リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

冬ごもりしてしまおうか

2022年11月30日 | 日々の風の吹くまま
11月29日(火曜日)。☁❄☁。どんより曇り空で、バルコニーの気温はマイナス1.5度。降雪警報発令中で、今日の午後には小雪、夜には本格的な雪になって、予想積雪量はニューウェストミンスターのあたりで15センチくらいと言う予報。風が強くなるそうだから、もろに吹雪になりそうな感じ。でも、夜半過ぎには気温が少し上がって、明日の朝には雨交じりの雪になると言うから、うはぁ、朝の通勤の混乱は必至。タイヘン。カレシが入院していた5年前は来る日も来る日も深い霧の中を、ひとりで起きて、ひとりで朝ご飯を食べて、ひとりで病院に向かっていたんだなあ。窓から見ると、こんな感じで・・・。


夜明け前の2つの世界(2017年12月7日)

普通の日常に戻った今、のんびりと起き出して身支度をしていたら、朝ご飯のセットををしていたカレシが「おおい、ミューズリがないぞぉ」。いけない、きのうの買い物でリストに書いていなかったから買って来なかったんだ。きのうはカレシが注文したトマトも忘れたので、よし、雪が降り始める前にウォーキングを済ませて、とんぼ返りでスーパーにひとっ走りするか。そのウォーキングの途中で、ときおり何かがひら、ひら。帰ったら、ちょっと身体を温めて、トートバッグを担いでスーパーへ。牛乳とトマトとミューズリを持ってレジに並んでいたら、前にいた女性が「あら、雪が降るからあなたも買い足し?私もなのよ。雪なんていやだわ、もう」。あはは、みんな似たようなことを考えるんだな。そうそう、買い物から帰って来て、秋と春に使うアクリル毛布をベッドから剥がして、冬の純毛の毛布を広げて冬支度。今夜は外は雪でも温かく眠れるね。

きのう注文品に関する問い合わせを送ってあった通販Acornのカスタマーサービスから、追跡したところFedExで11月9日に(受取署名が不要なので)郵便ルームに配達されていますとの返事。えええっ、FedExからは何の連絡もなかったけどなあ。もしかしたら、別のユニットへの配達でドアを開錠してもらって、マンション住所への配達品を全部運び込んでロビーに置いて行っちゃったのかな。まあ、忙しい時期だから、受取り署名が不要なら、1件ずつ玄関外のディレクトリで受取人に通知する手間を省きたくなるかもね。でも、このマンションでは郵便ルームに宅配品を置いて行くのは禁止されていて、ロビーの柱のそばにある置き配専用の棚を使うことになっている。きのう通ったときは、4、5段のスチール棚が段ボール箱や袋できっしりだったから、配達されたのが3週間も前となると、はて、まだあるのかなあ。とりあえずロビーに下りて行って、棚の配達品の宛名をひとつひとつ見たけど、ワタシ宛のはないよぉ。誰かが持って行っちゃったとか。やぁだっ。でも、目線のずっと上にある棚のてっぺんに段ボール箱が取り残されたようにひとつ。背伸びをして降ろして見たら、おおっ、ワタシ宛。探しながら固唾をのんでいたのか、ふぅ~っと大きな、大きなため息。前にブルーのを買って、その「よれよれ感」が大いに気に入ったチュニックの色違い2枚。前開きでポケットが付いているのがいい。うん、ワタシからワタシへのクリスマスプレゼントね。



ランチが終わって午後1時すぎ、ウォーキングの前に仕込んだ鶏の骨のブロスの鍋をかき混ぜていたら、バルコニーの向こうで白いものがちらちら。おっ、来たなと思ったら、屋根のないルーフデッキの方はどんどん白くなって行って、1時間くらいでばっちり雪景色。午後7時過ぎにはダイニングのドアの外に15センチ。昔、札幌で何度か経験した「石狩湾小低気圧」による突然のどか雪を思い出しちゃった。抜けるような青空が急に曇って来たと思うと、どかどかと雪が降りだして、見ている目の前で1センチ、5センチ、10センチと猛烈な勢いで積み上がって、仕事が終わって帰ろうという頃には市内バスは不通。腰の高さまである吹きだまりを乗り越え、乗り越えして(北海道語では「漕いで」)、2時間も歩いてやっとのことで家に辿り着いたこともあったな。あはは、もう半世紀も前の「若き道産子」だった頃の話で、すっかり「土地っ子」になっちゃった今ではたった5センチの雪でタイヘンだぁ。でも、リタイア組は通勤しなくてもいいから、雨が降りだして解けるまで巣ごもりしてようっと。


