私は中年である。
前回Upしたダイエットアイテムの「カラダトレーナー」
そのものの機能や効力は満足しているのであるが、ちょっと調べてみてビックりした。
近所のドラックストアーでそれ自体は購入したのであるが、その時の値段が5980円の約20%offの4980円。インターネット販売では・・・・・1500円。
前々から家電品などは店頭でそのものを確認してネットで買うようにいわれていたのであるが、今回は魔がさしたというべきか・・・・。
まあ、金は天下の回り物である。損をしたようでも、回りまわって私のところに戻ってくるだろう・・・。
さて、桂米朝といえば関西落語・・・と呼んではいけないな。「上方落語の重鎮」だが、このほど文化勲章を受賞した。
この文化勲章というのは、文化に貢献したというのはもちろんだが、かなりの高齢(80歳以上くらいではないかな)でありながら、更に「現役」の人でないと受賞できない。(らしい・・・)
数日前の新聞の社説で「米朝と同じ時間を過ごせてしあわせだ」と言った文化人が居たという。
私はついぞそこまで彼のこと「偉い落語家」と思ったことはなかった。
私の知っている米朝は、その容姿と低く抑えられた口調から、大阪の上品なおじいちゃんって感じで見ていた。
そして、若い頃の聞いた彼の落語は面白いとは思えなかった。
私も歳を取り、ホンキで落語を聴くようになってまず、ハマったのが「桂枝雀」だった。
この人は本当に落語における「笑い」を突き詰めた人だと私は思っている。この人の落語を聞いてからは、江戸落語にしばらく興味をもてなかった。
ゆえに私のコレクションの中でも枝雀のCD・DVDが一番多い。
そして、その枝雀の師匠が米朝なのである。
その枝雀の訃報を聞いたのは本当に突然だった。
笑いを突き詰めるとそこにあるのは「頭の良い人」である。
現在のお笑いブームにおいてもこの構図は生きている。
お笑いブームの中心に居る人は間違いなく「頭の良い人」だ。(まあ、たまに例外は居るけど)
「頭が良い人」というのは、困ったことに往々にして物事を突き詰めて考えてしまう分、精神を病むことがある。
枝雀はそのタイプだった。
米朝が現役でいることの一つの理由に、あとを任せるべく育てた枝雀を失ったことがあるのではないだろうか・・・。そんな話を聞いたことがある。
まあ、現役と言っても高座に上がることはない。一線を退いたのも確かなのだろう。
一線を退く間際に見たドキュメンタリーで、米朝の素顔が垣間見えた。
普段の米朝は好々爺そのものだったが、芸に関しては「鬼」そのものだった。
雑談においては好々爺であるがこと話が「芸」に及ぶと、別人となりレポーターに食ってかかることもしばしば。
聞いている客には全く分からない「百年目」のミスを、自分自身が許せず、理由を説明もせず弁当を頬張り「弟子に聞いとくなはれ!」とレポーターを突き放す。
そこにまさに消え行きそうだった上方落語を立て直した「芸の鬼」の姿を見た気がする。
今、米朝の上方古典落語を聞くと、その時だけタイムスリップして「大坂の商いのその場」に居るような錯覚を覚える。「お客さん、なに差し上げまひょ」って声かけられそうな・・・。
これほど時を超越させてくれる「芸人」は居ない。いつまでも元気でご活躍されますように願って止まない。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。米朝はやはり「同じ時間を過ごせて良かった」といえる人である。
may
その弟子だった枝雀は全く逆に「時代を感じさせない落語家」だった。まさに笑いを追及した結果だろう。それを育てた米朝の「深さ」にも感嘆。
前回Upしたダイエットアイテムの「カラダトレーナー」
そのものの機能や効力は満足しているのであるが、ちょっと調べてみてビックりした。
近所のドラックストアーでそれ自体は購入したのであるが、その時の値段が5980円の約20%offの4980円。インターネット販売では・・・・・1500円。
前々から家電品などは店頭でそのものを確認してネットで買うようにいわれていたのであるが、今回は魔がさしたというべきか・・・・。
まあ、金は天下の回り物である。損をしたようでも、回りまわって私のところに戻ってくるだろう・・・。
さて、桂米朝といえば関西落語・・・と呼んではいけないな。「上方落語の重鎮」だが、このほど文化勲章を受賞した。
この文化勲章というのは、文化に貢献したというのはもちろんだが、かなりの高齢(80歳以上くらいではないかな)でありながら、更に「現役」の人でないと受賞できない。(らしい・・・)
数日前の新聞の社説で「米朝と同じ時間を過ごせてしあわせだ」と言った文化人が居たという。
私はついぞそこまで彼のこと「偉い落語家」と思ったことはなかった。
私の知っている米朝は、その容姿と低く抑えられた口調から、大阪の上品なおじいちゃんって感じで見ていた。
そして、若い頃の聞いた彼の落語は面白いとは思えなかった。
私も歳を取り、ホンキで落語を聴くようになってまず、ハマったのが「桂枝雀」だった。
この人は本当に落語における「笑い」を突き詰めた人だと私は思っている。この人の落語を聞いてからは、江戸落語にしばらく興味をもてなかった。
ゆえに私のコレクションの中でも枝雀のCD・DVDが一番多い。
そして、その枝雀の師匠が米朝なのである。
その枝雀の訃報を聞いたのは本当に突然だった。
笑いを突き詰めるとそこにあるのは「頭の良い人」である。
現在のお笑いブームにおいてもこの構図は生きている。
お笑いブームの中心に居る人は間違いなく「頭の良い人」だ。(まあ、たまに例外は居るけど)
「頭が良い人」というのは、困ったことに往々にして物事を突き詰めて考えてしまう分、精神を病むことがある。
枝雀はそのタイプだった。
米朝が現役でいることの一つの理由に、あとを任せるべく育てた枝雀を失ったことがあるのではないだろうか・・・。そんな話を聞いたことがある。
まあ、現役と言っても高座に上がることはない。一線を退いたのも確かなのだろう。
一線を退く間際に見たドキュメンタリーで、米朝の素顔が垣間見えた。
普段の米朝は好々爺そのものだったが、芸に関しては「鬼」そのものだった。
雑談においては好々爺であるがこと話が「芸」に及ぶと、別人となりレポーターに食ってかかることもしばしば。
聞いている客には全く分からない「百年目」のミスを、自分自身が許せず、理由を説明もせず弁当を頬張り「弟子に聞いとくなはれ!」とレポーターを突き放す。
そこにまさに消え行きそうだった上方落語を立て直した「芸の鬼」の姿を見た気がする。
今、米朝の上方古典落語を聞くと、その時だけタイムスリップして「大坂の商いのその場」に居るような錯覚を覚える。「お客さん、なに差し上げまひょ」って声かけられそうな・・・。
これほど時を超越させてくれる「芸人」は居ない。いつまでも元気でご活躍されますように願って止まない。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。米朝はやはり「同じ時間を過ごせて良かった」といえる人である。
may
その弟子だった枝雀は全く逆に「時代を感じさせない落語家」だった。まさに笑いを追及した結果だろう。それを育てた米朝の「深さ」にも感嘆。