読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第13号 1970年代中期⑤

2006-07-26 22:40:20 | 読んだ
1.煙草のけむり/五輪真弓 1973年10月発表

五輪真弓の歌はアコースティックで静かなもの、というイメージがあったが、この歌はリズムがいい。
そうしておいて
♪火を貸してください♪(「ひーーをかしてください」と歌う)
の部分が、なんだかけだるいながらも怪しい感じで、それでいて「あなた」という人の人柄が浮かんでくるようである。

それにしても、当時は「煙草」というのはいろいろな意味でいい小道具だった、今こんな歌を歌ったら、どうなんだろう?

五輪真弓を見直した、というか、オヤッ?と思わせた歌であった。

2.冬が来る前に/紙ふうせん 1977年11月発表

「紙ふうせん」というグループは「赤い鳥」というグループが解散してというか分裂してできた片一方のグループである。

赤い鳥のフォークソング的な部分を継承したのが「紙ふうせん」なのである。グループ名からしてフォークソング的である。

で、最初のうちは私、紙ふうせんを応援していた、というか「いいな」と思っていた。
しかしなかなかヒットが出ない。
と、思っているうちに、この「冬が来る前に」である。
なんというか、面白みのない歌、という感じではあるが、いい歌、である。
何度きても、いやみがないので清々しい。

3.卒業写真/ハイ・ファイ・セット 1975年2月発表

赤い鳥のポップス的な部分を継承したのが、ハイ・ファイ・セットである。
当初は、荒井由美(松任谷由美)に依存した感じが、いい印象ではなかったが、本家よりも<いい感じ>であった。

そうこうするうちに、さらにポップス的になってきて、そのころから私、猛烈にファンになりまして、遡ってみると、当時はいい印象を持たなかった初期の歌も「いいんじゃないか」となってしまったのだ。

卒業写真に、この歌のような思いではないが、こんな思い出があればなあ、とおもわせる。

解説に書いてあったが、ハイ・ファイ・セットは「シティミュージックといわれたソフィスティケイデッド・ポップスのブームを作った」のだそうだ。
<ソフィスティケイデッド・ポップス>ってなんだ?!

毎回のようにツアーを聴きにいっていたのだが、事件により解散したのは残念である。
今は、山本潤子さんがソロやいろいろな人とのグループやコラボレーションで活躍しているが、ポップス的な歌を歌わなくなったのが寂しい。

4.セクシィ/下田逸郎 1976年6月発表

この歌をこの当時聞いた、という思い出はないのである。
下田逸郎、という名前も聞いたことや見たことはあったのだろうが、あまり印象に残っていない。

ただその後、懐かしのフォークソング、みたいなもので下田逸郎が出てきて、この歌を歌ったとき、なんだか聴いたことがあるような、なんだか見たことがあるような感覚であった。

というわけで、この歌に関しては格別の思い出はないので、ごめん。

5.赤ちょうちん/かぐや姫 1974年1月発表

「神田川」の次の曲で、典型的な「2匹目のどじょう」作戦で、なんだかちょいとしらけた感じがしたのではあった。
とはいえ、やっぱり「いい歌」ではあった。

当時高校生であったから、この歌のような経験があるわけでなく、神田川や赤ちょうちんのような世界にあこがれたわけでもないが、夢中になって歌ったものである。

雨が続くとキャベツばかりをかじってた。
というような生活にあこがれるほど、まだわびもさびも、愛も恋も経験をしていなかったのに、なぜ、この歌に夢中になったのか?

それはこの歌のギター伴奏「スリーフィンガー奏法」がなんとも好きだったからであった。
Dm-Cというコード進行にハンマリングで、なんともいえず「アジ」がある曲なのである。

ちょいと歌謡曲っぽいあるいは演歌の匂いがする歌ではあるが、名曲でしょう。

6.落陽/吉田拓郎 1973年12月発表

「よしだたくろうLIVE’73」というアルバムに入っていた歌である。

吉田拓郎の歌からベスト10を選べといわれれば、どのような環境、気持ちでいても、ベスト3から下には置かないだろう、というほど好きな歌である。

前奏、間奏ともに「Am-Em-Am F-G-Am」というシンプルな組み立て。
岡本おさみの「旅人」としての歌であることから、このような経験もないのだが、なんだかすごく「しびれる」歌である。

経験とか憧れとか、そんなものがなくても胸が切なくなるような、そういう歌があるんだということを知った歌でもある。

このライブ版は、アコースティックな音とブラスの音がうまくかみ合っている、すごくいい感じであるが、別のアコースティックだけのものもよい。
どのように歌おうといいものはいい、のだ。

詩と曲がいいめぐり合いをして、吉田拓郎の叫ぶような歌い方とマッチして、名曲になったと思うのである。

本13号は吉田拓郎について論じている。
1975年のつま恋コンサート、5万人の若者のなかに私はいなかった。
行きたくても行けなかったのである。
それがなんだかすごく気持ちの引っかかりになっているのである。

もしかして何とか行っていれば違う人生になっていたのではないか?

今の自分や環境が「イヤ」でも「不幸」でも「不本意」でもないのであるが、もしかしたら・・・という気持ちがあるのである。
というわけで、今年の「つま恋」には行くことにしている。
そして「落陽」を大きな声で歌ってくるのだ。
コメント
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