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和歌山城西の丸庭園は、家康の10男で紀州徳川家初代藩主の頼宣が築造したもので,江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として1985年に国の名勝に指定されています。



頼宣の孫で8代将軍となった徳川吉宗(1684~1751年)は、2代和歌山藩主光貞の4男として和歌山で生まれ、1705年から1716年まで和歌山藩主だったのでこの庭園を見ていることは確実です。



二の丸から御橋廊下を通って西の丸に渡ると、池のようになった堀の中に1972年に再建された鳶魚閣が見えてきます。



江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園は、当時から紅葉渓庭園と呼ばれ藩主の隠居所だったようで、吉宗の祖父頼宣や父親の光貞が使っていたのでしょう。



庭園に入ってみると、鳶魚閣の前から南西側にかけて敷地が高くなり、そこに至る遊歩道の上には雨に濡れたモミジの葉が散乱していて、踏みつけるのが惜しいようです。



吉宗の将軍就任に伴い、吉宗の従兄弟に当たる宗直(1682~1757年)が和歌山藩主を継ぎ、宗直の系統から14代将軍家茂が出ていますので、紀州藩から宗家を継ぐ2人の将軍が出たことになります。

紅葉渓庭園の南西側から見た紅葉と御橋廊下



紅葉渓庭園の南には萱門という出入り口があり、その前にある由緒書に庭園の詳しい説明が書いてありました。



それによれば、かつて庭園の南西の高台から池に向かって3つの滝と渓流があり、高台には懸造の茶室(聞松閣、水月軒)があったようです。

高台下にある紅葉渓庭園の石碑



萱門の外(西の丸庭園の南側)には、山吹渓と呼ばれた本丸の石垣があり、その先には切手門跡があります。



また、萱門から出た西側の鶴之渓門跡には、浅野時代に鶴が飼育されていた鶴之渓庭園跡があるので、和歌山にも野生の鶴が飛来していたようです。


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