完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ちょっとわかった気がする・・・。      ~偉い人の「感覚」~

2015年11月22日 | Weblog
私は初老男である。


このブログを始めてほぼ10年が経とうとしている。


その頃は「完全無欠の中年日記」という名前だった。


実はいつ今の「完全無欠かもしれない初老男日記」に変えたか、失念してしまった。


まあ、それが大したことでないからほとんど意味はないのだけれど、自分がいつ「初老」を自覚したかを
確認するには、覚えておけばよかったと思う。




初老になると、本当にちょっとしたことで「先」が見通せるようなる。


まあ、多分に「勘違い」なのかもしれないが。



先日、会議があって同職の10数名とちょっとした議論になった。


「見通せる結果」というのがあると思うのだが、それが私以外の同輩たちにはわからないらしい。


仕事というのは、目にみえる結果を今よりも「ほんの少しの前進」のためには、目に見えない努力が「かなりの量」必要である。


大概の人は「努力」を少なく「成果」を多くと考えるだろう。


それ自体は間違っていないが、こと職人の世界はそうしたことは「ありえない」のである。


近道はない。


だが。。。

逆に言えば、できる近道・・・というか、効率的なことは積極的にやるべきだ。それをやらないと逆に「回り道」になってしまうのだ。


その近道を、同輩たちは「いやだ」という。



それは多分に「見通すこと」ができないからである。


そして、仕事に対しての情熱が少なくとも私とは違うからだ。


真剣でないとは言わない。


劇的な変化には拒否反応をするのは仕方のないことだ。



しかし、そのある程度の変化を受け入れないと、前進はない。


責任のある立場の人なら「権力」を使って、それをやらせることができる。


逆言えば、自分のやりたことをやろうと思えば、その「権力」を手に入れるしかない。


そして、それは多分にやりたいことが大きければ大きいほど「大きな権力」を手にしないとだめだ。




だが今の私は、そうした権力を仕事上に手に入れられる立場にない。



こうなると。。。


つまりは、あきらめるしかない。



まあ、今の仕事のクオリティが「下がる」わけではない。(正確には、現状維持というのは緩やかな「下落」を意味するのだけれどね)



こんな経験をすると、ちょっとだけ今の政治家たちもこんな気持ちなのであり、それを強行突破しようとすると今回の「安保法案」みたいなかたちになるだろうと思う。


しかも、その「見通している形」が「日本の未来」であるならば、今私が感じているような「焦燥感」はもっともっと大きいであろう。


なるほど、政治家としての資質が高ければ高いほど、そうなのであろう・・・。



しかし、やっぱり問題なのは


          
             「見えている先」


                が、本当に「正しくて、成し遂げられる物」であるかどうか?である。



それを見えている者として、見えていない者にある程度の納得をさせないと先に進めないのである。



それが「民主主義」というもののむずかしさだろう。



はっきり「正しく見える」ものでも、真剣に考えていない者もいれば、理解できない者もいる。


さらに、理解できていても感情的に反対するものもいる。


志が高ければ高いほど、そのジレンマは大きい・・・。



むずかしいよな。



政治家を含めた「偉い人の感覚」が、ちょっとわかった気がする。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ちょっと気持ちがわかることができますように。



               May



しかし・・・・。見通せる先というのは、ほんのちょっとしたことで「歪」になる可能性が高いからなぁ。








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