地域の方々から戦争の話を聞きたいというリクエストをいただきました。お茶会にお招きいただくかたちで 語りの会をいたしました。
先だっての中学での語りとはうってかわって 内輪の会、聞き手は中年の女性たち.....です。です。メンバーが椅子をならべて 中学とおなじ設定にしようとしたので テーブルを囲んでの語りにしてもらいました。
聴き手と場所がかわることで メンバーの声や話し方にどのような変化が起きるかな....と聴いていたら さすがに 途中から声音も距離感もかわりました。MさんNさんが語ったのは 波多先生 知覧 ヒデさんの話 語られなかった戦争です。
わたしは 今日は わたしがちいさかったときに と東京大空襲 を語りました。ステージでの語りと根本的に違うのは ......客観性が減る 自分とものがたりの体験者とのあいだの隙間が極小になることです。聴き手とのあいだの距離が小さいので 今日はタイトに語りました。それには 大きな場所で語った反動もあったかもしれません。言葉を伝えるのでなく 鼓動 熱さ 苦しさ 切迫 自分の身体で感じていることをかたる 生ナマの語りでした。....というか語っているのが自分なんだかスミ子さんなんだかわかりませんでした。
そんなわけで 帰ったら 少々気分がわるくなりました。まだ燃えさしのいぶい臭いが身体にしみついている感じがします。匂いがするのです。この語りはまだまだです。これから もっと隙間と客観性も手に入れなければなりません。
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