毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

ジャンプ台放浪記 シルバーシャンツェ編~2

2010-04-12 22:55:55 | ジャンプ台放浪記関連



よしっ。
こうなりゃガツンといきましょうや、
がっつりこんとっ。



これが私が握っている最強の地図・アイテム・ブツです。






昭和4年1月18日 北海タイムス


前にも出しましたでしょ。
4月2日のジャンプ台放浪記 なんちゃって編
このとき道新閲覧室でコピー(許可済み)してきた昭和4年1月18日の記事。
これをパソコンに取り込み拡大してみると。


これぞまさに最強の強運の持ち主のおっばはぁ~んでして。
え、
最強の勘違い&思い込みの激しいおっばはぁ~んになってたらどうしましょなんですけど。


拡大したらすっごく汚いんです。
画像が荒いってもんじゃないんですけど、
まぁ我慢して耐えて見てください。










ピンク部分。
上から「ツツジ山」「シルバースロープ」「三角山」「札幌シャンツェ」
これ全図をコピーしたくて道新に行ったのです。
(一部分だけ入手済みでしたので)
ツツジ山とシルバースロープ、
これに関しては3月29日既に解明しておりました。


ところが。
強運なおまけがつきまして。



次にブルグレ色部分をご覧くだされ。









これが全てです。
これを見つけたとき涙出ましたわ。


早くに、
すぐに出したかったのですが、
ウラをとらないと、とんでもないデマを流してしまったらとね。
自信がなくてね、
本当にこれでいいのかよとね。
いろいろ調べていて今日までかかってしまったわけです。


でも今日までかかってもね、
ここです、決定っとは残念ながら言えないんですわ…

ただ昭和4年1月の新聞ですから、
昭和8年までシルバーシャンツェは北大スキー部員に愛用されていたと資料がありますので、
この三角山北尾根より下東側のこのコブ斜面にある記号、印、
これはジャンプ台・シルバーシャンツェを表記していると思うのです。
当時の新聞記者はジャンプ台を見ていたと信じたいのですが。
いかがでしょ?



・何故ツツジ山にこだわっていたか。

以前何処かで何かで読んだことがあるのです。
赤坂山、寺口山、ツツジ山とありツツジ山にシルバーシャンツェができたと。
結局どこで読んだのか思い出せなくて私の記憶を信じるしかないのですが、
それでツツジ山を特定しようと。


これがまた見つからないんですわ。
見つからないはずです。
今はもうない。


赤坂山に関してはスキー場があってリンゴ園があったというのを、
これも読んだ記憶が…記憶で申し訳ないのですが…



私の大胆な予想なのですが。





大正5年地図



1は三角山北尾根。
これもそうですけど、
発寒川まで舌状の尾根というか緩やかな傾斜の小山群がありますでしょ。
矢印短いって?まぁまぁ。
2の今は緑化会のあたりを赤坂山、
3のエリアを寺口山、
4はツツジ山と呼ばれていたのではと。
その小山群の絶好なスロープをシルバースロープと呼んだのではと。

上の汚い地図のアルファベットを結ぶラインの内側、
【ABC方面にシルバースロープを廻り…】と書いてあります。
ここがシルバースロープエリアで、
東側に新設シルバーシャンツェがくる。



私の予想ですからね。みどちゃん説ね、あくまでも。



・シルバースロープの北側
・20㍍級
・ツツジ山


この三つがちょうどタイムス地図ブルグレ一番上記号と合致いたしまして。


ここが大正7年に北大スキー部員の熱い熱い学生さんが、
約66㌢X約160㌢の板を3枚、
部員総出で運搬して作った木造の仮設飛躍台(20㍍級)なのではと思うのです。
ここから始まって物足りなくなって、
ヨーロッパの記録に追いつくため30㍍は飛べる台が欲しいということとなる。うん。


