設
6、ボブスレーは神社山
さっぽろ文庫16 冬のスポーツから抜粋しました。
この冬季五輪は返上、幻となったんですけどね、
このとき三角山にリフトを造る予定があったかなかったか。
私はどこかで読んだような気がしてますが、
反射板を勝手に思い込んでいただけなのかもしれません。
はっきりとしたことは今手許にないんです。
その後三角山にリフトが造られたか。
これは目にしてないですね。
年代に表記にズレがありますが、
『冬のスポーツ』では昭和31年、
『大倉山物語』では昭和28年、私の見方が間違ってるのか??
まぁ、その頃荒井山に北海道第一号のスキーリフトが設置されたようです。
以来藻岩山市民スキー場、テイネオリンピアスキー場、定山渓三笠山スキー場、
ふじのヘルスランドスキー場などが整備されていったと。
…ヘルスランド。懐かしくて哀愁漂う響きだわ。
リフト&スキー場の料金までは…ちょっと…
荒井山スキー場。
で、
もうこのころには三角山、なまこ山、馬場牧場周辺は宅地化の波がどどどどどっと。
採石も始まるとこれ危なかったそうな。
今でも危ないですけどね。
今回のジャンプ台を調べていて読んだ三角山関連の本の中に、
山頂から採石方面の崖は下りるなと書いてありました。
突然落ちると。
そう、
宅地化の波と採石。立地条件。交通の便。
スキーのメッカは三角山から荒井山へとなったのでしょね。
さてツツジ山。
今日また赤坂山・寺口山の文が出てきまして。
ここにもツツジ山は出てこない。
ちょいと頑張って潜りましたら、
脱出口に繋がるかもしれない糸口見つけました。
ただね…
昨日ジャンプの友に愚痴ったのですが、
そこも今日のこことここも←何じゃ?ですみません。、
図書館行くみたいに行ける場所ではありませんで。
行き難い…すっごいプレッシャー…
でもツツジ山は引っかかるっ。
ツツジ山は寺口山に吸収された?買われた?
戦後の農地改革も関係する?
もうアタマがぎゅうぎゅうなんですけど。
何かがある気がしてならないんですわ。
あぁ息抜きしたい…
散財の虫がっ。
散財っ。こういう時ってすっごく魅力的な響きなのよね、散財。
明日散財報告がくるか(笑)、
ツツジ山進展が載るか。
まぁね、
ご褒美にどんぐりのパンでしょか(肥)。
私もリフトは昭和31年、という記憶があったのですが、『冬のスポーツ』が出典のようですね。
荒井山の石碑には昭和27年とあったので、あれっ?っと思ったのですが。
オリンピック用にリフト計画、というのも、書いてあるとしたら『冬のスポーツ』じゃないかという気がします。
それから、仮設台が北の端にあるのは、なまこ山周辺よりシルバースロープの方が
当時のスキーのメインだったから、ということはないですかね?
勝手な想像ですが。
北海道第一号ですか、私たちが生まれる前から
リフトがあったのですね。
定山渓三笠山スキー場とはパークゴルフ場の
ところだと思うけどあそこも歴史あるスキー場
のようですね、名前から想像はしてましたが。
つつじ山ですけど、地主のいない部分(川縁とか)
でつつじが多かったから名づけたとかだと思い
ました。
道路工事で削ったのは崩れそうな部分だけで
外見は今とあまり変わってないと思いました。
建物を建てる関係で平らになっている部分は
多いと思います。
しがらみで、寺口山とは呼びたくない人が
多かったとか。
あるいは小さな出っ張り部分を別名で呼んでた
とか・・・
想像ばっかりですみません。
混乱の大きな原因は私の理解&読解力のまずさと乱字雑字のなぐり書き…
記憶力のなさなのです…整理とか順序だててなんてのもダメですし…
北大スキー部はなまこ山付近で滑り始めたという話は数度出てきております。
大野さんの本では「琴似村の合宿所」がたびたび出てきます。
これがあの写真の建物ではと思うのですが、
場所は琴似村というより十二軒村?きわどい辺り(笑)。
あ、琴似村だっ。見つけたっ。
札幌郡琴似村字牧場番外地っ。
なまこ山近辺にこの住所発見。
りんご園の住所ですけどね。
私スキーをやらないので感覚というか移動時間もピンとこないのですが、
なまこよりシルバーが気持ちいいになって、
こちら側で日々練習に励んだのではと。
シルバーロッジから見下ろす見渡す景色は鳥肌ざわわの美しさでしたもの。
私の主観のざわわですけどね(笑)。
でも何故あの端っこに…
大正7年…
確かに端は遠くからでも目指しやすい場所ですけど…
寺口山だけは数多く出てくるのに、
赤坂山、ツツジ山となるともうもうでして。
とくにツツジ山に関しては…
きっと地元に知ってる方いらっしゃるはずなんです。
ネットとか知られた本とかには出てないだけだと。
琴似タイムスとか村史とか町史とか当時の広報的なもの。
かなり奥まで探せばたどり着くと思うのですけどね、
実際それらの資料を見ることすら簡単には行かないわけでして。
探すほうが難しい。
糸口らしきものを見つけたのはいいんですけどね、
流石の私にも勇気と度胸が…足りないっ。
赤坂山はそんなに気にならないのにツツジ山が呼ぶんですわ(笑)。
ぉぉ、なんだか詰まって愚痴ってしまいました、すみません。
行動したいのに人が来なくて家で待機で時間が過ぎてゆく…
もったいないっ。どんぐりのパン行けないって。
ありませんでした…
実はここで数枚ゲットしているのですが、
事情により…
ツツジ山に関してはゼロでして、
職員さんにもこの建物及びこの地域の話を聞いてみたのですが、
分からないと。
あそこは鉱石というか化石というか、
あとはもっともっと古い時代の地図でした。
きっとね、
私が電話一本かける勇気があれば動くのかも。
何故だか珍しく尻込みしてしまいまして…
外国の方です、ドイツの方です。
Guten Tag!!