遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



以下 抜粋

浅田真央とキムヨナの戦いでは、以前は浅田真央の得点が、最近はキムヨナの得点が高くなっていました。誰が見ても浅田真央のほうがすばらしい演技なのに、キムヨナの得点のほうがはるかに高く、納得できないという日本人は多いと思います。

そして、日本選手権、日曜の四大陸選手権と安藤美姫が浅田真央を破っています。浅田真央はトリプルアクセルを成功させることがベストと考え、安藤美姫は「昔は四回転にこだわっていましたが、最近は四回転にこだわる発言がなくなり、この発言がなくなってから安藤美姫の成績が安定し、二連続で浅田真央に勝つ」という結果になっています。

これはどういうことかといいますと「名を取るか、実を取るか」ということだと思います。キムヨナと安藤美姫は結果という実を取り、浅田真央は素晴らしい演技と優勝という「名と実」を取るという方針を採っているからだと思います。
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浅田真央は「どういう演技をすれば勝てるか」は当然知っていると思います。しかし、トリプルアクセルがなければ浅田真央ではないとも思っていると思います。そして、現時点では「浅田真央は浅田真央らしく演技して勝たなければ満足できない」ので、勝つ事よりもかっこ良く演技するほうを「悩みながらも」選択していると思います。
つまり、浅田真央は「優勝するか・悲劇のヒロインになるか」という方向に進んでいます。

私は全日本ダートトライアル選手権に監督として参加しています。そして、この世界には「絶対王者」がいます。私のチームの選手は「去年は彼には勝てずに、シリーズ二位」で終わっています。

今の2人は大人と子供の差があります。なぜかと言いますと、私のチームの選手は「浅田真央と同じで、かっこよく運転して勝ちたい」と思っているからです。その結果が大人と子供の差になっています。彼は絶対得王者とは本当に大人と子供の差があるのかと言いますと、実は殆ど差はなく、きちんと勝負すれば「常に勝ち負けの勝負」が出来ると思います。

なぜかと言いますと、チャンピオンはキムヨナのように「どのように走れば勝てるか」を前提にして走り、チームの選手は気持ちよく走るという浅田真央方式で走っています。その結果、2010年の成績は8戦2勝で二位になりました。つまり、レースのチャンピオンはキムヨナや安藤美姫と同じで「プロとは勝つことだ」と思って走っているからです。

これを株式投資の世界に置き換えますと、株式投資を浅田方式で行うか、キムヨナ・安藤美姫方式で行うかということになります。

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森田さんは株式投資のプロなのだと思います。.......が、フィギュアについてはどうなのでしょう? 「プロとは勝つことだ」たしかにそうなのでしょう。ここはただ森田レポートの問題点を述べるだけにします。

①キムヨナさんに浅田真央さんが なぜ勝てないか 
 不正なジャッジ
②今季 なぜ安藤美姫さんに勝てないか
 安藤美姫さんの点数を意識した周到なプログラム+自信
 浅田真央さんがジャンプ修正後 まだ万全ではないこと
③名と実というが 金メダルという名 見る人へ与える感動という実という考え方もある
 フィギュアは単に投資信託のように利益を売るためのものではない
 2011 四大陸動画を見ても 優勝した安藤美姫の数倍のアクセスが浅田真央にある
 フジテレビは韓国資本であり 浅田真央を貶めてきたが 浅田真央が出ることで視聴率があがることも知っていてフィギュアの放送をドル箱にしていることからもわかる
 キムヨナや安藤美姫がいつか忘れ去られても 世界中のフィギュアファンの記憶から浅田真央のうつくしい演技の記憶が忘れ去られることはないだろう。浅田真央の頑固とも思える演技へのこだわり 高みを目指すアスリートとしての矜持と努力から生まれる 研ぎ澄まされた演技のうつくしさは時代を超えて 見る者の心を打つだろう。それこそが真の勝利ではないだろうか。

......ファンとしては勝ってもらいたいけれど 浅田真央のはじけるような笑顔が見たいけれど。


記事 → コチラ

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   地域の方々から戦争の話を聞きたいというリクエストをいただきました。お茶会にお招きいただくかたちで 語りの会をいたしました。

   先だっての中学での語りとはうってかわって 内輪の会、聞き手は中年の女性たち.....です。です。メンバーが椅子をならべて 中学とおなじ設定にしようとしたので テーブルを囲んでの語りにしてもらいました。

   聴き手と場所がかわることで メンバーの声や話し方にどのような変化が起きるかな....と聴いていたら さすがに 途中から声音も距離感もかわりました。MさんNさんが語ったのは 波多先生 知覧 ヒデさんの話 語られなかった戦争です。

   わたしは 今日は わたしがちいさかったときに と東京大空襲 を語りました。ステージでの語りと根本的に違うのは ......客観性が減る 自分とものがたりの体験者とのあいだの隙間が極小になることです。聴き手とのあいだの距離が小さいので 今日はタイトに語りました。それには 大きな場所で語った反動もあったかもしれません。言葉を伝えるのでなく 鼓動 熱さ 苦しさ 切迫 自分の身体で感じていることをかたる 生ナマの語りでした。....というか語っているのが自分なんだかスミ子さんなんだかわかりませんでした。

   そんなわけで 帰ったら 少々気分がわるくなりました。まだ燃えさしのいぶい臭いが身体にしみついている感じがします。匂いがするのです。この語りはまだまだです。これから もっと隙間と客観性も手に入れなければなりません。

   

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