小笠原の生活を支えている船、と言えば何と言ってもオガマルと言う事になるのだが、もう一隻、綺麗な水色にペイントされた船体の共勝丸と言う貨物船がある。
僕がこの島へ移住してきた時も既に、東京、父島、母島の間を定期的に運航していた。ただオガマルと比べると小さな船で時化に弱く、海の状況でその運航はかなり不定期になっていたようだ。
しかしオガマルの陰に隠れながら、貨物船として島の生活にとっては無くてはならない、縁の下の力持ち的な存在だったと思う。
毎年恒例のオガマルのドック中は、冬の時化の時期にもかかわらず、頑張って内地からの郵便物や宅急便一部の食料品なども運んでくれていた。
その第二十八共勝丸、昨日の出港が父島最後の出港となった。
来年の一月、すでに建造が終了している新共勝丸にバトンタッチするらしい。
就航以来25年だそうで、僕が島へ来てから13年目なので、共勝丸の活躍の約半分お世話になった事になる。
長い間お世話様でした、そして御苦労様。
昨日の昼休み、母島から共勝岸壁に帰って来た共勝丸。
この後一時からお別れのセレモニーが行われ、その後荷物を積み込み、夕方五時頃父島へ別れを告げたらしい。
僕がこの島へ移住してきた時も既に、東京、父島、母島の間を定期的に運航していた。ただオガマルと比べると小さな船で時化に弱く、海の状況でその運航はかなり不定期になっていたようだ。
しかしオガマルの陰に隠れながら、貨物船として島の生活にとっては無くてはならない、縁の下の力持ち的な存在だったと思う。
毎年恒例のオガマルのドック中は、冬の時化の時期にもかかわらず、頑張って内地からの郵便物や宅急便一部の食料品なども運んでくれていた。
その第二十八共勝丸、昨日の出港が父島最後の出港となった。
来年の一月、すでに建造が終了している新共勝丸にバトンタッチするらしい。
就航以来25年だそうで、僕が島へ来てから13年目なので、共勝丸の活躍の約半分お世話になった事になる。
長い間お世話様でした、そして御苦労様。
昨日の昼休み、母島から共勝岸壁に帰って来た共勝丸。
この後一時からお別れのセレモニーが行われ、その後荷物を積み込み、夕方五時頃父島へ別れを告げたらしい。