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雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のシルクキャンディ-・絲窩糖(スーウオータン)2

2017-12-09 12:05:12 | Weblog
 雲南の大理は日本の平安時代ごろには、大理国(937年~1253年)の中心だった。山に囲まれ、山からは清流が流れ、様々な民族が行き交っていた。ここで絲窩糖をよく見かけた。
 写真は観光地化が進みつつあった大理の中心街を流れる蒼山から下る清流で白菜のような野菜を洗う人。水はたっぷりと流れていて、水道水よりもはるかに洗いやすいようだった。(2005年撮影。)


【清時代の江蘇省あたりの詞に】
 これはどこの地方のお菓子でいつごろからあるのだろう、と調べていると、400年ぐらい前の詞にこのお菓子を発見しました。

「絲窩糖」(スーウオータン)ではなく、「窩絲糖」(ウオースータン)の名前で文字の順序が逆なのですが、同じ酒席で作られた詞にさらに詳しく書かれたものがあるので、それもともに読んでみて同じかどうか考えてみようと思います。

明末清初の頃に多くの人の尊敬を集めた文人、陳維崧(天啓5(1625)[没]康煕21(1682)。

 明の時代に科挙(中国の官僚となるための試験。この試験を突破するために一生を費やす人も当時はたくさんいた。)で状元、つまり成績一位で突破した人です。その後、清の時代となり満州族の支配となった中国で職を辞し、隠遁生活をしていました。

 この人の詞に《咏窩絲糖》という題のものがありました。(『瑶華集・上』中華書局より・巻19-1「摸魚児」)
「窩絲糖を詠う」という意味の題の下に陳自身でつけた注に

「糖出大内遺制,今西山一老中監尚能為之,后恐遂失伝矣。」と書かれています。

 糖から作られた昔ながらのお菓子が今では西山のある地域でのみ残されている。まもなくその伝統が消えてなくなってしまうことを恐れている、というものです。

「遺制」とありますが、これはいったい、どういった由来の伝統的お菓子なのでしょう。
                               (つづく)
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