午後1時半

午後2時半

吹きだまり15センチ。ドアが開かない

午後7時過ぎ、べた雪になって来た・・・


あの夜から5年経って、少なくともあと5年は・・・

2022年11月30日 | 日々の風の吹くまま
11月28日(月曜日)。☀⛅。冷えて来た。降雪注意報発令中。白いものがちらつき始めるのは明日らしいけど、水曜日までに20センチは積もるようなことを言ってるし、何だか吹雪になりそうな予報だなあ。冬ごもりの支度をしなくちゃ。

カレシが心筋梗塞を起こした夜から今日で丸5年。晩ご飯のときはごく普通で、その後、運動と称してリビングの端から寝室の奥まで何度も往復しながら、次の日に証券取引委員会時代の同僚たちと集まる相談をしていたっけ。どのくらい前からだったか覚えていないけど、ワタシは普通に歩いているのに速過ぎると文句を言ったり、電車の駅からの300メートル足らずの坂を上るのに途中で何度も立ち止まっては息を整えたりするようになっていて、そのたびに「運動不足だなあ」と言っていたっけ。発作が起きる2、3日前は、運動がてらにスーパーまでついて来て重いジュースのボトルを運んでくれたけど、やっぱり途中で立ち止まったので、さすがにただの運動不足ではないんじゃないかと思った。でも、当のカレシは「運動不足だ」の一点張りで、家で一番長い12、3メートルの直線を毎日5分間往復。あの夜はその途中で胸が痛いと言い出し、吐き気がすると言い出し、何度かバスルームに駆け込んで吐いて、その後で風呂に入って気分が良くなったと言って横になったけど、胸の痛みが首や顎にまで広がっているのに、救急車を呼ぼうかと言えば「かっこ悪いから」いらない。

ひと晩寝たら治るといってベッドに入ったけど、夜中を過ぎる頃にはどうにもがまんできなくなって「救急センター」に行く。それでも救急車は「いやだ」と言って、車でワタシを横に乗せて自分で運転してロイヤルコロンビアン病院の救急センターに駆け込んだっけ。昼間はパタロ橋に向かう大型トラックで混雑しているコロンビアストリートが閑散としていて、普通なら10分ほどの道のりを信号無視で飛ばして、5分で行けたのはラッキーだった。受付のトリアージで2、3分待っただけで心電図を取られて、そのまま最優先ゾーンのベッドに運ばれて、チューブやワイヤを何本も付けられて、「心筋梗塞ですよ」と言われて「え、冗談だろ?」と返したカレシ。自分で車を運転して来たと言ったら、看護師にもドクターに「何を考えていたんだ」と叱られて目を白黒。看護師さんに「ここに来ていなかったら朝までもたなかった」と言われても、2人とも危機感らしいものがなかったから不思議。助けを呼ぶ声が聞こえて来るのに、看護師さんがカレシから目を離さなかったのは、心停止が起こったらすぐに処置を取るためだとわかったのはずっと後になってから。心臓血管専門医のチャン先生が自宅から呼ばれて来て、カレシがカテーテル治療室に入ったのは午前3時か4時。木の椅子が並ぶ寒々とした廊下でひとりうとうとしながら待っていたワタシ。どれだけ経ったのか中に呼ばれて、右冠動脈が99%塞がっていてステントを2本入れたけど、左冠動脈は90%塞がったところがステントを入れにくい位置なので、バイパス手術で対処するという説明を聞いて、カレシが病室に入ったのを見届けて、ひとり車を運転して帰って来たワタシ。そのとき午前6時過ぎ。

長い夜だったな。それから病院への「通勤」が始まったわけだけど、最優先リストに載ったカレシがバイパスを3本作る手術を受けたのは5日後。翌朝には顔色が見違えるほど良くなっていたっけ。退院して来るまでの2週間、ワタシはカレシの枕を抱いて眠りに落ちていた。夫婦にいずれはやって来る「その日」のことを考えていた。あれから5年、カレシと二人三脚で「老後」を楽しんで来た。この3年はコロナで思うように旅行ができなかったけど、これからまた健康を維持しながら世界を旅行して回りたいね。日本にも行って家族や友だちに会いたいね。来年はカレシ80歳、ワタシ75歳。うん、あと10年とは言わない。神さま、一緒の時間を少なくともあと5年ください。