完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

人は「金」のみにて生きるにあらず。     ~東京都知事に見る「人生論」~

2016年06月11日 | 時事ネタ
私は初老男である。


すでに、この問題は私がUpするまでもなく、様々な意見がUpされているだろう。


であるならば、わたしがUpすることは、おそらくないのであろう。





しかし、あえて50半ばの初老男の目から見たことをUpしようと思う。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



多分であるが・・・・・。




人間というのは「エゴイズム」(利己主義)から逃れることはできない。



・・・・・・・当然だ。



それから逃れられた人間を、私は見たことは無い。





だが、初老ともなるとわかってくる。





その「利己主義」と「利他主義」の割合を、どれくらいにできるかが、その人の「器の大きさ」につながっているということ。



多分であるが、世界的に見ても政治家で「名を成した人」ほど、その割合が「利他」において重かったようだ。




「説明責任」という言葉が、こうしたことが起こるとよく使われる。



私はこの言葉にきわめて懐疑的だ。



これを言う人は「納得できる説明をせよ!」と声を荒げる。



そんなものは期待しない方がよい。



舛添知事から「納得できる説明」なんて、絶対に話されることは無いから。


今までの経緯のあらゆる説明が、彼にとっての「納得させられる説明」であり、これ以上のものは出てこない。


間違いない。





彼がこれからの都政において





         「○○○がしたい!かならずやり遂げる!」




と宣言したのなら、もしかすれば彼はその地位に留まることができるかもしれない。



しかし、それなら今までの2年間で、何かしらの「気配」があったはずだ。



歴代の東京都知事には、ピンとくる偉業があるという。(猪瀬氏は「オリンピック」石原氏は「ディーゼル車規制」等々)



今彼がその地位に綿々としがみついているのは、やっぱり「お金」のためとしか伝わってこない。



昨日からの行動を「完全に生まれ変わりました」って言って、本当に生まれ変わった人などいないってみんな知っている。



ましてや「あの舛添要一」である。



このまま、知事にとどまって都政を行おうとしても議員も職員もついていかない。


「命令」という形で人間を動かそうとしても、人間というものは「感情」で動いているのだ。



それでも、とどまろうとしているのは、やっぱり「お金」ってことになる。



本当に都政をやりたいのなら「リセット」が必要なのさ・・・・。



人間は「糊口をぬぐう」(たべるため)ために仕事をしていると、品のない生き方になる。


食うや食わずの貧乏を体験した人が陥りやすい。


だが逆に、いかに貧乏をしていてもその仕事において「誇り」を持っている人は「凛と」しているものだ。


かなりの間、彼は政治家・評論家・タレントとして私たちの前に姿を現しているが・・・・。


少なくとも私は彼に「凛とした姿」を感じたことは・・・・無い。



それは、かれに仕事においての「誇り」が無いからじゃないかなぁ。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、次に踏み出すためには「潔さ」が必要であることを忘れませんように。





               May



この場合「モガけば、モガくほど」次へのステップが下がってしまうことを、分かっていて舛添氏はやってるんですかねぇ。
















コメント
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