リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

ひとり芝居はストーリーテリングと見つけたり

2020年10月29日 | 日々の風の吹くまま
10月27日(火曜日)。☁☂☁。しょぼい天気だけど、朝のバルコニーの気温は6度でいたって普通。きのうの夕暮れ時にわっしわっしと迫ってきた寒冷前線の雲が「予告」だったのか、朝からどんよりして、今にも雨が降りそうな空模様。う~ん、今夜はArts Clubの超短縮シーズンのひとり芝居2作目を観に行くんだから、せめてしょぼしょぼ程度にしておいて欲しいな。

午後は何となくしょぼしょぼの雨模様。劇場は(コロナ感染防止の規則に従って)指定された入場時間が7時半なので、ゆっくり晩ご飯を食べて行くことにして、とりあえずオンラインで(これもコロナ感染防止の規則による)健康状態の申告。これは観客やスタッフの中から感染者が出たときに追跡できるように、観客全員の名前と連絡先を控えておく規則なので、ドアを入ったところに作った「受付」で申告したかどうか確認されて、していなければタブレットを持ったスタッフがその場で控えることになっている。聞かれるのは名前と住所と電話番号、そして本人やその家族友人などが「コロナの症状があるか」、「過去14日間に国外に出たか」を聞いて、どっちでも「イエス」の場合は「入場お断り」となる。受付が終わったら、ロビーでぶらぶらせずに(トイレに行く以外は)座席に直行するんだけど、450席の劇場に規則で認められている50席が分散しているので、このご時世ではしかたがないとわかっていても、前後左右を空席に囲まれていると何ともさびしい気持。

☆☆3週間半ぶりに劇場へ☆☆

10月28日(水曜日)。☁☁☁。今日もどんよりした天気だけど、朝のバルコニーの気温は9度。8時半に起きて、朝ご飯を食べて、1日の始まり。とりあえず手直し中のジャンバースカートを仕上げてしまおうと、臨時の「裁縫コーナー」になったプチアトリエに直行。裾を縫うのと違って、デニムの縁を縫って分厚くなったパッチポケットをひと針ずつ返し縫いで付けるのは何ともまだるっこしい。おまけに裏から針を通すときは針が見えないので指を刺してばかりで、内側には小さな血痕が点々。土曜日のハロウィンの衣装になってしまうじゃないの。

今日は何をしていてもゆうべの芝居が頭から離れなくて、プチアトリエで手を動かしている間も頭の中で繰り返し反芻。作品はアノシュ・イラニが書いた『Buffoon』で、演じたのは喜劇をやらせたらバンクーバーでは右に出る者がいない(と大ファンのワタシが思っている)アンドリュー・マクニー。タイトルのbuffoonというのは道化師とかおどけ者と言う意味で、サーカスで空中ブランコ乗り夫婦の望まれない子供として生まれて道化師になった男が刑務所の独房で生い立ちや人間関係を振り返るひとり芝居。舞台には殺風景な独房のセットに椅子が1脚あるだけで、そこで顔を白く塗った(稽古中に怪我をしたとかで右腕を吊った)アンドリューが熱演。

先週芸術監督のアシュリーに教わった、1人で何役も演じる場合のvoice masqueのテクニックをじっくり観察しようと思っていたのが、見ているうちにぐいぐいとストーリーに引き込まれて、「お話を聞かせてもらっている」子供みたいに身を乗り出してしまった。おかしみがあって同時にすごぉ~く切ない、深みのあるいい作品だったな。観客に話して聞かせるという設定のひとり芝居だからストーリーがずしぃ~んと響いて来るのかな。もしも登場人物を個別に配役したらどんな感じになったのかな。いや、ひとり芝居でなければストーリーが活きて来ない作品もあるんじゃないかな。そんなことをあれやこれやと考えているうちに、ずっと長いこと温めていてやっと書こうという意欲がわいて来た老犬Puddlesが主役の脚本をひとり芝居として構成した場合のイメージがおぼろげに見えて来た気がする。夫婦と成人した子供2人とティーンの子供1人の家族の悩みや愚痴を聞かされるPuddlesが人間語を話せたらどんな会話になるかをひとり芝居に仕立てる・・・と。

ワタシの頭の中でいつも渦巻いているいろんな思考やストーリーや想像は、言うなれば「ひとり芝居」がかかっているようなものかもしれない。よし、最後のジャンバースカートの手直しが終わったところで、痛い思いをしてばかりの裁縫から足を洗って、やっと意欲が戻って来た創作(とミニチュアと絵)にエネルギーを向けようっと。

   
   ポケットが3つに・・・