私は中年である。
「パソコン」を愛し、そして
その威力に慄く中年である。
中年の私がパソコンに出会ったのは20年ほど
前であろうか。その当時は、パソコンより
「ワープロ」が世の中を席巻していた。
ある日、私はステレオの(今はこんな風に言わないか?)
スピーカーを買いに家電の量販店に行った。
しかし、私は、ある「製品」に目を奪われ、どうしても
「ソレ」が欲しくなった。
それがカシオのノート型ワープロだった。
スピーカーを買いに行って「ワープロ」を買って
帰ってきたのだ。
思えば、これが今に至る私の「パソコン人生」の
第一歩だった。
ある時期まで、いや、いまでも文書を作る意味に
おいては本当に「痒いところに手が届く」のは、
パソコンよりワープロのような気がする。
そのため、ワープロからパソコンに移行するのに
結構手間取った。仕事でワープロを使っていると
そのデータをゼロからやり直さなければならないのも
その原因の一つだ。(当時はコンバータなど、当然
無かった)
そして、ひょんなことから私は、パソコンを手にする。
友達が「新しいパソコンを買うので余った古いパソコンを
貸してやる。」と言い出した。
一も二も無くそれを借りて、キーボードを叩き始めた。
それが
「NEC 8801markⅡ」だった。
このパソコンを知っている人は、「かなりの中年」だ。
今のパソコンを手にしている人には「電卓並みの性能」
しか無いといえば分るだろうか・・・。
そんな代物でも、当時最新鋭とまでは言わないまでも、
パソコンの三種の神器「ワープロ・表計算・データベース」
機能は持っていて、カタカナで住所録を作って(本当に
BASICという言語で、自分で入力した。この当時ソフトは
売っているものではなく、自分で入力する物だった)
喜んでいたのだ。
世が「アップルvsDOSV」という、パソコン戦争に突入
する寸前の話だ。(若い人にはチンプンカンプンでしょう)
そして、第二の転機は女房が「インターネットをやりたい!」
と言い出したことだろう。
私は、インターネットなどせずともパソコンにやらせる
ことがたくさんあるから「必要ない!」といっていたの
だが、専業主婦だった彼女は、さっさとNTTに電話して
それをはじめたのだ。
そこからは、坂道を転げ落ちるように男達に騙され、
夜の街をさ迷い歩くようになり・・・・。
ちが~う!・・・・すいません、例の「週末の酒」を
やっておりましてミスタッチが増えております。
坂道を転げ落ちるように、ブログまではじめるように
なってしまったのだ。
この20年は「中年」の私らから見るとまるで
浦島太郎の竜宮城のように「絵にも描けない」
驚きの日々だった。
急速に日本、いや世界が小さくなり世界中
どこにでもメールが送れ、触ることはできなくても
少なくとも「見ること」は、20年前には絶対に
できなかった物が見れるようになった。
そして、手に入れたものが大きければ、大きいほど
失った物(背負わされた物)も大きい。
浦島太郎は、時の流れの違いの寂しさに「玉手箱」
を開けてしまい、その時間を飛び越えて時代に
迎合する如く「老人」になってしまう。
私ら「中年」も必要であったかどうかわからぬ
物に怯え「玉手箱(パソコン)」を開けずに
いた方が、勘違いをしていたにせよ「若者」で
いられたのかもしれない。
「浦島太郎」の話の続きは、書かれていないが
彼は「老人になったこと」で、その時代に溶け込み
幸せに天寿を全うしたのではないだろうか。
私ら「中年」も玉手箱を開け無かった「勘違い
した若者」より、玉手箱を開けて「その時代に
溶け込んだ老人」になったことを、むしろ喜ぶ
べきなのだろう。
良くも悪くも、私は玉手箱なしでは、この
ブログを立ち上げることも出来なかったし
そのことで、溜まっていた「中年の想い」を
全世界にUpすることも出来なかった。
(それほどのもんじゃないだろ・・・)
私は「玉手箱」を開けたことを、悔やんでは
いない・・・・・。(by浦島太郎&may)
今回も最後までお付き合いいただきありがとう!
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今日は少々酩酊気味の may
「パソコン」を愛し、そして
その威力に慄く中年である。
中年の私がパソコンに出会ったのは20年ほど
前であろうか。その当時は、パソコンより
「ワープロ」が世の中を席巻していた。
ある日、私はステレオの(今はこんな風に言わないか?)
