先日も紹介しましたが、大阪の中心部にある中之島公園では、ウ(鵜)の群れを見ることができます。
今から約800年前、文学的才能が豊かだった後鳥羽上皇は、このウに憂いの「憂」の文字を当てた和歌を詠んでいます。
憂の意味は、憂鬱と表記するように、心をなやますつらいことをいいます。
また憂き世とは、この世を穢れた世界と考える仏教的な思想から来た言葉で、徳川家康の馬印「厭離穢土 欣求浄土」の穢土と同じ意味でしょう。
隠岐に島流しされた後鳥羽上皇にとって、まさに現世は憂き世(穢土)そのものだったことは間違いないでしょう。
今川義元が桶狭間(1560年)で討ち死にした直後、今川家に身を寄せていた徳川家康(1543~1616年)は、松平家菩提寺で自害しようとしたようです。
そのとき菩提寺の住職が、「厭離穢土 欣求浄土」と説き、自害を思い止めさせたといわれています。
それ以降、戦乱が続く穢れた世の中を離れ、平和な浄土を願い求めるなら必ず御仏の加護があると、家康は信じるようになったのです。・・・クレーンの横にウの群れ
浄土真宗の葬儀で必ず読まれる「白骨の御文章」は、宗祖親鸞を流罪とした後鳥羽上皇の著書をもとにしたものなので、上皇が仏教思想に通じていたことは間違いないでしょう。・・・こちらはユリカモメ