こ、この日が来るのが怖かった…
で、出来るのなら、
『本当シルバーシャンツェって何処だったのでしょね?』で済ませてしまいたかった…
見つけたのかって?
はい…おそらく・きっと・maybe・perhaps…
自信あるのかって?
ないないナッシングでして…
でもね、
もうこれ以上は当分出てこないのではと。
出てくるとすれば2年後の北大スキー部創立100年記念誌ではと。
あるいは中央図書館、道立図書館で痒さと戦うしかない…
誰にも確認してもらってないのです。
ジャンプの友にもmy同期のK氏にも。
余計不安が募るでしょ、
おいおい大丈夫なのかって。
ね、
こういうところに行き着いたって話で。
ここだったかもしれないわって話にしておいてください。
シルバーシャンツェを飛んでいる写真は出てきても、
場所を表す決定打の文章や写真が出てこない。
混乱混迷のるつぼでして。
シャンツェの呼び名がいろいろ、
場所の呼び名もあやふや。
大正7年の話ですから。
1918年といったら計算出来るか?私。
え~っと92年前。
整理というか、
覚えておいていただきたいのですが。
私物事を順序だててきちんと話す書くってすっごい不得意苦手なんです。
読みながら組み立てていっていただきたいのですが。
そう、
覚えておいていただきたいのが、
シルバーシャンツェには仮設と新設があったということ。
…仮設の場所に新設したのなら同じ場所、
あるいはほぼ同じ場所で悩みは少なかったのですが、
どうも思いっきり場所を変更したみたいでして。
それを掴んでいないと、
どうしてこんなに歩くの足生えてるのとね。
この仮設・新設の呼び方と、
ネックとなるのが土地の呼び名呼び方。
アバウトというかまちまちというか…
昨日も書きましたけど、
まぁ当時は何番何号なんてありませんから…
新しい資料には三角山という言葉がでてきますけど、
古いのになると琴似村という表現になってくる。
ここ全体を示しての琴似村ではなく、
三角山とは呼びにくい場所、
つまり離れた場所だったのではと憶測しまして。
じゃぁどこよとなるのですが。
まぁ急がず焦らずに。
アルファ&札幌シャンツェ探しのときによく出てきた言葉が「なまこ山」なんです。
シルバーシャンツェ探しでは「なまこ山」が出てこない。
まずここからこのエリアではないなと導きまして。
逆にシルバー探しで目にする言葉で、
アルファ&札幌シャンツェでは見かけなかった言葉。
それが「シルバースロープ」でした。
【三角山の北側シルバースロープの東側斜面】
これが新設シルバーシャンツェの位置を示す言葉でして。
シルバースロープを特定出来れば自ずとシルバーシャンツェが浮かび上がってくるはずっ。
シルバースロープを探せなのですが…
これが一筋縄ではいかんのです。
当時寺口山はスキーにばっちりのスロープが続いていて、
大勢のスキーヤーで賑わったとか。
おお、ああ、
寺口山ってどこなのよって思われる方もいらしゃりますね、きっと。
寺口山とは、
え~っと今で言うと国立西札幌病院裏手というか、
山の上病院エリアというか。
ここもはっきりとした確認は取れていないのです。
昔の呼び名、昔の位置。
これは昭和30年代の寺口山ですけど、
ここには北大のシルバーロッジが山腹に建っております。
シルバーロッジ、シルバースロープ、シルバーシャンツェ。
アタマとキモチではしっかり結び付けたいのですが、
地図とか証言とか記録に残っているシルバースロープ=寺口山となる、
確固たるモノが出てこないんですわ…
琴似のシルバースロープ。
三角山付近。
北大スキー部は三角山の麓にジャンプ台(シルバーシャンツェ)を造って練習に励み、
遂に村本(金弥)君が28㍍を飛んだ。その時は京都にいた私の手許まで
『ムラモト28メートルトンダ』という電報が届いた位である。 ~北海道のスキーと共により
この熱い思いが情熱が残っている場所はどこなんだ。
琴似のシルバースロープ、寺口山、三角山の麓、仮設、新設。
うぉぉぉぉぉっ。
手詰まりの頃、一枚の写真が出てきまして。
大正11年竣工ですから、
これは新設のシルバーシャンツェです。
この写真を見てパキーンと閃いたというか雷が頭上に落ちたというか…
私にはこの尾根のラインに見覚えがあるのです。
もしかしたら…
もしかしたらこれは私が毎日見ている尾根…?
