完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

なんでこんなに切ないのだろう・・・。     ~老友が逝った~

2015年11月10日 | Weblog
私は初老男である。


唐突であるが・・・。


海外では「年の離れた友達」と言うのが少なくないと聞く。


日本の場合、やはり封建制の名残なのか歳が違うと「礼を尽くせ」的な不文律が生きていて、歳が違えば違うほど「友達」と言うような仲から遠ざかるようだ。


人間関係は全てそうだが、特に「友達」と言う関係は、本人同士がそうだと思わない限り成立しない。


だからこそ「年齢差のある友達」と言うのは、成立しにくいのだろう。



幸運なことに、私には父親よりも年上の「友達」がいた。


知り合ったのは20年以上前。


20代の終わりだった気がする。


私は本格的にバドミントンを初めて、夢中になり始めたころだった。


彼は60を目の前にしていたはずだ。



彼は数か月前から、同じ体育館の反対側で剣道を教えていた。


痩身の温和な笑顔の初老男。


それが彼だった。



はじめは「冗談」だと思った。


少しでも本気でバドミントンをやったことのある人なら分かると思うのだが、数あるスポーツの中でバドミントンは、屈指の「ハードスポーツ」なのである。


60代近くなって始めるようなスポーツではない。


しかも、体育館の反対側で剣道を教えていた人が「なんで?」と思った。


そして、すぐに彼は練習に来なくなるだろうとも。


若い人がクラブに顔を出しては、数カ月でやめてしまうことが珍しくないバドミントンと言う競技を50代後半の人間が続くわけがない。



しかし、彼はその後10年近くバドミントンを続けたのだ。


失礼だがバドミントンの実力派ほとんど上がらなかったが、一生懸命で練習に打ち込んでいるのは当然分かった。


自分の子どもどころか孫に近い若い仲間と、いつも温和な笑顔と共に。


私のところに、ラケットのガットを張ってくれと来たことも何度かある。




私は、結局40代の後半にはバドミントンをなし崩し的に引退してしまった。


農業と言う翻意でない家業・立ち回りの忙しい調理業務そして、激しいバドミントン。


それを続けて、身体の方が悲鳴を上げてしまい「熱意」よりも、身体の保全の方が大事になってしまった。


歳を取ってからの怪我は、身体よりも「心」が折れる。


それが彼がバドミントンを始めた歳まで、私が続けられなかった主たる原因だ。


しかし、彼にも私と同じかそれ以上の故障や持っていたのではないだろうか・・・。



それでも、今の私よりも歳を取ってからバドミントンを始めたのだ。


だからこそ、彼の凄さが身に染みる。


プライベートでは、ほとんど付き合いは無かったけれど間違いなく彼は私の「友」であった。



85歳の彼の悲報は、昨日「年賀欠礼」の形で届いた。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、友と呼べる歳の離れた人を見つけますように。



       May



・・・・。人の死がこの頃、沸々と背中に迫る・・・。







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