早朝、中之島公園を散歩していると、鵜の大群が飛行している姿を見かけます。
今から約800年も前の承久の変で隠岐に配流された後鳥羽上皇(1180~1239年)の和歌集「後鳥羽院遠島百首」に、この鵜にちなんだ作品があります。・・・土佐堀川から飛び立つ鵜の群れ
実は、後鳥羽上皇が流された島は、この大阪の中之島と同じ呼び名の隠岐国中ノ島(現在の海士町)なので何やら因縁がありそうです。・・・川面を蹴って離水する鵜
隠岐の中ノ島で晩年を過ごした上皇は、ある日海に出て鵜の群れ(島つどり)を見たのでしょう。・・・前を歩く女性は鵜の群れに興味がなさそうでした。
そこで、近くにいた島の住民に「あの鳥は、何という名の鳥なのじゃ」とお尋ねになったのでしょう。・・・水面すれすれを飛ぶ鵜
島民はおそるおそる「正しき名前は存じませぬが、こちらではウと呼んでおりまする」と答えたのでしょう。・・・右に旋回する鵜の群れ
それを聞いた後鳥羽上皇は、当時の自分の境遇から、ウに憂き世の「憂」の文字を即座に連想したようです。・・・バラ園の上空を旋回中
そして即興で「とにかくに 辛きは隠岐の 島つどり 憂き世ばおのが 名にや答えむ」と詠んだのでした。
(島流しとなった)自分にとって憂き世は辛いものだが、隠岐で生きる島つどり(鵜の群れ)の身の上も辛いのだろう。なぜなら自分をウ(憂)と呼ぶくらいなのだから、という意味でしょう。