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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



だいぶ寒くなってきた秋の休日、近江鉄道八日市駅からバスに乗り換え、紅葉で有名な湖東三山を百済寺、金剛輪寺、西明寺の順に巡ってみた。

八日市駅



琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する百済寺は、606年聖徳太子の建立というので1400年以上の歴史を誇る古い寺院で、かつては湖東三山最大規模の寺院であったようである。



百済寺の寺伝によれば、湖東の開発に従事していた渡来系氏族が、仏教伝来(6世紀中期)後かなり早い時期に800キロ西方にある故国の方向に沈む夕日を望む高台であるこの地に氏寺を開創したという。



平安時代には、比叡山延暦寺の勢力下に入って、天台宗の寺院となり、中世以降もかなりの規模をもっていたようであるが、室町末期の1498年と1503年の兵火で焼失している。

仁王門



焼失後すぐに再建されたことは、1565年から布教のために京都に滞在していた宣教師ルイス・フロイスが百済寺を訪問した記録が残っているので明らかであるという。

本堂



ルイス・フロイスが「地上の天国千坊」と書いた百済寺の僧坊跡は、今も参道の両側に延々とある300以上の区画によってそれと判るが、当時ここで暮らしていた僧の数は数千人を下らなかったようである。



1573年、百済寺の坊と本堂は、織田信長の焼き討ちで焼け、本堂、仏像、寺宝、記録類なども殆ど焼失している。



織田信長は、近江の守護であった佐々木六角氏と近江屈指の宗教勢力であった百済寺を焼き討ちして近江を占領、百済寺にあった無数の石垣を14キロ西の安土まで運び、6年後の1579年には安土城が完成するのである。



門を入り参道を進むと本坊の喜見院があり、中には喜見望郷庭という西に湖東平野から琵琶湖、比叡山を望む庭園がある。



喜見院から長い石段を上ったところに仁王門、さらに上ったところに本堂があり、その裏手となる旧本堂の南には五重塔が建っていたようである。



重要文化財に指定されている檜皮葺きの本堂は、江戸時代初期である1650年の再興で、中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築である。



それにしても晩秋の湖東三山は、晴れていたかと思うとすぐ雨という実に不安定な天候なのでテブレした失敗写真が一杯出てしまった。


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