完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

心で感じることができるなら。    ~ホキ美術館に行ってきた2~

2015年03月15日 | Weblog
私は初老男である。


前回のつづきである。


まず「百聞は一見にしかず。~ホキ美術館に行ってきた1~」を読んでほしい。



         (野田弘志の絵を見て)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


絶句せざるを得ない。


最近の野田氏の絵は「巨大」である。それまでのギャラリーで見てきた絵をはるかに超える大きさだ。


写実絵画において作品の大きさが持つ意味は非常に大きい。


制作時間が当然伸びるし、大きければ大きいほど写実が難しくなる。


しかし、その分見る者にとってのインパクトは格段に大きい。



私の鑑賞法は、多分にほかの入館者の迷惑をかけるのでお勧めできないが、この方法が一番絵を理解できると思っている。


まず、絵にぴったりくっついて画家が筆を使ったであろう距離で鑑賞する。


そして、絵を見ながらゆっくりと後ずさり、その絵の「ベスト鑑賞点」を見つける。


大きな絵ほど、その「ベスト鑑賞点」は遠くなる。


野田氏の絵は、特に離れる。


そして、やはり本物を見たことで分かったことがある。


写実絵画は、近づけば近づくほど「細かい部分が細密に描かれていない」ということ。


先ほどの、絵の「ベスト鑑賞点」の話の裏付けになるのだが、小さな絵なら描いている人間の視点と見る人の視点がほぼ同じになる。


我々素人が、描けば当然そうなる。


しかし、ある程度に離れたところに「ベスト鑑賞点」がある場合、その鑑賞点で一番「写実」になるように描かなければならない。


それができてこそ「画家」なのであろうけれど。


元々写真と言うものだって、ルーペで見れば三原色の配合を変えた「点」の集まりでしかない。


どんな絵画でもそうであるが、写実絵画においてレプリカや印刷はある意味もっともその作品の良くない見本になっているのでは無いだろうか・・・。



絵を仕上がりと言うものは、私が生業としている調理における仕上がり似ていて「どこで止めるか」が問題なのだと思う。


そして、それがすべての印象を決めおそらく評価も決めてしまう。


それは当たり前だが「取り返し」がきかない。


大きな違いは、調理の方が圧倒的に時間が短いということ。



写実絵画を描くにおいて、短くとも数日。長ければ年単位の時間が必要だろう。

(聴くところによると7年以上の時間をかけたりするという)


日本人の「物作り」に対する観念は、世界的にも有名であるが日本人画家にとっての「職人意識」に近いものがこうした写実絵画にも発揮されているように思えてならない。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、写実絵画の中にある静謐を感じ取るれますように。


           May


・・・写実絵画における「裸婦」に、本当の美を感じれる歳になったなぁ。








コメント
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