夜明けを共に、
朝日を共に、
そして日の暮れも。
丁度公園の大きな樹が重なっちゃってますけれど、
ラインが似ているのです…
ちょいと涙がでましたわ。
それで現地調査に出向きまして。
あれは3月26日ですな。
ぐるっと周ってくるつもりが強風で止めにした日。
帰りにここの尾根を見に寄りまして。
樹の太さや何か何かどんなことでもいいから残っていないかと。
さらに角度というか、
どこに着地していたのかなんてね。
ズーム&トリミング。
奥にこのような見出しポールが何故か数本。
年代的に違うとは思いますが…90年前には見えないってね…
大なまこ、円山と一直線に並びましたわ。
珍しい構図でしょ(笑)。
色がすみませんなんですけど(汗)。
急です、崖です。
眼下に北一条宮の沢通り。
分断される前はずうっと続いていたはず。
琴似駅までスキーで滑って帰ったという話もあります。
(ジャンパーのKさんは最後は平地だから滑るというより歩いたと)
斜面下から。
近くのクリニックの駐車場から。
この奥は進入禁止の看板ありで不可でした。
これが3月26日。
これで新設シルバーシャンツェは決定だと思っていたのです。
新設を基準に仮設の場所を特定しようと。
がっ。
崩れまして。
ガラガラガラっっっ。
私の気持ちもガラガラガラっっっ。
まさに七転び八起き的な放浪を続けておりますが、
大コケをして大儲けをするという、
この不屈のおっばはぁ~んなんですけど。
書き忘れておりましたが、
もうひとつ重要な言葉がありまして。
それはツツジ山。
ツツジ山とシルバースロープの名前入りの地図を、
遂に手に入れることが出来まして。
もう何のこっちゃでしょ(笑)。
自分でもどう書いたらいいのか、
そしてどうしてこう強運なおっばはぁ~んなのかとね(笑)。
やっぱり私は何かがあるのかもしれません(爆)。
引っ張り弄ぶ?つもりはこれっぽちもないんです。
出し惜しみもね。
この先目を酷使いたしますので、
明日に持ち越します。
もう眼精疲労でばりばりばこばこですっ。
結構好きです、エア新書。
http://airbook.jp/
一冊どうぞ~。
どうも読解力不足でして…
1.大きな木のすぐ右側の三角山北尾根
2・発寒川と出合う今の山の手橋の付近の稜線
Tammyさんはどちらのことを指しているのでしょう…うぅ。
こりゃTammyさんも地図と資料で頭ごちんこしながら会議の仲間入りでしょか(笑)。
宅地造成とかで地形も変わってるかもですよ。
斉藤リンゴ園のおじさん何か知らないかな、
寺口山のジャンブ台は知ってるような予感。
きっと書き方が直球じゃないからまずいのかも。
今日明日中に書き上げられればと頑張っているのですが、
何といっても脇にそれるし横に飛ぶし核心がずれる(笑)。
そして…
これからもう一度現地調査に足を運んでまいります。
決定的画像を撮れればなんですけど。
…で、これでまた今日も長くなるっ。
ではいってきますっ。
「2」ですわ…。
山並みに向って一番右端の稜線。
山の手橋(端の名前を把握してませんが)のところの稜線に似てる気がします。
読み取る力に欠けているし、
表現はどっひゃぁですし…
まだアップしていませんが写真載せました。
どう思われます?
明日は山の手橋のも載せる予定です。
案の定長くなりすぎて(笑)。
見てみたいですっ。
mezzo696☆mail.goo.ne.jp
☆を@に変えて下さい。
お手数おかけいたします。
これで大丈夫だとおもうんですが…。
よろしくお願いしいます。