遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



     ひさしぶりにお芝居を観にゆきました。池袋は想い出の多いところです。メトロポリタン口を降りると、いろとりどりの紗が風にのって目のまえを過ぎってゆき、わたしはそっとふれて風に放し、舞い上がって空に溶けてゆくのを見送りました。メトロポリタンホテルでお土産にジュレを買いました。右手には芸術劇場、左手には3日間、LTTAのワークショップで通った勤労者センター......。曲がりくねった道をゆくとスタジオPがありました。

     「死んだ女」.......中央に棺、電信柱、街灯.....死んだ女に所縁のある6人の男たちがつぎつぎにあらわれ、男の人生、女の人生がうかびあがってまいります。意表をつく展開、リズム、色彩、登場人物のステータス(その場面の力関係)がめまぐるしく入れ替わり、徒党を組んだり孤立したり、人間関係もさまざまに変化します。それはまさしく、演劇的空間でした。

      わたしは舞台を見ながらぼんやりと......芝居は台詞でつづられるのにかかわらず、......コミュニケーションが成り立たない、わかちあえない、”個人の孤独”、その孤独が一瞬でもいい、埋められ、充たされる至福を描くものが多い...なぁと思っていました。”動物園物語””耳””かもめ””彼女の場合”......わたしが揺さぶられた芝居はたいてい、そうでした。そして、それはみな小さな場所で観た芝居でした。

      もちろん、それだけではありません、大劇場で目くるめく演劇的な展開に目を奪われ、歌や踊りに身をゆだね、楽しむ芝居もあります。そうなんだけれども、わたしの場合長く残るのは隔絶された個の「人間」の救い、あるいはレクイエムなのでした。事件がおきる、エピソードの積み重ねのなかで隠されていたさまざまなことが明るみに出てゆく。破綻があり、激情があり、あるいは覚醒があり、モノガタリは終わる、そして予兆がある、希望がある、どんな悲劇的な結末であっても。.......
芝居の原点はエネルギーではないでしょうか。そのエネルギーが観るものを揺さぶる......


     ひるがえって語りはどうなのだろう......今年になって語った、”紅梅”、”林檎の木”は元が文学であるからかもしれません。コミュニケーションの不足、行き違い、誤解が生んだものがたりともみえるのです。終盤、”紅梅で”は誤解が溶けカタルシスが生まれます。”林檎の木”では見かけのカタルシスがあるのですが、主人公のアシャーストに真の覚醒が生まれないために、そこからより暗い深淵が現出する.......という入れ子のカタチになっています。

     もっとふるいものがたりはどうだろう.....”空と海と大地の物語”とか”コカのカメ”.....神話と昔話、それはとてもシンプルな構造です。事件が起こる、パノラマのようにものがたりが展開する、勇気によって愛によって、努力によって、助けによって問題は解決する、そしてある種のオチがあり、その後を予感させながら.....大団円。ものがたりはエネルギーそのもの。

     芝居も語りもものがたりです。芝居は登場人物の台詞のやりとり その確執で展開しますが「語り」では大きく二つに分けられます。①全知の「語り手」による「語り」、②「私」が語る一人称の「語り」ですが、たいてい①ですね。地の文が「語り手」の語りで、そのなかに台詞が散りばめられる、芝居の場合、演出者が陰の神なんですね。芝居もモノガタリなのですが役割分担がされている。だから、演出者の意思と個々の役者のコンビネーションそして観客がひとつになったとき、圧倒的な空間が生まれます。けれども 役者のベクトルがあっちこっちだったりすると面白いには違いないが拡散してしまいます。


     きのうのお芝居は個性的な役者さんが揃っていたのですが、その個性が強すぎて消しあっていたようにも見えました。元夫 元恋人 元初恋の男 弟 息子 がいるのですが 夫や息子、エキセントリックな弟のほうが存在感が希薄なのです。駅の売店で毎朝、毎晩死んだ女からスポ日と牛乳を買っていたゆきずりの男が一番リアルでその男の生活まで見えて不思議でした。描かれ方が一番丁寧....作者に愛されていたのかもしれません。

    視覚聴覚を刺激する各種の効果とか饒舌な台詞から産み出される演劇的空間.......それはある種あそびの部分も含めた空間です、わたしはたぶん.....作者であり演出家である阿藤さんのいいたいことのひとつは元夫の台詞

「......きのうより、今日より、あしたがよくなっていくと思えた頃はよかったなぁ........もしかすると人類は今まで経験していない、暗い悲しい恐ろしい時代を今 迎えるのかもしれない......」

に要約されていたのではなかったかと思うのです。最後のシーンで死んだ女が火葬された灰のなかから咲いた丈高い一本のひまわりの花が”予兆”を感じさせてくれます。

     わたしはJRに揺られ芝居の余韻にひたりながら語りはひとりのしごとだけれど、よりシンプルにストレートに、ひとの孤独と再生、古代のエネルギー、地球の今と未来を語ってゆけるかも知れない.....と考えるともなく考えていました。つらつら書くうちにまとまりがなくなってしまいましたが、最後にひとつ感じたのは静寂でした。間とはべつに台詞のなかに静寂が必要だ....と感じたのでした。




      


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