動画で「白菜と豚肉と春雨の煮物」を観て、簡単そうなので作ってみた。
調味料の分量、割合がなんだか私の感覚と違うなと思いきや、
やはりなんとも馴染みのない味になり、後からいろいろ調味料をいれ誤魔化したけれど、
美味しい美味しくないとは別の他人の味、
この人の味で私の味ではないなと実感。
母の作る味と継母が作る味も大きく違った。
甘いのである。薄いではなく甘ったるいのである。
(義母の使う甘いという言葉はsweet の甘いではなく味付けが薄いを意味していた)
鶏肉牛肉は気持ち悪いと普段の料理に一切使わず、お正月のうま煮は豚角切り、
脂で白くなったうま煮にはカルチャーショックを受けた。
私は離れて暮らしているから年に数回の帰省のときだけだけど、
継母の作る料理に父はかなり文句を言っていたに違いない。
一度餃子を出されたことがあった。
「(父が)作った餃子を食べてくれない、駅前の食堂で食べて帰ってくる」と継母が嘆くので、
試しに継母の餃子を私が食べてみることになったのだ。
焼きたて熱々の餃子が運ばれてきた。
見た目はまったく普通の手作り餃子で美味しそう。
一口食べてみると何かが違う。どこかおかしいこの餃子。
具材は一般的な材料なのだけれど、それを一度炒めてから皮に包んでさらに焼いているのだ。
噛めば肉汁ではなく炒めた油がでてくるのだ。
あの時若かったからあの油っこい餃子を残さず食べれたのだと思う。
父にしてみれば完全にアウト、他所で食べる気持ちもわからないでもない。
今ならネットで簡単に餃子の作り方が出てくるけれど、
ネット以前の時代の話だ。
継母にしたらそれが継母の家の餃子で、
どうしてこんなに美味しいのになぜ食べてくれないとなるのだろう。
餃子の具は炒めずこねて皮に包んで焼くのでは、とも言えず、
駅前の食堂は得意先だから(実際帳簿を担当していた)じゃないですかと答えたけれど、
それで良かったのか悪かったのか。
父も母も継母も義父も義母もいなくなってしまった。
帰省先で年越しだったころはお正月の準備でてんやわんやになることはなかったのに、
私が担当となると大掃除の後は買い出しに料理でてんてこ舞い。
どんと作って正月三が日それで過ごしてくれよといいたいのだけれど、
結局なんだかんだ作る羽目になる。
母も継母も義母も大変だったろな。
なんだかんだ言ってもこうやって毎日ご飯を食べられるし、
あたたかい寝床と部屋と健康なカラダがあるのだからありがたい。
良い年をお迎えください。