スピーカーを買いに家電の量販店に行った。
しかし、私は、ある「製品」に目を奪われ、どうしても
「ソレ」が欲しくなった。
それがカシオのノート型ワープロだった。
スピーカーを買いに行って「ワープロ」を買って
帰ってきたのだ。
思えば、これが今に至る私の「パソコン人生」の
第一歩だった。
ある時期まで、いや、いまでも文書を作る意味に
おいては本当に「痒いところに手が届く」のは、
パソコンよりワープロのような気がする。
そのため、ワープロからパソコンに移行するのに
結構手間取った。仕事でワープロを使っていると
そのデータをゼロからやり直さなければならないのも
その原因の一つだ。(当時はコンバータなど、当然
無かった)
そして、ひょんなことから私は、パソコンを手にする。
友達が「新しいパソコンを買うので余った古いパソコンを
貸してやる。」と言い出した。
一も二も無くそれを借りて、キーボードを叩き始めた。
それが
「NEC 8801markⅡ」だった。
このパソコンを知っている人は、「かなりの中年」だ。
今のパソコンを手にしている人には「電卓並みの性能」
しか無いといえば分るだろうか・・・。
そんな代物でも、当時最新鋭とまでは言わないまでも、
パソコンの三種の神器「ワープロ・表計算・データベース」
機能は持っていて、カタカナで住所録を作って(本当に
BASICという言語で、自分で入力した。この当時ソフトは
売っているものではなく、自分で入力する物だった)
喜んでいたのだ。
世が「アップルvsDOSV」という、パソコン戦争に突入
する寸前の話だ。(若い人にはチンプンカンプンでしょう)
そして、第二の転機は女房が「インターネットをやりたい!」
と言い出したことだろう。
私は、インターネットなどせずともパソコンにやらせる
ことがたくさんあるから「必要ない!」といっていたの
だが、専業主婦だった彼女は、さっさとNTTに電話して
それをはじめたのだ。
そこからは、坂道を転げ落ちるように男達に騙され、
夜の街をさ迷い歩くようになり・・・・。
ちが~う!・・・・すいません、例の「週末の酒」を
やっておりましてミスタッチが増えております。
坂道を転げ落ちるように、ブログまではじめるように
なってしまったのだ。
この20年は「中年」の私らから見るとまるで
浦島太郎の竜宮城のように「絵にも描けない」
驚きの日々だった。
急速に日本、いや世界が小さくなり世界中
どこにでもメールが送れ、触ることはできなくても
少なくとも「見ること」は、20年前には絶対に
できなかった物が見れるようになった。
そして、手に入れたものが大きければ、大きいほど
失った物(背負わされた物)も大きい。
浦島太郎は、時の流れの違いの寂しさに「玉手箱」
を開けてしまい、その時間を飛び越えて時代に
迎合する如く「老人」になってしまう。
私ら「中年」も必要であったかどうかわからぬ
物に怯え「玉手箱(パソコン)」を開けずに
いた方が、勘違いをしていたにせよ「若者」で
いられたのかもしれない。
「浦島太郎」の話の続きは、書かれていないが
彼は「老人になったこと」で、その時代に溶け込み
幸せに天寿を全うしたのではないだろうか。
私ら「中年」も玉手箱を開け無かった「勘違い
した若者」より、玉手箱を開けて「その時代に
溶け込んだ老人」になったことを、むしろ喜ぶ
べきなのだろう。
良くも悪くも、私は玉手箱なしでは、この
ブログを立ち上げることも出来なかったし
そのことで、溜まっていた「中年の想い」を
全世界にUpすることも出来なかった。
(それほどのもんじゃないだろ・・・)
私は「玉手箱」を開けたことを、悔やんでは
いない・・・・・。(by浦島太郎&may)
今回も最後までお付き合いいただきありがとう!
これを読んだみんなに幸福が訪れますように。
今日は少々酩酊気味の may
A4サイズの、一番、小さいもの?です。
(機種、忘れてしまいました(^^ゞ)
その次は、カシオのPX-7です。
パソコンは、16、7年前の、東芝の
ノートパソコンが、最初です。
パソコンは、使いづらいと思っていました^_^;
次が、NECのバリュースターで
ウィンドウズ95です。
(23インチのディスプレイで、置き場に
困りました^^;)
今は、ノートのXPです。
ブログすることが、大きな喜びとなっている
毎日を、送っていま~す!(^^)!
Na-さん、たしか最初のワープロは、私の買ったものと同じですよ!A4サイズでフロッピードライブの付いてない奴。
同じ「玉手箱」を開けた仲間なのですネェ。
なんか凄くうれしいです。
私も、嬉しいです
フロッピードライブなかったですが
当時、フル活用?してました(*^_^*)
小さいけれど、必要な機能は、しっかり
持っていて、使いやすかったです。
カシオのワープロは、使いやすかった。
仕事にプライベートに、フルに使って
いました!
自分の言葉が、綺麗な字になることに
とても、感動してました~。