京都南座の「顔見世興行」は、12月の京都の風物詩。
役者の名前が勘亭流といわれう文字で書かれた「まねき」があがる。
これを見るともう12月だとちょっとあきらめの気持ちになる。
13日には「事始め」だしね。
もうお正月の準備モード。
京都の場合、クリスマスというのは案外地味かも。
我が家では、子供たちが大きくなったので廃止です。
別にキリストさんと親戚でもないしね。
なんで「顔見世」というのか、ウィキペディアを引き写します。
顔見世(かおみせ)は、歌舞伎で、1年に1回、役者の交代のあと、新規の顔ぶれで行う最初の興行のことである。江戸時代、劇場の役者の雇用契約は満1箇年であり、11月から翌年10月までが1期間であった。したがって役者の顔ぶれは11月に変わり、その一座を観客にみせ、発表するのが顔見世であった。
この「まねき」があがるのは、京都の南座と御園座だけなんだそうです。
恥ずかしながら「顔見世」は観に行ったことがありません。
理由は、一つに財政的問題。二つは良さがわからなかったこと。
最近は、良さがすこしはわかってきましたけど。
生の舞台は素晴しいですね。
入場料が高いのはしかたないと思います。
でも後、十年ぐらい経ったらどうなるのだろう・・・。
いま、着飾って着ているご婦人たちは、おそらくこられないだろうな。
若い世代にはちょっと敷居が高いしね。
こればかりは、テレビで中継しても良さがわからない。
シネマ歌舞伎的なものも真剣に考えないといけなくなるかも。
そういえば、京女と結婚する時、南座を借り切ってやったらどうだろう?
なんて企画もありました。
両家の苗字が梨園っぽいし、京女は琴三弦の師範だしね。
もっとも、今は、琴三弦よりバレーをしております。
バレーといってもバレーボールやけど。
京男は、口三味線ぐらいはするけど、音楽はだめだといわれております。
口三味線例/ベンベンベン~ブチッ(糸の切れた音、しばらく時間をあけて)「ミカンのようでミカンでない、ベンベン、ダイダイのようでダイダイでない、ベンベン、それは何かとたずねたら。キンカン、キンカン~」(注)浄瑠璃っぽく語らないといけません。
南座、そろそろ立て替えないといけないですね。座席がとても狭いから快適でないですね。特に最近の大柄な若い子たちには苦痛。
シネコンぐらいの座席が欲しい。
さてどうなるのかな?
↑千本玉寿軒「こがらし」
↑きんとん、粒あん
和菓子 | |
中村 肇 | |
河出書房新社 |
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
今朝も暗いときにちらっとみました。
我が家の経済力では無理ですね。予算処理はできませんね。
確かに10、20年後は存続が・・という感じですよね。
今の若い人がそんなところにお金をかけるとは思えませんし!
歌舞伎、役者の方は世代交代が期せずして進んでいるようですが、
観客は介護が必要となる世代に・・・(^_^ゞ
建物もそういうニーズに応えないとね。
スポーツにしても演劇もやはり生に勝るものは無いのですが、
値段が高過ぎますな・・・
師走で走り回っています。
高い費用がかかります。実際に観ると納得はするのですが。後10~20年後はどうなるのでしょうね。
次世代、どうなるのでしょうね。この歌舞伎の世界。
観客は、それなりの年代ばかりですから。