遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



........先日、”高瀬舟”をさがしていたら、少年少女日本文学全集全24巻のうちの第一巻にありました。

執筆者が森鴎外、島崎藤村、国木田独歩、二葉亭四迷、徳富蘆花.....この全集が発刊されたのは1962年(昭和37年)......昔の子どもはむつかしい本を読んでいたんですね。さて、昔、子どもだったわたしはなぜか、国木田独歩が好きだったのです。中学一年のときの人生の目標は”非凡なる凡人”......その後の紆余曲折はさておき、漱石、芥川、森鴎外、下村湖人.....なみいる文豪、児童文学者をさておいて、なぜ 国木田独歩なのだろう.....と読み返してみたのです。

    すると.....心地いいんですね。文体のリズム、風が吹きわたるような自然描写.....地味な短編ばかりなのですが、登場人物がまっすぐ、自然体でてらいがなくて、実にいい感じ.....12歳のわたしはけっこう見る目があったみたい。読んでいて思い出したのは江戸末期、明治のはじめに日本を訪れた外国人のことばでした。森鴎外や夏目漱石は西洋の洗礼を受けている。ふたりとも留学していたはず......そこには”かれ”と”われ”とのあいだの峻別みたいなものがある。

    国木田独歩にはそれがない。かれはかれ、われはわれなんだけれど、ひとつの輪のなかにいる、そして読んでいるわたしも共感というおおきなふところのなかでかれらとともにいる.....テーマや設定がじゃなくてものがたり世界がとても日本的、ゆるされて在る幸福感を感じるのでした。

    さて、きのうもう一冊 手にした本のなかに”伊勢物語”にまつわる本がありました。業平は恋をしてはならぬ高貴な女人に恋をして、傷心のあまり武蔵の国まできて彷徨いました。みよし野とは...今の入間、川越あたりであったろうといわれています。業平は立派な屋敷に泊めてもらいます。その家には年頃の娘がいました。


みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞ寄ると鳴くなる


    これは娘の母のうたです。このたのむの雁について折口信夫の弟子である西角井正慶氏は「たのむとは秋の収穫......たのむの雁とか成女戒をさずけてくれるひとである」と言っています。すなわち娘の母は娘を女にしてもらう儀式を京からきた貴なるひとに頼んだのです。

    また 昔は高貴な客人に一夜 娘をさしだす習慣もあったようです。え...?何て野蛮なの? 娘がかわいそう....と考えないでくださいね。客というのはまれびと.....神の代役.....神の一夜妻になることでした。そして、日本の性はなんとも自由なおおらかなものであったようです。平安時代の文化は恋愛の文化でありましたし、現代も性の乱れと言われますが先祖がえりに過ぎないのかもしれません。

    さて 朝もあかるくなってきました。強引にまとめましょう、国木田独歩、在原業平、その心は..........縄文回帰。もっと自由におおらかに。もっとも自由恋愛のほうはわたしはもういいです。男の方はひとりいれば充分にすぎます。






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