リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

これだけはどうしてもやりたいの

2022年11月29日 | 日々の風の吹くまま
11月27日(日曜日)。☁⛅🌤。寝酒をしない分早めに寝たので、起きたのもちょっと早め。真横から差して来るまぶしい朝日を浴びながら、卵とアヴォカドを乗せたトーストで腹ごしらえをして、掃除の日。太陽が低くなったせいで、リビングから反対側の寝室の奥まで日が入るので、床に落ちているごみが嫌でも見えてしまうんだけど、新しい眼鏡をかけたら、うっはぁ、細かい埃まで丸見え。バスルームの掃除を終えたカレシが「よく見えるようになって掃除がやすいだろ」と言うので、眼鏡をはずして、あ、全然汚れてないから掃除はさぼっちゃお。ま、そういうわけには行かないから、きちんとダスターをかけて、箒で隅々まで掃いて、掃除機をかけて、モップでごしごし。ごみをまとめるのにバルコニーに出たら、種を採るためのミニトマトを入れてあったプラスチックのカップがゆうべの大風で棚から吹き落されて、トマトがそこら中にコロコロ。それほど風が強くなかったルーフデッキにも青いままのミニトマトがコロコロで、肌寒い中をトマト拾い。

掃除をして、ウォーキングに行って来て、ランチを済ませたら、後は晩ご飯の時間までのんびり。とはいえ、最近、ずっと前から日本語に訳したかったドロシー・ディトリックの『The Piano Teacher』が出版されてカナダ総督文学賞を受賞したことで、どうしても翻訳したくてたまらなくなって、見てもらうサンプル訳がなければこの道では大先輩の東京の先生にお伺いを立てられないと一念発起。開いた本と画面のファイルの間を行ったり来たりするよりも電子ファイルを睨んでいる方が集中できるのっで、単行本を開いて翻訳用のWordファイルを作るところから作業開始。



突然夫と息子を失ってピアノに触れることすらできなくなったピアニストのエリンがピアノ教師のエレインの門を叩くところから始まる、音楽を通じての愛する人を失ったエリンの痛みや喪失感が癒され、閉じていた心を開かれて行く過程を描いたストーリー。ワタシ自身の燃え尽きて抑うつ状態にあったときにワタシのことを知りもしない、会ったことも会うこともない人たちから受けた人格攻撃で自分のアイデンティティを見失ってしまい、当時レッスンを受けていたピアノのセロク先生のおかげで何とか自分の存在を保つことができ、いろんな人の助けで蟻地獄から自分を解放することができた、あの辛い体験に共鳴して 心の奥にずしんと響いて来る。あれも一種の喪失体験だったんだと思うし、かけがえのない人や大切なものを失ったときの心の痛みは人種も文化も社会体制も通り越した、人間の普遍的な感情で、これこそが「永遠の劇作家志望」のワタシが探し求めて来たテーマだという気がする。

台詞を打ち込んでいるとArts Clubが初演した舞台が浮かんで来て、記憶のあるシーンに涙が出て来たり、あの時に聞いた台詞を日本語で聞いているような錯覚に陥ったりするから不思議。第1幕を打ち込み終わって、ほっとしていたら、カレシの唯一無二の親友エイドリアンの奥さんでワタシにとっても仲良しの友だちであるロリーンの息子が亡くなったとの知らせ。ああ、何てこと。再婚同士でそれぞれの子供たちも、その子供たちも仲が良く、しょっちゅう集まって誰かの誕生日を祝っている、うらやましいほど絆の強い家族なのに、どうしてこんなことになっちゃうんだろう。近くにいたら駆けつけて、セロク先生がしてくれたように、黙ってしっかりハグしてあげたい。霞んで来る目でキーを叩いていたら、悲嘆にくれているロリーンが劇中のエリンと重なって、どうしてもこの本を一番先に翻訳したいという気持がますます強くなって、この世界では部外者のワタシの翻訳版が日本の舞台で実現する可能性は限りなく小さいかもしれないけど、もう止められない。