写真は「胡蝶の夢」の一場面。とにかく、すべてが派手な印象。ほんとうは悲恋の話なのだが、それを忘れるほどの迫力だった。
【「胡蝶の夢」復活へ】
これらの少数民族のなんらかを絡めたエレクトリック舞台は、たいていは2005年からリーマンショックの時期までが華々しく、その後、観光客の減少に従って舞台はおわりを迎えていきました。
ただ、かつて外国人が多く訪れた舞台に近年はお金を持った中国人が詰めかけるようになり、2016年12月から「胡蝶之夢」などはさらにパワーアップして復活しています。
私もこれらの多くを見ましたが、いずれも少数民族の踊りに、派手な音響とレーザー光線のような目が痛くなるほどの光の演出、少数のプロと地元で訓練を積んだ演者がアクロバティックな演技と踊りを披露する、といった内容でした。
昆明の「雲南印象」は元祖だけにオリジナルティーあふれるヤン・リーピンの深い思想性に基づく舞台で見応えがありましたが、他の舞台は北京などの国家が指定した雲南とは縁もゆかりもない国家特級演出家などの肩書きを持つ一流演出家による舞台で、なんとなく2つ見ると、あとは同じように思えてしまったのでした。
ともあれ、これらの実績によって丹増は2007年1月には雲南省人大常任委員会副主任、さらに同12月には15回中央委員候補委員に選ばれました。彼は新聞記者であり、1970年代には作家活動もしていたため、1982年から中国作家協会に加入。中国作家協会副主席、2011年には中国文連第9回全体委員会副主席にもなりました。
結局のところ、少数民族のチベット族出身の副書記・丹増は雲南の一般民受けは抜群でした。けれどもマスコミ受けを狙ったパフォーマンスをしているうちに、中国沿海地区に巨大な「チャイナ・ハリウッド」という看板を掲げる横店などに映画基地の拠点を奪われ、さらに一流監督がのぞむ「雲南本来の民族性や景色」も色あせるままにまかせるだけで、彼の政治生命は頂点に立つことなく、おわりを迎えました。
丹増より以前に活躍した雲南省の少数民族・納西族出身にして雲南省党副書記となった和志強も雲南省人民政府省長も兼任し、さらに中共第十三届中央候補委員、第十四届中央委員,第九届全国政協常務委員会委員にもなっています。
彼らの経歴を注意深くみると「候補委員」や「政治協商会議の常務委員会委員」といった、中央の政治の中枢に直接的に働きかけるというより、その手前で理想を語る部署である点が注目されます。また「副」という役職がほとんどです。
雲南市民に人気のある少数民族出身の彼らは市民の不満のガス抜きだったのかもしれません。
今のところ雲南出身+少数民族出身で書記になったものはいないのが現状。「書記」と「副書記」の間には計り知れない大きな段差があるのです。
書記は中央から命令された官僚、地元の声はあくまでも「副」としての参考であり、ガス抜き、というのが雲南の、つまりは中国の現実だったのです。
(この章おわり)
※長く続いた雲南の書記と副書記の話はこれで終わります。長らくお読みくださり、ありがとうございます。次回もよろしくお願いします。
【「胡蝶の夢」復活へ】
これらの少数民族のなんらかを絡めたエレクトリック舞台は、たいていは2005年からリーマンショックの時期までが華々しく、その後、観光客の減少に従って舞台はおわりを迎えていきました。
ただ、かつて外国人が多く訪れた舞台に近年はお金を持った中国人が詰めかけるようになり、2016年12月から「胡蝶之夢」などはさらにパワーアップして復活しています。
私もこれらの多くを見ましたが、いずれも少数民族の踊りに、派手な音響とレーザー光線のような目が痛くなるほどの光の演出、少数のプロと地元で訓練を積んだ演者がアクロバティックな演技と踊りを披露する、といった内容でした。
昆明の「雲南印象」は元祖だけにオリジナルティーあふれるヤン・リーピンの深い思想性に基づく舞台で見応えがありましたが、他の舞台は北京などの国家が指定した雲南とは縁もゆかりもない国家特級演出家などの肩書きを持つ一流演出家による舞台で、なんとなく2つ見ると、あとは同じように思えてしまったのでした。
ともあれ、これらの実績によって丹増は2007年1月には雲南省人大常任委員会副主任、さらに同12月には15回中央委員候補委員に選ばれました。彼は新聞記者であり、1970年代には作家活動もしていたため、1982年から中国作家協会に加入。中国作家協会副主席、2011年には中国文連第9回全体委員会副主席にもなりました。
結局のところ、少数民族のチベット族出身の副書記・丹増は雲南の一般民受けは抜群でした。けれどもマスコミ受けを狙ったパフォーマンスをしているうちに、中国沿海地区に巨大な「チャイナ・ハリウッド」という看板を掲げる横店などに映画基地の拠点を奪われ、さらに一流監督がのぞむ「雲南本来の民族性や景色」も色あせるままにまかせるだけで、彼の政治生命は頂点に立つことなく、おわりを迎えました。
丹増より以前に活躍した雲南省の少数民族・納西族出身にして雲南省党副書記となった和志強も雲南省人民政府省長も兼任し、さらに中共第十三届中央候補委員、第十四届中央委員,第九届全国政協常務委員会委員にもなっています。
彼らの経歴を注意深くみると「候補委員」や「政治協商会議の常務委員会委員」といった、中央の政治の中枢に直接的に働きかけるというより、その手前で理想を語る部署である点が注目されます。また「副」という役職がほとんどです。
雲南市民に人気のある少数民族出身の彼らは市民の不満のガス抜きだったのかもしれません。
今のところ雲南出身+少数民族出身で書記になったものはいないのが現状。「書記」と「副書記」の間には計り知れない大きな段差があるのです。
書記は中央から命令された官僚、地元の声はあくまでも「副」としての参考であり、ガス抜き、というのが雲南の、つまりは中国の現実だったのです。
(この章おわり)
※長く続いた雲南の書記と副書記の話はこれで終わります。長らくお読みくださり、ありがとうございます。次回もよろしくお願いします。