上左の写真は龍川橋と松華坝ダム、上右のものは龍川橋の上部。下のものは龍川橋周辺の手入れされた公園。
「上坝村の東側にあり、元の至元年間(1264-1294)に建設され、光緒19年(1893)修築された。
龍川橋は盤龍江にまたがり、盤龍江の第1橋となっている。橋の北側には「●龍坝があり、その高さは川底ほど。河の水は3股に分かれて、橋を穿って通り過ぎる。そのため名を龍川橋という。
3つの穴がある石橋で、橋の長さは45メートル、橋の寛さは10.3メートル。
真ん中の穴の高さは5メートル、その他の2つの穴は各々3.2メートル。長方形の黄沙石を削って作られた。
保護範囲は北の道ばたから南は山まで、東は80メートル、西は100メートル。建設をひかえる地帯(建設控制地帯)の保護範囲は東40メートル、西60メートル。
昆明市盤龍区人民政府立」(橋のそばに建てられた碑文より)
【飲用水水源区(取材ノートより)】
村の入り口には元の時代に建設され、その後、何度か改修された「龍川橋」が盤龍江にかかっている。その周りは、きれいな公園になっていた。人かげは、その木々を管理するおじさんと橋を丁寧に掃除するおばさんだけだった。
花や観葉植物らしきカラフルな植物が設計図通りという風情で植わり、確かに美しい公園から水辺に近づくと、くさい。まりもが大きくなったような緑の藻が沢山、浮いている。大きな蝿もうなり声をあげている。そして見上げると、すぐ先の山に松華坝ダムがそびえていた。
近づこうと街に入ったが、村からダムへと通じる舗装路には
「立ち入り禁止」
の札が。
また
「あなたはすでに松華ば飲用水水源保護区に入っています。」
と書かれた看板や、母子の絵と花々と一戸建ての描かれ
「生態環境を保護して、子孫の後の代の福を作りましょう。(保護生態環境、造福子孫後代)」
と大書きされた看板などが寂しく建っていた。
ダムの水は大丈夫なのか? この鼻にくるくささと目に映る美しさのギャップはなんだと混乱しつつも、冷静に観察を続けると、川の畔には、いかにも中国の農村にある垂れ流しの「公共トイレ」があり、まもなく撤去される印の「折」の字がペンキで書かれていた。
また、灌漑用水用の調節弁もあった。そこのプレートには設置は1967年とある。つまり、文化大革命の開始時の農業増産のために作られたようだ。そのころの水はきれいだったろうが、この水で作物を育てるとなると、抵抗が・・。
20戸ほどが確認できる小さな山間の村・上坝村から流れ出る水もくさい。川の上流部にもかかわらず下水が直接、垂れ流されているようだ。
ただ、村を通過する前の水路から流れる水は透明で臭いもなかった。つまり、村人の排水が混じる前の水はきれいだということだ。その山の上にあるダムも厳重に管理されている様子から、まずは透明と考えていいだろう。
さらに、別の日に昆明市から東に行ったところにある、雲南屈指のミネラルウオーター「雲南山水」の工場に行った。紅い大地だけがひろがる何もない空間にバン、と設置されている光景に唖然。緑したたる風光明媚で豊かな水の湧く地を勝手に想像していたのは、勝手に私が豊かな日本の水事情を基準していたせいだろう。
昆明の飲用水も、農業用水もかなり重病のようだ。
(つづく)