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雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のシルクキャンディ-・絲窩糖(スーウオータン)7

2018-01-21 11:40:31 | Weblog
大理の洱海で串焼きを炭火する女性。
透明な丸い玉は手に持つ機械は炭火に空気を送る手巻き式ふいご。日本ならうちわであおぐところだが、
一定の風力が保てるため火の粉が飛ばないところが便利。

【「題詠」文学サロンにて】
陳維崧の詞を寄せた絵画の持ち主・徐電發について。電發は字(あざな)つまり普段の呼び名。本名は徐釚。1636年、江蘇省蘇州の生まれの文人、蔵書家です。

歴史の転換期に幼少期を過ごしました。

1644年にやや富裕な農民の家に生まれた李自成が北京に入城して明が滅び、明を助ける名目で満州族の清が中国に入り、助けるどころかあっという間に北京を首都と定め、翌年には南京も陥落した頃。徐釚は科挙の試験を受けるべく、勉学にいそしみます。

康煕14年(1675年)、彼が40歳の時に官途につくべく、都入り。その際、徐釚の地元で有名な銭塘出身の画家謝彬の描いた山水画「楓江漁父図」を携えて上京しました。

4年後に当時、流行していた酒の席などで絵を見て、詩詞の応酬をし、その詩詞に「題」を付ける「題詠」の会を催します。これは

「晩明以降、「題詠」によって一つの書画に自伝、詩、詞、曲、文など様々な往復対話をする文化、ときにはけんかがあった。それは文人の交流、インターネットのない時代の人々の真情をあらわす隠れ蓑になった」というもの。
(毛文芳「一則文化扮裝之謎:清初〈楓江漁父圖〉題詠研究」『清華学報』 新 第36卷 卷 第 2 期 2006年12月十二月 p465~521)

時代の憂さをはらす酒席です。さまざまな詞が集まったことでしょう。
(つづく)

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