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雲南の書記と副書記 -歴代書記の出身から関係を見る

2017-04-09 10:45:14 | Weblog
写真はシャングリラで見かけた兄妹。いまは一人っ子政策ではなかったが、少数民族は当時から一人っ子の制限はかけられていなかった。このように雲南の政治には弱冠の特殊性がある。

【副書記からは7人中4人】
中国には党と国家の二つの組織があり、党を代表するルートに名前がつくのが「書記」国ルートが「主席」になります。1949年に中華人民共和国が成立まもなくは地方組織を強力にして国固めに力を入れていましたが、その3年後の1952年よりソ連型の中央集権的計画経済システムに大きく舵を切りました。

 このとき人材を北京にある中央人民政府のもとに集約しはじめ、鄧小平は5人目の政務院副総理に就任しています。つまり「副」は次の人材として目をかけられるチャンスのある部署だったわけです。その後、中央政府を強力にするために地方の権限をそぐよう、配慮を始めた、ともいわれています。

 では、実際に雲南省の書記と副書記はどのような人々がその座についていたのでしょうか。この一覧がとくに発表されていないので、調べて作りました。

 文革の影響が終わった1985年からの雲南省党書記の役職を並べてみます。

1985~1995 普朝柱 父親の普希賢は国軍将領で戦時下、雲南航空司令部作戦科長。普朝桂は、雲南生ま           れ。副書記からの昇格。
1995~1997 高厳 吉林省出身。雲南省書記の前は吉林省長。雲南省党書記後、国家電力公司総経理で、       巨大蓄財の嫌疑で処罰、直前にオーストラリア逃亡。現在も逃亡中。海外逃亡最高級貪官と       言われる。

1997~2001 令狐安 山西省出身。副書記からの昇格。

2001~2011 白恩培 陝西省出身。内蒙古、青海省で省委員会書記まで勤めてから雲南省党書記に。現在           死刑判決下る。

2011~2014.10 秦光栄 湖南省出身。2014年の雲南省の官場地震の対応の鈍さで北京中央の怒りを買             い、雲南省副省長、昆明市市長市長らとともに党書記を罷免される。(2015.1月            に白恩培が巨大賄賂収受の件で党からの永久追放と公職解任が決定するので、そ            の事件に巻き込まれたともいえる。)

2014.10~2016 李紀恒 広西チワン族自治区出身。現在、内蒙古自治区委員会書記。雲南省省委員会副書         記からの昇格。
2016~現在 陳豪 江蘇省出身。副書記からの昇格。

上記の多くは雲南で党副書記に任命された後、内部選挙によって雲南省長(つまり中央政治局の主席に相当)に選ばれています。
そして、党書記に副書記から昇格の場合はその前に勤めていた党書記がなんらかの事件を起こして、罷免などされた時に、急場しのぎで昇格していることがわかります。それが7人中4人なので結構な人数ですが。
 そして雲南省出身者は普朝柱ただ一人。それも将軍として雲南に赴任した父から生まれた漢族です。これでは、雲南の人よりの政策はなかなか生まれそうにありませんね。
(つづく)
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