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雲南のお豆⑥

2012-02-05 14:36:46 | Weblog


写真上は雲南省北西部の維西のチベット族の村でのおもてなしのお茶うけ。お米をあげたスナックとクルミ、ひまわりの種、果物、栗の実が並ぶ。
写真下は麗江特産の鶏豌豆粉。えんどう豆に黒い色素が多く含まれているため、別名・黒豆腐とも。鶏えんどう豆を水とともにつぶして、じっくりと鍋で火を通す。地元の人々の憩いの一杯となっている。(2005年、麗江にて。)いずれにしても、よくよく考えると食事の中での豆の比重の高さに驚かされる。

【そら豆の値段】
 1945年当時の人々が普段、何を食べていたのも調査されました。結果は、

貧農 雑糧つまりそら豆などと小麦が主食
中農 米と雑糧が主食
富農 米が主食
  とあります。
つまり、主食が米なのは富裕層だけで庶民の食事を主に支えていたのは豆類なのでした。
「多くの住民はそら豆を水に浸けた後、米と蒸す『豆悶飯』が日の半分を占めた。(中略)豆と米、麦を混合して食べるのが伝統になっていた。」とも記されています。
ちなみに
「1946年3月の市場価格では米1升が1200元、そら豆1升が420元。」(胡慶鈞著『漢村与苗郷』天津古籍出版社2009年より)
ということですから、米以外で嵩を増やしたくなる気持ちも、よくわかります。

【緑あざやかな豆ごはん】
 ちなみに「豆悶飯」とは日本の赤飯の、うるち米バージョンのようなもの。雲南でも伝統的な雲南料理を食べさせてくれるお店で、今でも味わうことができます。そら豆の黄緑が白いごはんに映えて、見た目もさわやかで、ふくらみのあるおいしさでした。
日本にも豆ごはんは昔からありますが、豆とご飯を炊飯器に入れるだけ、のお手軽豆ごはんなら、現代の薬膳本やダイエット本で、よく見かける人気のメニューです。わが家でも、娘のリクエストでよく豆を入れて炊き込みますが、ちょっとの手間で上品な味わいとなります。ただし、その場合の豆の比率は、米の1/20程度。それ以上を超えると、豆っぽくなりすぎて、ご飯を食べる感覚が薄くなり、主食としては物足りなくて寂しい味になります。おそらく、調査当時の「豆悶飯」は収穫量から考えても豆のお米が同量、もしくは豆の量が勝るようなものだったのでないでしょうか。
私の父は第2次世界大戦時に日本で幼少期を過ごしていますが、当時、ご飯よりもサツマイモやカボチャを食べさせられたため、今でもこの2つはきらいな食べ物となっています。今ではおいしい「豆悶飯」も、当時の雲南では豆の味ばかりで、子ども達の豆嫌いを加速させることもあったようです。
(つづく)

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