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雲南の書記と副書記20 副書記の役割バランス

2017-08-19 13:15:40 | Weblog
写真は雲南北部、シャングリラのチベット仏教寺院の修復の様子。職人の方々は、わりとフリーハンドで、難しい文様を描いたり、金細工をはめ込んだりしている。一見、ざっくりとした修復に見えるが、習熟の度合いも感じられた。
 少し、色合いが日光東照宮の文様のようにも見える。


【西部出身で固める】
以前書いたように2001年12月に副書記に選ばれた陣容は徐栄凱の他には、楊崇匯、王学仁、陳培忠がいました。

楊崇匯は、1945年、四川省塩亭の出身で重慶医学院医療系を卒業し、共青団四川省重慶市医院副書記、1994年の四川省副省長、と党四川省副書記をへて、2002年より雲南省政治協商主席と党副書記になりました。現在は全国政協港澳台僑委委員会の主任となっています。

王学仁は、1946年、雲南の嵩明県の出身。雲南省出身の漢族です。各地の市委員会書記を経て1998年より雲南省委員副書記に、2001年12月より中共雲南省委員常任委員、中共雲南省委員副書記となっています。2007年には雲南省政協主席となりました。

陳培忠は、1942年、貴州省の出身。漢族です。軍事畑を歩み、1996年12月から雲南省軍区の政治委員となり、2001年12月より王学仁らとともに中共雲南省委員常任委員、中共雲南省委員副書記となっています。2002年11月より中央規律検査委員会委員となりました。同時に人民解放軍側からの全人代代表にも選ばれています

2001年10月から雲南の党書記となった白恩培のもとに、胡錦濤国家主席の朋友の徐栄凱、やはり胡錦濤系列の共青団出身として胡錦濤が長く在職していた(甘粛、貴州、チベットといった)西部地区の四川省にいた楊崇匯、雲南の事情に明るい漢族の王学仁、さらに貴州出身で軍務に明るい陳培忠といった布陣でした。陝西省出身の党雲南省書記の白恩培を含め、全員が西部地区の出身ということになります。

これは2000年3月に当時の国家主席の江沢民のもと「西部大開発」計画を推進されたことと関係があるでしょう。インフラ整備、エネルギー開発や水資源をしてそれを沿海部の大都市に送る計画、国境を接する国々との辺境貿易などが掲げられました。

ちなみに中国西部地区というのは、甘粛省、貴州省、寧夏回族自治区、青海省、陝西省、四川省、チベット自治区、新疆ウイグル自治区、重慶市、そして雲南省です。

とはいえ、これだけでは、ぱっと見、雲南の市民レベルに親しまれる要素がありません。

そこに登場したのが丹増です。2002年4月に雲南省委員常務委員、省副書記に。これら中国共産党雲南省副書記にくらべると、地位は一段落ちるのですが、経歴の親しみやすさが抜群でした。
(つづく)
※この回、たいへん長くなっております。今年行われる中国全人代のパワーバランスの縮図が雲南を注視すると見えてくるので、ついつい、深掘りしております。まさに、歴史を見ると未来がわかる、です。
よろしかったら、おつきあいください。

コメント
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