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明の徐霞客の酒

2017-02-04 13:29:52 | Weblog
写真は雲南省文山州富寧県の白酒「壮糧宴」。コウリャン、トウモロコシ、米、蕎麦をブレンドさせた「清香型」。度数は50度。この地はベトナム国境に接し、中華独特の香りにかかせない調味料「八角」の主産地でもある。壮(チュアン)族が多く暮らすので、お酒の名称につけたのだろう。
 現地では、このお酒をコップになみなみと注いで、乾杯しては飲み干していたが、日本人のように酔っ払って記憶をなくしたり、へべれけになって失礼なことをしたり、ということにはならない。ひたすら陽気になっていた。日本人のように酒席の上だから特別に許される、という風習はなく、たいへんみっともないことと思われる。総じて日本人より酒に強いようだ。
 中国で仕事をする人は、お酒に慣れておく方がよい。もしくはかつてのように乾杯攻勢はさすがに礼儀としてよくない、という風潮もあるので「随意(スイイ」と、言い合うと、飲みたい人はのむ、という空気になる。

【明末の大理の地酒】

もう一つ、明末の大冒険家で地理学者として知られている徐弘祖(1586-1641)、号は霞客の書いた『徐霞客遊記』で大理から永昌(今の保山)に行く途中、山を越える場面に地元の酒の記述がありました。

「数家が南峡にあり。湾子橋で漿を売る者あり。連糟し、これを啜る。およそ地元の酒醸也。」(「滇遊日記9・『徐霞客遊記下』上海古籍出版社、2007年 p962」

どろどろした地元のお酒。甘酒か、発酵して漉していない醸造酒でしょう。このように元以降、蒸留酒が盛んになっていく中でも、連綿と醸造酒が愛され続けていたことがわかります。

農村ではやがて蒸留酒が主流として定着していきますが、昆明周辺の通海の甘酒(甜白酒)ブーム、1980年代以降のビール競争も唐突に訪れたわけではなく、重層的な酒の世界は昔から定着していたことがわかります。   (つづく)
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