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大航海時代を求めて スペインとポルトガル2 白い十字架

2021-04-04 11:10:22 | Weblog
写真は飛行機から見たピレネー山脈(2019年2月14日撮影)

【マドリードへ】
飛行機の窓からは星座がくっきりと輝き、地上は白やだいだいのぼんやりとした発行体がポツリ、ポツリと広がっていて幻想的です。席の前の液晶画面がロシアからポーランドあたりだと表示しています。

 やがてくっきりと見えていた空間に白いもやがかかり、それがふたたび途切れると眼下にピレネー山脈が見えてきました。雪に覆われた白く険しい山々は、フランスとスペイン二つの国を分ける壁。どころかかつてアフリカからイベリア半島を北上したイスラム陣営をも阻んだ峻厳な山脈。迫力が違います。


 山脈を通過するとスペイン。下は赤茶けた大地に。
 マドリードまであと20分とのアナウンスが流れるころ、付近の山の峰には風力発電が無機質に連なっていました。地面が近づいてくると赤い大地ばかりだったところにダムや緑が見えてきました。
 マーブル模様のパッチワークのような畑の中にお菓子みたいな茶色い屋根の家々がみえ、山の峰に抱かれたなあ感じた8時10分、無事に着陸。

【T4ゲートの十字架】
 ほっとして真横をみると、ターミナル4ゲートの北東の山に巨大な白い十字架が横たわっています。すごく目立つのに、ガイドブックや書籍には解説が見当たりません。
あとでスペイン語のサイトで調べてようやく以下のことがわかりました。(googleの翻訳機能を使いました。)

スペイン内戦初期の1936年11月7日から約1か月もの間、共和党側に反対する民間人捕虜2000人以上に対する虐殺がありました。場所はハラマ川をはさんだマドリード対岸の町「パラクエジョス・デル・ハラマ」。そのためパラクエジョスの虐殺と呼ばれています。その犠牲者を追悼したサンミゲルの丘の上にある墓地だったのです。

 作られた年代はいくら調べてもわからなかったのですが、国の誰もが悼みを共有する墓地なのだろうと思ったらさにあらず。

世界史の教科書に必ず出てくる1939年から1975年までスペイン独裁を行ったフランコ将軍は反乱軍。つまりフランコ将軍を礼賛する建造物と受け取られる場所だったのです。

フランコ将軍も苛烈な弾圧で有名な人です。彼を恨む人もたくさんいるのでしょう。いまでも白い十字架にペンキで落書きをしてはネットにその模様をアップしたり、この十字架の写真をアップする人のブログに、たくさんの意見が寄せられたりと物議をかもす場所でした。

マドリード=バラハス空港ができたのは1928年ですが、ターミナル4が設置されたのは2006年とターミナルのなかでは最新です。空港を拡大していくうちに横が墓地になってしまったというわけです。
本を読むよりなりより、スペイン内戦も善悪が簡単ではない血みどろの戦いだったのだとこの十字架が語っているようです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Paracuellos_massacres
Web 翻訳ツール (translatetheweb.com)
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(つづく)
※春ですね。桜は散り際も美しい。
 4月は更新が若干、不定期になるかもしれませんが、お暇なときにお読みくだされば幸いです。
次週の更新はお休みします。

コメント
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