リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

今日は世界左利きデイで、左利きについて考えてみる

2022年08月14日 | 日々の風の吹くまま
8月13日(土曜日)。☁⛅🌤。今日は何とも涼しくていいなあ。あちこち窓を開けて回らなくても暑くないし、シーリングファンも不要。冷気を入れるために夜通しパティオドアを開けたままのレクルームなんか、サーモスタットの温度表示があと1度下がったらヒーターが入るところまで下がっていて、「外の気温がヒートアップする夏のさ中に室内でヒーターが入る怪現象」に2人とも、またかぁと大笑い。うん、風通しがいいのはありがたいけど、良過ぎると過ぎたるは何とかになるんだよねえ。

今日はInternational Lefthanders Day、つまり「世界左利きデイ」。イギリスで右利き社会における左利きの生活環境を改善しようということで始まったものらしい。最近は日本にも左利きの環境を改善しようという「日本左利き協会」ができたそうだから、成功を祈りたいね。考えて見ると、今どきの世の中で未だに「差別」を受けているのは左利きくらいじゃないのかな。左利きは人種に関係なく世界中にいるから、人類の特徴ってことだろうと思うけど、こと宗教や社会文化が絡んで来るとやっかいなことになる。かくいうワタシは生まれつきの左利きで、4歳くらいの頃に母が矯正に乗り出して、食卓では左手で箸を持てないようにハンカチで縛られていた。右手で箸を使おうとしてもご飯がうまく口に入らなくて、お米も涙もぽろぽろ。あのときのハンカチに包まれた自分の手は未だにはっきりと脳裏に焼き付いているし、泣きながらご飯を食べようとしていたあの惨めさは今も忘れていない。でも、無理な矯正で脳内の配線が狂ったのか(元々ヘンな配線だったのかもしれないけど)吃音障害になってしまって、以後は「せめて箸と鉛筆だけは右」であれば、他のことではけっこう自由に左手を使えるようになって、吃音も無くなったけど、今だったら子どもの虐待と取られかねない「荒療治」だったと思う。結果的にほぼ「両手利き」になって何かと便利しているので、終わり良ければというところかな。

完全に本来の左利きに戻ったのは反抗期に入った中学生の頃で、体育の授業で右手を突き指をしたのがきっかけ。それまでは、家庭ではある程度自由なのに学校では習字、美術、家庭科の先生たちに右手を使えとうるさく言われていて、その時の決まり文句が「お嫁に行けないよ」。利き手以外でも何かと「女の子」はやってはいけないことがあって、その理由がいつも「お嫁に行けないよ」。いじめっ子の男の子と取っ組み合いをしたら、先生に叱られたのはいじめっ子じゃなくて「女の子」のワタシ。お嫁になんか行きたくないと言えば「生意気」。そのくせ高校3年になると、就職すると言っているのに進路指導の先生にあの大学、この大学とうるさく「指導」され続けて、やっとその気になった大学が男子のみで諦めてくれたと思ったら、「左利きだとまともなところに就職できないよ」。もしかしたら、左利きで眼鏡をかけていて女の子らしくなかったワタシはいじめっ子よりも頭の痛い問題児だったのかもしれないな。まあ、英検2級と(父の勧めで取得した)英文タイプの技能を武器に就職できたし、結婚なんかしないつもりだったのに結婚して、左利きでも女の子でも何も言われない国に住みついてうまくやって来ているんだから、それでいいじゃないの。ありのままの自分を生きて行けるのって、幸せなことだよ。

断食の日の今日は、カレシの英語レッスンの合間にウォーキングに行って来て、シャワーをしてから洗濯機を回し始めて、次に青りんご5つと赤いりんご2つの皮を剥いてアップルソースを仕込んで、軽くキッチンのガスレンジを掃除をして、ミニチュアのキッチンの仕上げ。マットに「いいものある?」とメッセージを飛ばしたら、「アンズタケ、ヤマブシタケ、シイタケがあるよ」。じゃあ3種類全部と返事をしたら、4時近くなって「きのこ3種類を2千円分ずつセーブしといたから、もうすぐ行くよ」。おお、うれしい。久しぶりだからよけいにうれしい。マンションの前にマットが来たのは5時近くで、路駐した車のそばでしばらく立ち話。マットは半分くらい左利きなんだそうで、生まれ付いた利き手に関係なく両手利きになったら一番いいのにねえと意気投合。よし、断食明けのあしたは「きのこ尽くし」で行こうっと。

キッチンですることがなくても、別のキッチンがあって・・・