完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いよいよマズイ展開に・・・。    ~「味の記憶」の喪失~

2012年10月25日 | Weblog
私は初老男である。

・・・人間だれしろ「思い出の味」と言うものがある。

そして、その「思い出の味」と言うものは、その人の人生その物に影響する。

少し前に高校時代に通っていた大衆食堂が閉まった話をUpしたがそれに続いて、面白くないことになった。



「ラーメン」という食べ物は実に恐ろしい。

私のような初老男であっても「ラーメン」には、ついつい一言言いたくなる。


元々中華そばと言いながら、中国には存在しない食べ物。

中国人の観光客が、このラーメンを食べるのを楽しみにして日本に来ると言う。


「ラーメンが苦手」という人は、今までに一人しかであったことがない。

しかも、日本人は記憶がないほど小さいときからラーメンを食べている。


すでに初老男になりつつある私であっても例外ではない。

学校の文化祭のバザー(今この言葉を知っている人の方が少ないか)で食べたラーメン。

中学生の時に初めて食べた味噌ラーメン。

自分で作ることに執念を燃やしたインスタントラーメン。

ハマりにハマっていたカップラーメン。


すでに日本の「国民食」となっている。


これを読んでいる皆さんは、こだわっているラーメン屋は無いだろうか。

と言うより、それを「生きる楽しみ」にしている食べ物は無いだろうか。


実はそうした「生きがい」にしているラーメンが3つあった。

その中の一つが先日Upした食堂。

あと二つの内の更に一つが「マズイ」ことになってきた。


あとの二つの内一つはラーメン専門店結構チェーン店になっていてまあ、閉店するようなことはなさそうだ。


しかし、もう一軒はやっぱり普通の大衆食堂。

繁盛していた店だったが、市町村合併によって状況が変わった。

旧町の中心だった土地が、微妙にその「中心」の意味が変わってきたのである。

「経営」と言うものは、本当にむずかしいものだと思う。自分ではどうしようもない事柄によっていきなり先行きが怪しくなる。

それこそが「経営」だ!と言われればまさにその通りなのである。


そうしたことになると・・・「営業時間の変更」なんてことが一番最初に打たれる手だね。

どうやら自分が気軽にラーメンを食べる時間には、その店がすでに営業を終わってしまうことになりそうだ。



池波正太郎(鬼平犯科帳・必殺仕掛人の作者ね)の母親の話にこんなのがある。

江戸っ子気質でぐずぐずした嫌いな彼女はしっかりしない亭主に愛想を尽かし、さっさと離婚してしまい実家に戻りふたりの息子のために働きづめに働いた。

その彼女の「唯一の楽しみ」が一人で「寿司をつまむ」ことだったという。

後年池波が、そのことを「ひどいじゃないか」というと「そのころはお金がなかったからね、でも、女が一人で働き続けるのにそんな楽しみがなけりゃ勤まるものじゃないよ」と答えたという。

池波自身も人間は朝の「炊き立てのご飯」と「熱い味噌汁」を食することで、イヤなことを全部忘れて「生きる活力」が沸いてくると食の大切さを説いている。


たかが一杯のラーメンだが、我々世代の人間にとっては池上氏の母上の「寿司」に匹敵する位に精神の安定に不可欠のものなのだ。

それが3種類もあるのは、多すぎるといわれそうだが、逆に種類があるからこそバランスが保たれ「飽き」を感じずに済んできたのである。

残された2種のラーメンが1種になってしまうと・・・。

高齢に向かおうとしている私には、精神的なバランスを取る意味で窮地に陥りそうだ・・・。


まあ、仕方がない。新しいラーメンを開発に行くか。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「精神安定のための食」を無くしませんように。

      
                  May


・・・しかし、わが地域のような田舎では「おいしいラーメン」ってそう簡単に無いんだよねぇ・・・。




コメント
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