で、ここで場所選びが始まるわけです。
仮設ジャンプ台の場所は地形的にダメだったようでして。


ここに条件が書き記してあります。
1・市街地に近い
2・冬季間風あたりが少ない、
3・工事費が少ない、
4・スロープが南向きではない、
5・全長140㍍内外ある、
6・加工できる土地である、などの条件があった。

…これらの条件にもっとも近い場所が三角山の北側シルバースロープの東側斜面であることがわかった。
                       ~さっぽろ文庫96大倉山物語より


ちょいと上の表現がずぅっと気になっておりまして。
他の本を読んでもこれといった決定打はなく、
今までより三角山に近づいた場所ぐらいでして。


ここで頼りたいのが画像かなと。










ね、立派でしょっ。
びっくりするぐらい立派でデカい。


アプローチ50㍍、スタート地点が3ヶ所設けてあり~略~頂点の所は丘陵の地点から4㍍の高さがあり、
アプローチの最大傾斜は33度、斜面になる部分は板張りしてある。
80㍍のランディングバーン。


こんなにデカいのが人目につかないはずはなく、
かつスキーのスロープの邪魔になっても困るわけでして。



考えてみたら、
この北海タイムスの新設シルバーシャンツェと思われる印の場所、
ここまだ現地入りしていなかったと気がつきまして。
ここの路地は歩いてないなと。


早速写真と地図を片手に出かけてきたのですが…


想像はしてましたけどね、
家ありすぎ。
いい線いってても必ず何か邪魔が入るっ。
もうお庭入れてください、屋根に上ってもいいですか?でして。
そりゃ出来ませんって。
それにここらへんって、
地域の人しか通らないぞっていう道でして。
もうモロ不審者ですわ…よそ者じゃクセ者じゃっ。


あ、すみません、つい横道に話が熱中…









確かにこの場所?尾根?コブ?小山だと、
後ろに三角山や周りの山が写りこまないかも。
もう少し何とかしたいけど困ったな、住居侵入するわけいかんしのぅ。
そして何より、
こういうラインってどこでも当てはまりやすい…



もう一方の仮設ジャンプ台のあったツツジ山。
もちろんここはもうないのですけどね。
私が早い時期から古い地図地図と騒いで探していたのはこれなんです。
ツツジ山とはわかっていませんでしたけど、
採石場にしても大なまこ山にしても寺口山にしても。
今の地形で考え見ては見えてこないはずだなと。






私に画像を、大正5年の地図と現在の地図を重ねる技術があったら、
一目瞭然地形の変化が手に取るようにわかったのに。
あぁ悔しいっ。


こちらもしっかり撮り直してきました。
何回か行って唸ってきているのですわ。
寒さと風と残雪でいい画像少なくてね。


明日は今日撮ってきたやつを整理して載せる予定です。


あぁ疲れました…アタマが脳がギブアップですわ(笑)。


ここの場所が正しいのか違うのか。
まぁわかりませんけど、
ここまで根性でやってきたことは私としてはよくやったぞと(笑)。

どこだったのかな?あそこかな?なんて考えるのは楽しいんです。
そう、
自分の中で無責任に考えてるうちは楽しいのです。
夢とロマンのジャンプ台なのですわ。

これを口に出す、文字にする、記事にする。
そうするとヘタなことは書けないなと。
いえヘタなんですけど、
あまりにも勝手にここよと決め付けることはできないなとね。

後半は正直投げ出したくなりました。
時間はあっても考えるチカラが足りないぞとね。
運で北海タイムスを見つけ、
これを信じるしかないのかなと。


とりあえず今宵はここまで。

なんだか尻切れトンボな切りですが、
もう私今日は5時間近くこれやっておりまして…
早く遊びに行きたいぞっとね。
あぁ何かご褒美ごっこしなくちゃ、マイセルフご褒美ごっこ(笑)。
そっちの妄想の世界に突入いたします(笑)。

では明日は画像を整理して載せる予定です。