父が亡くなり100日経った。いわゆる「100ケ日」である。
墓を建立し納骨をした。
この100日間というのは、いろいろな人から父のことというより、一族の話をいっぱい聞いた。
一族のあの人はこういう人だった、そういえばこういう人もいた・・・などなど。
つまり、この100日の間にあった人たちから、先祖や一族の消息を聞くことができたのである。
これは長男が戸籍を調べ墓を調べ「系図」を作成していたことが大きな要因である。来客者にその系図を見せて加除を行い、徐々にいろいろな事実が判明することになったのである。
また、父が亡くなってから「悲しい」とか「寂しい」という気持ちになったことがない。
これは急になくなったのではなく、徐々になくなることへの覚悟が私の中で熟成されていたことによるものだと思う。
非情に残酷というか薄情というか、なのだが、父がもう亡くなってしまうんだ、と思い始めたころから、私の心の中では父はもう亡くなってしまっていたのではないだろうか、と思うのである。
つまり物体として存在する父と、精神的・心情的に存在する父のギャップがあり、精神的・心情的に存在する父の存在的重みのようなものが減少していくことが父との惜別の期間だったのではなかろうか、と思うのである。
もっともその惜別の期間は私にとっては「怒り」の期間であり、世間一般でいう「惜別の期間」とはちがう期間だったような気がするのである。
それにしても、この100日の間、自分というものがどういう存在の間に誕生し成長して来たのかということを確認することができたというのは、なんだかとっても嬉しい感じがするのである。
墓を建立し納骨をした。
この100日間というのは、いろいろな人から父のことというより、一族の話をいっぱい聞いた。
一族のあの人はこういう人だった、そういえばこういう人もいた・・・などなど。
つまり、この100日の間にあった人たちから、先祖や一族の消息を聞くことができたのである。
これは長男が戸籍を調べ墓を調べ「系図」を作成していたことが大きな要因である。来客者にその系図を見せて加除を行い、徐々にいろいろな事実が判明することになったのである。
また、父が亡くなってから「悲しい」とか「寂しい」という気持ちになったことがない。
これは急になくなったのではなく、徐々になくなることへの覚悟が私の中で熟成されていたことによるものだと思う。
非情に残酷というか薄情というか、なのだが、父がもう亡くなってしまうんだ、と思い始めたころから、私の心の中では父はもう亡くなってしまっていたのではないだろうか、と思うのである。
つまり物体として存在する父と、精神的・心情的に存在する父のギャップがあり、精神的・心情的に存在する父の存在的重みのようなものが減少していくことが父との惜別の期間だったのではなかろうか、と思うのである。
もっともその惜別の期間は私にとっては「怒り」の期間であり、世間一般でいう「惜別の期間」とはちがう期間だったような気がするのである。
それにしても、この100日の間、自分というものがどういう存在の間に誕生し成長して来たのかということを確認することができたというのは、なんだかとっても嬉しい感じがするのである。