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ワリコミ追悼考察・まつり前夜2

2014-03-15 11:42:42 | Weblog
写真は2008年北京オリンピック開幕10日前に昆明市内の路上でバス2台の爆破事件が起こった20日後の昆明空港。6人以上が一列になって歩いて巡回している。警察官の歩く間隔が一定でなかったり、ちょっと疲れ気味で臆病そうな空気が流れている様子に昆明に着いたばかりの私はほっとしたものだ。街中でも警察がテントを張って団子になって固まっていたり、バス爆発事件の起こった場所にはささやかな花が供えられていたが、人々はすでに普通の生活を送っているようにみえた。

【ホータンの地震】
 3月12日の日本の新聞の報道では、「暴力テロ集団」8人のうち、3人は事件の2日前に逮捕されていたことがわかりました。しかも昆明より南にある紅河ハニ族自治州で爆発物を製造していた容疑だったとか。駅で刃物を振り回していた人は、当初の発表よりさらに少なかったということになり、ますます不可解さが増しています。

 今回のテロは全人代(年一回、中国に一つしかない政党の中国共産党の重要決定を発議、決定するところ。否決されたことはない。)の直前に行われました。つまり政府になんらかの打撃を与えたいという政治的メッセージを乗せたい目的のテロと考えられます。

 覚えておられるでしょうか?昆明では2008年7月21日という、北京オリンピックの10日ほど前にも昆明の目抜き通りで「バス爆発事件」が起きています。

 私はちょうど、この事件の20日後に昆明に行ったのですが、空港では隊列を組んだ機動隊風に人々が銃を持って警戒にあたり、交差点でも警察の姿を多く見かけました。ただ、警戒はそこまでで、一般の人々は爆発が起きた路上に花を供えてはあっても、ごく普通の心持ちで生活をしているように見受けられました。警戒に当たる側も「恐ろしい事件に巻き込まれませんように」と祈りながら歩いているような、びくびくとした弱々しい空気が流れていて、「想像と違うな」と感じたものです。
 つまり、警戒する側もなんとなく弱々しく、隙が多く、周囲をあまり見ていない感じが昆明ではあるのです。(昆明駅警察隊が四川から来た出稼ぎ労働者に口論でやりこめられて、涙目に成っている様子が新聞に乗ったときも、「警察隊は涙目になっても、その場に留まってよくがんばった」という調子の文章が載っていました。四川方面から来る人は気の強い人、というキャラクターで固定されたイメージがあります。)

 このときは朝7時という早朝の出勤時間に2台のバスが相次いで爆破され、犯人は捕まらずじまいでした。

 じつは同年のクリスマスイブの12月24日に昆明のコーヒーショップで爆発がありました。雲南の宣威出身の男が自爆しており、彼は大量の爆薬を所持していました。彼は生前、「あのバス爆発はおれがやった」と公言していた、との地元報道がありました。それでも2008年の爆破事件は独立を目指すウイグル族の一派、と政府は断定しています。

 また日本の報道はほぼありませんでしたが、今年2月12日には新彊ウイグル自治区和田(ホータン)地区于田県でマグニチュード5.4とも7.3とも発表され、余震回数の739回を越えた大規模な地震があり、習近平総書記がさっそく注視している、という報道が、『人民日報』や中央テレビでなされました。

 この地域は「ホータン玉」といわれる中国の宝石の名産地です。
 昆明駅より北東5キロのミャンマー翡翠や「玉」を扱う店が建ち並ぶ(また昆明駅や昆明空港に近いことから日本の旅行会社が手配する3つ星から5つ星クラスのホテルが林立する)地域があるのですが、そこの目玉商品です。当然、玉を売るためにホータンからたくさんの人が昆明にやってきて、つながりも深いのです。現在、出稼ぎに来る人ら100人以上のウイグル族が昆明のその地域に暮らしています。

 地震と今回の事件は関係ないかもしれません。でも、外国とも地続きで通商が行き交い、警戒が手薄だけど政府への打撃は他の地域におこすのと同等の価値を持つ昆明は、どう考えても今後もテロの標的にされやすいのではないか、と考えてしまいます。

 世界中がなんとも物騒な空気に包まれています。政府の見解だけに踊らされない見識を持ちたいものです。

(次週は更新をお休みします。)
コメント
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